御飯岳・小串鉱山跡散策
2009.8.3
コースタイム
浜川P→→毛無峠8:35→毛無山8:45→御飯岳10:15〜10:35→毛無山11:20〜12:15→毛無峠12:30→
小串鉱山地蔵堂13:00〜周辺散策〜毛無峠14:45
鳥海山が雨予報になり中止になった。翌日の3日は天気が回復しそうなので急遽何処か山へ
行こう!考えたのが歩行時間が短くて涼しい所は無いかな?
そうだ!毛無峠が涼しいし、まだ未踏の御飯岳が(^O^)
ついでに以前から気になっている毛無峠の群馬県側の小串鉱山跡を散策してみたい。
メンバーが四人集まった。それ行け\(^-^)/!
草津温泉を過ぎ、志賀草津道路に進むと辺りはガスが立ち込めて上空の青空はすっかり見え
なくなってしまった。あらー、雨が降らなければ良いが・・・・・
暫らくぶりの毛無峠への道は記憶が薄れてこんな道だった?我々がもたついていると後ろか
ら女性2人の車が勢いよく追い抜いていった。
毛無峠に到着し、車から出ると想像通りの風の通り道の峠は肌寒いくらいだった。急いで山
シャツを着込んだ。先行した車の女性たちも御飯岳を目指すようだった。
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朽ち果てた鉄塔の下から稜線を目指して歩く
ケルンのある毛無山から緩やかな草原を下りはじめ
ると登山道の脇に黄色のアキノキリンソウやコケモ
モの赤い実が初秋の気配を感じさせます |
後方が御飯岳 |
鞍部から御飯岳へ登り上げます
以前はこのコースは深い笹のやぶ漕ぎか、残雪期
に北斜面から登り上げたらしい。
今や群馬100名山になり、ルートは整備されて山頂
まで笹はよく刈払いされて歩きよい道が続いていた |
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登り上げるとシラビソ、コメツガなど針葉樹の鬱蒼と
した黒森の中を何度か通り抜ける。
最後の急登を息を切らして登り上げると平坦な道が
奥深く続いていた。
時々ガスの切れ間に展望が開けた。
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三等三角点のある山頂でメンバーのY氏の手塩に
かけたスイカが登場した。
先行した女性二名にもおすそ分け、みずみずしいス
イカに舌鼓。
上空に青空が広がったが展望はいまいち。
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毛無山の山頂は我々の独占の山、年は取っても食
旺盛な婆トリオはしっかりと〇度目?のランチタイ
ム。
高原の涼風の中で対峙する破風岳を眺めながら
益々食欲旺盛だ。
昼食後に予定の破風岳はここから眺めただけで満
足してしまった。
満腹のお腹を抱えて毛無峠から小串鉱山跡に向っ
た。
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コキンレイカ オトギリソウ アキノキリンソウ
ノリウツギ アカモノの実 コウゾリナ
ヒカゲカヅラ
小串鉱山 日本で3番目の大規模硫黄鉱山だった
ここで生産された硫黄は人絹、スフ、ナイロンの製造原料と使われて、昭和4年大企業の資本
で本格的な運営が始まった。ところが2000人の大集落を昭和12年に山崩れが発生し245人
の犠牲者がでた。その後重油等の生産で硫黄の採掘は壊滅的な打撃になり、日本の硫黄鉱
山は次々に閉山を余儀なくされ、小串高山も昭和46年閉山になってしまった。
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小串鉱山遠景 |
毛無峠から荒涼とした小串鉱山跡の風景は誰も
ちょっと
立ち寄りたくなるような興味がある。
毎年7月第4日曜日に慰霊祭が行われている。
毛無峠から慰霊堂まで車で入れるが、道はダートで
何時斜面から落石があるか不安な道だ。 |
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変電所跡
いつ崩壊するか分からないので立ち入らないで下さい。と表示があった。 |
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学校跡に無残な朽ちた残骸 |
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殺伐とした山の斜面にポッカリと空いた坑道の
入り口 |
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鉱山跡にあちらこちらに散らばる硫黄 |
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標高1630m の鉱山の街は今は赤茶けた土砂に埋もれ当時の面影を想像できなかった。
かつて病院、学校、映画館、公園があり活気に溢れた街が廃墟に変わり果て、近年徐々に植樹が行われ緑の山に変わりつつあるようだ。 |
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行きは良い良い帰りは怖い!
往路は山道を下っていったが、帰路はダートな車道の登りだ。木陰も無く峠に辿り着いたらクタクタでした
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毛無峠に広がるガンコウランの鮮やかな緑は荒涼とした鉱山跡と対照的に心が安らいだ。
1日も早く緑の山に戻してあげたいと感じるのは私だけでは無いでしょう。 |
帰りに万座温泉の乳白色の湯に浸かり汗を流し今日の山行に感謝しながら帰途に着いた。
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