中山道を歩く その1
                   
(日本橋〜板橋宿)                2011.5.15                  

  日本橋
日本の中心に架かる橋から日本橋の名。五街道の起点となって江戸最大の賑わいがあった。
今も国道の基点で橋の中央に道路元標を埋設してある。京まで534km、昔の旅人は約15日間で歩いた。     

コースタイム
高崎駅8:18→→東京駅10:10→日本橋元標10:40→神田明神11:20〜12:00→東大赤門12:30〜12:40
→追分一里塚13:00→ほうろく神社13:10→六義園14:00〜15:00→真性寺15:25→
高岩寺(とげぬき地蔵)15:30〜15:45近藤勇


今回わがクラブの
Y氏の企画で中山道を日本橋から京都まで歩くに参加することにしました
第1回の今日は参加者24名です
歩行時間は約11km、3時間ですが途中に寄り道するので果たして
どの程度時間がかかるか分かりません
さて、珍道中の始まりです

                         
                                 起点の日本橋にて全員集合                      

東京駅に降りた24名のおのぼりさんご一行様です。黄色のクラブの旗を持ったスゲガサとスパッツ姿の
リーダーY氏の姿はちょっと人目を引くようです。このスタイルに通行人は思わず笑みがこぼれます

特異な姿のY氏の後を東京駅構内をぞろぞろと歩き出します
なんだかY氏は緊張している様子です
それ以上に緊張していたのが私かもしれません
乗車券が見つかりません。無い!無い!どうしよう?
紛失しないようにちゃんとバッグのポケットに仕舞った筈が違うポケットに入れたらしいのです
一件落着、顰蹙を買わずにホッとしました
最近こうした思い違いでロスタイムが多くなりました
仕事をリタイヤすると時間は充分あるから仕方ないですかね

今日は日曜日のためか交通量が少ないようです
まず、東京駅八重洲日本橋口から振り出しの日本橋に向かいます
正面に見えてきたのが日本橋です
この橋の真下中央に国道の基点日本国道路橋元標(赤い→)があります

日本国道路元標
日本橋は5街道の基点です
(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)
徳川家康が全国支配のため江戸と各地を結ぶ5つの街道を整備しました
当時から商業と文化の中心地として栄えています
都会のど真ん中をメンバーたちは堂々と行進していきますが、歩道は人も自転車も前後から来ますよ


湯島聖堂
ビル街の中にこんもりとした木に覆われ涼しそうな荘厳な感じがします
5代将軍綱吉が建立し
日本学校教育の発祥の地で湯島天満宮と共に合格祈願の参拝者が多いらしいです
中を覗いてみたかったですがここは素通りします   残念!



神田明神
私の前を粋なハッピ姿のおじさんが歩いていました。
そのはず今日は神田祭、日本三大祭りの一つだそうですが昼間のせいでしょうか
さほどの賑わいは無かったようですが夜はどうなのでしょうかね
境内でサービスにレタスを無料配布していました
オバサン集団は皆ビニール袋入りのレタス3個を嬉しそうに頂いたのですが
頂いたものの持ち歩きに苦労していたようです

境内の隅に 大きなナマズの石と思ったらビニールの風船だったようです。
地震の象徴、大鯰の頭にそれを押さえつけ地震を防ぐ「要石」が乗っています。

裏の公園で昼食です。
近くのコンビニで冷やし中華をゲットし持参のパンとコーヒー。ちょっと侘しいランチでした。


東大赤門(重要文化財)

赤門なのに黒門になってしまった
リーダーは本当の赤門はまだ先ですよって言うけれど
門内に入り、学生に聞いてみると「これがそうですよ、他にはありませんよ」

赤門は文政10(1827)徳川第11代将軍家斉の第21女溶姫は、
加賀藩第13代藩主前田斉泰に輿入れした。赤門はこの時溶姫を迎えるため建てられたものだそうです
加賀100万石の前田家の豪華な構造で
鮮麗な朱漆が若く華やかな溶姫(やすひめ?)
溶姫ってどのようなお姫様だったのでしょうか

入学は出来なかったからせめて構内に入ってみましょう
わが母校は県内一番の進学校だったのに当時は東大合格者が
たったの一名だったのですからレベルは高いですね
構内を歩いている学生は皆さんお利口そうでした


安田講堂
正門から入り左に見えます
構内に入りウロウロしているうちに赤門の写真を撮りなおす事を
すっかり忘れていました


追分一里塚
日本橋から一里(4km)の地点です
酒屋の高崎屋さん(創業1751年)の脇に立て札があるだけです
まだ4kmしか歩いていないのに、私はもうへとへとに疲れています



道路標識に高崎が現われました


ほうろく地蔵  東京のパワースポット
放火の罪によって火あぶりの刑に処せられた八百屋お七を供養するために
建立されたと伝えられるお地蔵さま。 お寺の由来書によると、お七の罪業を救うために
熱した焙烙を頭にかぶり、お地蔵さま自ら焦熱の苦しみを受けられているのだと・・・・
お地蔵様の前にはたくさんの焙烙が納めてありました


六義園
入場料65歳以上150円を団体割引120円
全員65歳以上になりました!
予約したボランティアさんの説明で一周の予定です
六義園は小石川後楽園とともに江戸の二大庭園にの一つです。
五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、
平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。
 六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園です。
中国の古い漢詩集「詩の六義」詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、
紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します

ここまで聞いていたのですが疲れ果てた私は同期のNさんの足を
気遣う振りして二人で甘味処「吹上茶屋」にこっそり入りお茶タイムです(500円)
甘いお菓子と抹茶で疲れは癒されました
ところが嗅ぎ付けてTさん,Hさんの二人が入ってきました
古株の会員はやっぱり図々しいですね
4人は異口同音 「疲れたねー」 


これから巣鴨地蔵通り商店街へ向かいます
商店街の入り口の真性寺にまずお参りします
おばあちゃんの原宿と言われますが、さすがおばちゃんだかおばあちゃんだか多いですね
4,5分で高岩寺 とげぬき地蔵
              
   
洗い観音の起源
この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしかうまれました
洗い観音は長蛇の列です
バーゲンセールでも並ばない私ですから信仰心はなく何処も悪い所もないので
ただ食い意地が張っている私は大判焼きを頬張りながら行列を眺めているだけです



なんと巣鴨名物の赤いパンツの店です
ちょっと恥ずかしくて履けませんね


近藤勇終焉の地
板橋駅の前、こじんまりした木立の中にひっそりと供養塔がありました

板橋で今回のコースは終了です
埼京線〜高崎線で無事に帰路につきました
とっても疲れました

次回は板橋〜蕨宿です

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