トンガリロ クロッシング

コースタイム 登山口7:30→ナウルホヘ分岐9:40→サウスクレーター9:50→レッドクレーター10:45〜11:35→
      トンガリロ山頂12:25→分岐13:15→登山口16:25

今日は世界遺産のトンガリロを歩く。さすが世界遺産とあって駐車場はバス、車は一杯だ。
登山者は多く、皆軽装である。タンクトップに短パンといった姿が多く、長ズボンの私たちはな
んだかとってものろまそうに見える。
トンガリロ国立公園は1993年にニュージーランドでは最初の世界遺産となった。
ルアペフ、ナウルホヘ、トンガリロの3つの火山を中心に広がる火山帯である。

今回はマンガテポポ側からトンガリロクロッシングを、と言っても私たちはレンタカーなのでレッ
ドクレーターまでピストンにする。殆んどの人は反対側のケティタイハットへ歩くようだ。

登山口から結構私たちはハイペースだったが、あとから後から足の長い若者たちに追い抜か
れる。そんなに早くて大丈夫なの?川沿いの幅広の道は銀座通りのような賑やかさだ。溶岩
流の道に木道が敷かれたり、木製のしっかりした階段が幾つも設置され歩きよい。

辺りの熱い空気が漂い、地熱のためだろうか。体も温かくなってきた。一帯が火山活動が活発
なエリアなのだろう。

前方に富士山に似たナウルホヘが次第に大きくなる。登高意欲をそそるに充分な姿である。
メンバーの兵3人は挑戦すべく、ハイピッチで私とY氏から次第に遠く離れていく。私も足の痛
みさえなければと、悔しいがナウルホヘはちょっときつ過ぎる。



ナウルホヘ分岐
私とY氏はゆっくりとレッドクレーターを目指すことにする。ナウルホヘの分岐から急峻な山容が素晴らしい。3人はどの辺りまで行ったでしょうか。
サウスクレーターを横断すると急な岩場が待っていた。帰路が辛そう(;-;)

 私の足の状態で、時間に余裕があったらトンガリロ山に行きましょうと、なんとやさしいY氏でしょうか。
  
レッドクレーターから眼下にエメラルドの湖
奥にブルーレイク



レッドクレーターは不気味に大きく口をぱっくりと開けている。

トンガリロ山の分岐でランてタイムし、その後にトンガリロ山へ向かうことにした。
すると、そのトンガリロから下ってくる見覚えのある日本人が三人。ありゃ?今頃ナウルホヘの
山頂にいるはずのメンバーの兵ではないかい?
 兵3人はナウルホヘの登山口でその姿にタジタジし、急遽トンガリロに変更したのだそうだ。
前橋ハイキングクラブの雄者も寄せ付けない山なのか。
私とY氏は再び3人と別れ、トンガリロ山へ向かう。緩やかなアップダウンをいくつかくり返し、クレーターを眺めつつ、快適な稜線歩きである。
山頂は何の標識もなくちょっと残念であるが、目前のナウルホヘは一段と迫力があり、素晴らしく端正な姿に心魅かれた。
見渡す限り荒涼とした景色、地球を歩いている
って実感が湧く。トンガリ山は、すっかりと人が
途絶えて私たち2人の独占の山になった。
  

3人の兵と途中で合流し、溶岩流のすさまじい
姿を改めて思い知らされながら、登山口に到着
した。
下山口まで人と出会う事も無く往路と違って、静
かな山を楽しむことが出来た。

 今回のニュージーランド トレッキングは予定通り無事に終了した。
初日から足の痛みに泣く私を気遣ってくれた4人の男性諸君!「お世話になりまた!ありがと
う!」 この言葉と同時に私の胸に熱いものがこみ上げて、目はウルウル(;;) 
誰もいなければ 私は大泣きしてしまったでしょう


スコーテルに3泊し、翌日は再びオークランドへ430kmを車を飛ばした


 途中のロトレアの地熱温泉でのんびりと久しぶりに温泉に浸かった。混浴のため、水着着用
だったが、山で出会ったグラマーな彼女たちには見劣りする私は心配しながら辺りをキョロキョ
ロして入浴したが、幸いこの時間帯は私を含め老人ばかりでした。
     
                     入浴料 20ドルのスパ
 
           タウポからロトルア周辺はいたるところで地熱が噴出し
           走行中も白い闇が続き、運転も危険状態でした。


ホテルのレストランでと思いながらメニューを眺めて止めとこう、てな具合で結局は外食はたっ
たの1回、あとは自炊とスーパー仕入れ食材で済ませた。

オークランドに1泊し、最後の晩餐の予定が、駐車違反で掴まり罰金の払い込みやら安い駐車
場を見つけたりで街中を歩き回った。揚句、疲れ果てた5人は、スーパーで食料をゲットし、ホ
テルのキッチンで“チーン”の世界です。

エレベーターの無いホテル、3階へ重いスーツケースの上げ下ろし、痛い指に更に負担をかけ
ヘトヘト。

ニュージーランドのゆったりした世界から帰国したら生き方を変えようと思った私だが、成田到
着でこれは無理じゃと悟りました。日本の慌しい人の波と時間に追い立てまくられ、重いザック
を背負って、スーツケースを押し捲り、上野駅の構内を走り廻って、すきっ腹で電車に乗り、あ
ーもっとゆとりが欲しいよ。また元通りの生活が待っていました。


 我が家のお風呂と日本の食べ物の美味さに改めて敬意を表した。

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