中山道を歩く (その15)

望月宿~芦田j宿~長久保宿~和田宿()

                                                         2012.9.1~2

1日目
浜川P5:40→→7:10佐久平駅7:15→7:30望月バスターミナル7:40→望月宿本陣7:50
→茂田井間の宿9:00→芦田宿9:40→笠取峠10:30~12:00→長久保宿12:30→和田宿入り口14:50
→和田宿本陣15:10→→長久保浜田屋旅館14:10
2日目
浜田屋旅館(バス停)7:38→→和田宿本陣8:10→山道10:00→峠の茶屋11:40~12:40→和田古峠13:00→
西餅屋跡14:00→水戸浪士の墓15:00→木落坂15:50→諏訪大社春宮16:40→下諏訪駅

参加者L藤井、Sl船津、星野、田所、小野里、吉田、川野、新井、亀井、篠田
  酒井、桑子、松岡、横澤(正)、野中、桜井、宮沢、山口(京)  

望月宿



本陣1、脇本陣1、旅籠9
街は寂しい感じの古い旅館や連子格子、卯建等の家が多く
軒先に古い看板が掲げられてあったりして往時の宿場の雰囲気が残っている



総勢18名が3大のワゴン車に分乗し
予定通り佐久平駅に7:00に到着。
予約しておいた2台のワゴンタクシーは既に浅間口ロータリーに
駐車してあり我々の到着を待っていた。

前回の終了の望月宿バスターミナルに7:40到着。
本来なら望月宿は既に終了済みでタクシーで望月宿の
先端まで行く筈だった。
前回一名はぐれてロスタイムの為、覇気損失でバスターミナルで
終了してしまった。
毎回ハプニングがあって面白味があっていいのだが
日出塩まではきつい行程なので予定通りに行かないと後々に
響いてくる。


本陣は御本陣の看板があるのみ。その脇に立派な歴史民族資料館が
建っていたが早朝のため見ることが出来なかった。

脇本陣の「鷹野」の看板のある平入の切妻造りで出桁造りの家。


旅館「山城屋」
江戸時代から創業、以来現在も営業しているそうだ。

他にも旅籠らしい雰囲気の家屋が見られた。


望月宿から次の宿場茂田井宿へ進むと田園風景が素晴らしい。
まだ夏の陽射しが残り、少々汗ばむがさすがに信州の風は
爽やかだ。

わが町の暑さを想像していたから、熱中症でメンバーが
倒れてしまうのではないかと心配したが無用だった。

皆さんまだまだ元気な様子ですがこの先はどうでしょうか。


彼方に茂田井宿の集落が見えてきました。


茂田井宿の通り
人気も無い静かな街道に白壁の土蔵や母屋続く町並みは
落ち着いた雰囲気で私のお気に入りの風景。

二軒の蔵元があり、その一軒の大澤家に寄ってみた。
このお宅は代々名主を務めた家で邸内にしなの美術館、民族資料館が
あった。

ここでお酒の試飲をして時間を超過してしまった。
甘酒が美味しかったので今宵のお供についつい手が出てしまった。

酒と旅をこよなく愛した詩人若山牧水はこの地を度々訪れていたというので
「若山牧水歌碑」が建てられてあった。


芦田宿


本陣1、脇本陣2、旅籠6
望月宿と同等の規模だ。


芦田宿入口
現代風な常夜燈が設置されたあった。
「立科町」の中心地だが静かな街だ。


芦田宿本陣
門構えが立派な土屋家本陣跡(問屋も兼ねていた)



金丸土屋旅館
現在も営業している様子

「あー疲れたぁ」
旅人達は軒下をお借りしてちょっと休憩。


元気を取り戻して笠取峠に向かった。
小さな道祖神や可愛い石碑が所々に見られて
微笑ましくなりますね。


笠取峠の松並木は車輌進入禁止になっている。
平成の旅人たちは大手を振って道幅いっぱいに広がって
歩いている。

でも国道はくれぐれも気をつけて・・・・・
今回は何度もヒヤッとした場面があったから・・・・・
自己責任と言っても事故発生はお互いに
気分悪いし、街道歩きはその時点でおしまいです。


松並木に幾つも道祖神や歌碑、板碑が並んでいた。

峠のあづまやでランチタイム。


国道を横切るように中山道原道の標識があった。


原道は手付かずの林の中、歩きよい趣のある道だ。


国道と旧道をクネクネと下る。
雑草に埋もれて野仏、馬頭観世音がひっそりと
あり、中山道の趣を演出してくれる。


長久保宿


本陣1、脇本陣2.旅籠43


旧道を下って行くと下方に神社の屋根が見えてきた。
松尾神社だ。
京都の松尾神社の流れを組む神社で、立派な杜に囲まれて
落ちついた神社です。

明日が例祭だそうで近くの人たちが準備をしていた。
そして夜は街道の提灯に灯りが点り、メンバー達は
何となく心ウキウキしていたようだ。


長久保宿の高札場
凄い立派です。右が本陣跡石合家。

竪町通りの左角に今宵の宿浜田屋旅館があった。


浜田屋の反対側に
中山道 長久保宿左 ぜんこうじ
と書かれた道標があった。



長久保j宿の卯建
浜田屋を左に入ると横町の通り。
浜田屋にザックを置き、まだ時間が早いので
和田宿へ向かった。


和田宿まで石碑が整然と並んだいたり
馬頭観世音、珍しい石碑が目を惹いた。



田園風景に似合った萱葺きのバスの待合所。


そして
これはこれは私の大の苦手なミミズの雌雄2体の双体道祖神
ミミズは農業に欠かせない大事な生き物で住民の希望で
作られたとか・・・・・・
ミミズは土地が良いからと言うけれど
私はミミズには悪いが姿を受け入れられないのだ。


和田宿


本陣1、脇本陣1、旅籠28

和田峠は中山道でも最大の難所と言われ
この和田峠は険しい山の中にあり、峠の江戸側の和田宿と京都側の
下諏訪宿の間隔は実に5里半弱と長い。
冬季の降雪も多く、中山道最大の難所とされていた。
このため、途中に何箇所か旅人のための避難所や茶屋が設けられていた
これらの茶屋は「西餅屋(下諏訪宿側)」「東餅屋(和田宿側)」「接待(和田宿側)」
などと呼ばれ、いまでも地名にその名を残している。


14:50
是より和田宿の碑

明日の和田峠越えが長丁場で大変なので
出来るだけ宿場の先まで歩きたい。

帰路は浜田屋さんがJRバスの回送車に私達をバス停以外でも
拾ってくれるように手配済みだから安心して時間の許す限り
先端まで行くことが出来る。


和田宿の通り。
厳しい和田峠越えに往時の旅人は往くも帰るも
ここでホッとしたことだろう。


本陣跡

バス停の前に3月まで営業していたと言う「本亭旅館」があった。
ここに予約をしたが経営者が恒例のため閉業したそうな・・・・
街道筋には旅館は他に無かったので長久保宿の浜田屋に
宿泊になった。



脇本陣の前にあるバス停
まだこの先へ行きたかったのだが
私がトイレに寄っている間にみんなどこぞへ消えてしまっていた。

そのうち現われた皆さんはもう歩きたくない気配。
その分明日頑張ってくれよ・・・・

バスが来るまで3,40分雑談にふけってしまった。
今、思えば勿体無い時間だったな。



回送のバスに揺られ再び長久保宿へ戻った。
ここは標高650m もちろん涼しい。
食事は女将さんと娘さんの心のこもった手作り料理。


難点はお風呂が小さく一つしかないことだ。
でも休憩しながら交代入浴。

酔わないうちに翌日の行程の説明をする私です。
皆さん よーく聞いているんだかな?聞いていないんだかな?
宴会はもちろんノリノリの盛り上がり!!

                                    二日目へ

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