中山道を歩く 22
(愛知川宿〜武佐宿〜守山宿〜草津宿〜大津宿)
28000歩
2013.11.24〜27
参加者 CL藤井、SL田所、星野、小野里、野中、新井、亀井、川野、桑子、篠田、桜井、酒井、山口、吉田
第1日
近江鉄道尼子駅〜愛知川宿〜武佐
今日の行程は今回で一番時間的にきついコースなので
寄り道はせず、日暮れ前にホテルに到着したいと思ったので
脇見をしなかった。
小牧JC付近から事故渋滞に巻き込まれたが 予定通りに前回の終着地近江鉄道尼子駅に到着。 前回、駐車場の確認をした尼子駅は無人駅だが駅舎は新しく コミニュティハウスでトイレは勿論、テーブル、椅子があります。 しかも駅前に無料の広い駐車場があります。 11:40 尼子駅出発 今日の行程は今回一番きつい。 駅舎で昼食を済ませて、中山道最終地三条大橋を目指し出発! まだまだ元気そうなメンバーたちです。 |
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尼子駅前から出町信号まで約400mを歩き始めるあっという間だった。 前回はこの400mがどれほどか遠く感じたろうか。 角に中山道の標識があります |
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12:15 石畑(間の宿)の碑 |
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12:35 街道筋の屋敷 | |
12:55 歌詰橋(宇曾川に架かる) 橋名の由来 平将門の乱を鎮めた藤原秀郷(ふじわらひでさと)が、 将門の首を都へ運んでいたところ、 その首が目を開いて秀郷に 襲いかかってきた。 秀郷はとっさに 「 歌を詠んでほしい 」 と頼むと、 首は言葉に詰まって地面に落ちた。 歌詰橋を渡ると愛知川宿に入る。 防寒対策ばかりを気にしていたので雲一つない今日は歩いていると 汗ばんできます。 |
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愛知川宿 家内軒数199軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠28軒、家内人口929人 宿場町であると同時に近江商人の発祥の地でもある。 「びん細工手まり」は、起源は定かでないが、愛知川だけに伝承される工芸品である。 近江上布(麻織物)が名産品で、商売上手な近江商人によって全国各地へ売りさばかれ、 当時の宿場は賑わっていたようだ。 |
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13:20 愛知川北門 愛知川宿は約600mであっという間に通過してしまった 北門は逆光のため写真が撮れなかった。 宿場内に宝湯寺、本陣跡(元近江銀行)、八幡神社、高札場跡、問屋場跡、 竹平楼、明治天皇 13:50 愛知川宿の南門 |
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13:45 本陣跡(旧近江銀行) | ||
愛知川宿は料亭などが あり落ち着いた雰囲気の宿場です |
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14:00 祇園神社の常夜灯 | |
14:22 右 京みち 左 いせのみち |
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14:39 五個荘モニュメント 近江商人の発祥の地として有名な町 大坂商人、伊勢商人と並び日本三大商人の一つである。 |
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14:50 大郡神社 本ではづーっと奥にあり国道を殴打した先です 今日はとても寄り道してられない。 明るいうちにホテルに到着した一心で 私の記憶は薄らいでしまっていた。 |
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この付近に茅葺の屋根が何軒かあった。 | ||
15:05 てんびんの里モニュメント 近江商人は天秤を担いで近江の産物を全国に売り歩き、 帰りには他国の品々を上方で売りさばいていた。 五個荘(金堂集落)は近江商人発祥の地の1つで、 「天秤の里」と呼ばれ財をなした近江商人たちの豪邸が並んでいる。 |
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15:15 清水鼻の名水 名水と言えどちょっと飲む気にならない水でした。 |
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15:40〜15:50 休憩 奥石神社(おいそじんじゃ) 安産の神様 観音寺山(繖山(きぬがさやま)432.7m)の南、 国道8号線と東海道新幹線が立体交差する地点にある 老蘇(おいそ)の森の中にあります。 伝説では、日本武尊(やまとたけるのみこと)を危機から 救うために、妃の弟橘姫命(たちばなひめのみこと)が 身代わりになって荒海に身を投げましたが、そのとき懐妊していた妃は 波間に消える前に自分は老蘇の森に留まって女人安産を 守ると言い残したといわれています。 とても広い敷地にトイレあり休憩に適地。 |
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武佐宿に入った。 陽が大分傾き、時間が迫っていたので大急ぎでホテルへ。 ところがホテルへ入る道がわからずしばらく宿内をウロウロ。 |
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16:25 武佐宿大門跡 | |
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16:30 武佐神社 | |
17:00 ホテルシェルに到着 夕食は国道を渡り、定食屋「友定」 バイキングでお好きなものをどーぞ! 私のメニュー さんま、かぼちゃ、お浸し、ご飯とみそ汁 約1000円(缶ビール込) |