中山道を歩く NO22−2
(武佐宿〜守山宿)
37000歩
                

                                                                2013.11.25

二日目
ホテル発6:50 朝食は各自部屋で済ませロビーに集合
予定より早めの出発が出来た。 

昨日、ホテルへ向かう道を行きすぎてしまって武佐宿の途中から戻った。
今日は改めて宿場内の通りを歩くことになった。

武佐宿 



家内軒数183軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠23軒、家内人口537人


7:03 本陣跡
 

早朝のせいか人影のない静かな街道を歩きます。
道はカーブして枡形のようです。
 
 

7:09 高札場跡
標識は武佐小学校卒業生の手作りです。


7:53 八幡宮と高札場跡
 

いせ ミな口 ひの 八日市 道と書かれている。
この街道は「八風(はっぷう)街道」と呼ばれ、八日市から八風峠を越えて
伊勢へと通じてい。

武佐宿にあった江戸時代から続く唯一の旅館「中村屋」は
数年前焼失して現在は営業はしていない。


8:30 日野川の横関橋を渡り左の小道はいる。

今日の天気予報は低気圧の通過で風雨が強く雷の注意報まで(-_-;)
川沿いの道は強風が吹き荒れて飛ばされそうである。

鏡宿に入ると雨がポツポツ・・・
工場の軒先をお借りしてカッパの登場になってしまった。
雨より風が強く、うっかりするとカッパまで持っていかれそう。


9:00 鏡の宿場跡
この付近は本陣跡、旅籠の表示が方々にあった。
道は狭く昔の面影が濃い街並みです。


9:00 鏡の宿 早朝にを出た旅人の多くが最初の宿泊地とした。
 源義経宿泊の館跡

平治物語』で源義経が自ら元服した地として知られる。

16歳の遮那王(義経)は、稚児として預けられていた
鞍馬寺
を出奔した。その日の晩に鏡の宿に到着すると、
夜も更けてから自分で髻を結い、懐から取り出した烏帽子
かぶって元服した。成人したを付ける烏帽子親もいないので、
自ら源九郎義経と名乗ったという。

鏡の里保存会のまだ新しい表示があちこちに
建てられてあった。
旅籠の数はかなり多かったようです。


10:30 子安地蔵堂  
境内にたくさんの水子地蔵が並んでいた。


10:40〜11:10 桜生(さくらさま)史跡公園でランチタイム
幸い雨は止んで風もなく良かった。
新幹線がひっきりなしに脇を通過していく。

公園は二つの円墳と一つの前方後円墳からなっており、
天王山古墳、丸山古墳、甲山古墳、
これらの三つの古墳からなる史跡公園。

トイレを期待していたが休館日なのか鍵が閉まっていて
使用できなかった。

かなり大きな古墳群だったので時間があれば散策したかった。


11:40 野洲中山道モニュメント 
武佐と守山の中間点
 

11:30 曙酒造 
茅葺の屋根が歴史を感じさせる
 


11:50 行事神社
  野洲市
中山道と朝鮮人街道の分岐に建つ行事神社 
           
        鳥居と拝殿のあいだに、大きな勧請縄がかけられてあった
   、村に悪霊や疫病などが入ってこないようにと 氏子が1年間吊るそうです

朝鮮人街道
野洲、近江八幡、安土、能登川、彦根を経て
中山道の鳥居本宿で合流する全長約31kmの街道が朝鮮人街道と呼ばれていた
家康が関ヶ原の戦いで勝利し凱旋した街道でその後は将軍の上洛用に使われた道です
その道を朝鮮通信使が通行したことから朝鮮人街道と呼ばれるようになった
 
 


12:30 旧街道の趣ある街並み 


12:10 野洲川橋を渡る
 

12:40 守山宿 町家「うの家」
江戸時代末期から明治初期に建てられた主屋、造り酒屋の趣を
残す蔵など、中に展示室、ギャラリー、飲食店有
エントランスは、町家の吹き抜け吹き抜けには、美しく力強い梁組(はりぐみ)、
おくどさん、井戸などによる町家の魅力を堪能できる

ガイドさんが説明してくれたが元内閣総理大臣 宇野宗佑氏が
生まれ育った家で確かに見応えがあったが
私はあまり関心がなくトイレをお借りし休憩しただけ。
 


 守山宿



家内軒数415軒、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠30軒、宿内人口1700人


13:00 守山宿

「守山」の地名は、比叡山延暦寺の東の関門として、東門院が
創建されたことに由来する
すなわち、比叡山を守るという意味だという。


13:00 東門院
比叡山延暦寺の東の関門として、創建された。
 

13:10 どばし
歌川広重が当所から宿場風景を描いたとされる


12;50 今宿一里塚
138番目の一里塚
滋賀県では一番古い一里塚です


13:35 大宝神社
大宝元年(701)疫病流行のとき、地主神を祀っていた「追来神社」の
境内に素盞鳴尊(スサノヲノミコト)と稲田姫命を迎え祀ったところ
疫病が鎮まったと伝えられます。

また境内にこの周りで松尾芭蕉が
「へそむらのまだ麦青し春のくれ」と詠んだという芭蕉句があったが
雨が降り出してきたので、先を急ぐことにした。
 

15:00 草津宿ホテル「HIBARI] 到着


入浴を済ませて近くの昭和食堂

17:20 今宵は一同に会した宴会は盛り!盛り! カンパーイ!
      美味しい生ビールに舌鼓!


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