磐 梯 山

青春時代の古びた1冊のノートから

S35.7.7〜10

7月7日
 前橋発7時28分(列車は12分遅れる)。高崎駅で約1時間待ち。上野駅にて東北線郡山行き
に乗り換える(11番線ホーム)
大変な混雑で座れるかどうか心配したが、どうにか通路を挟んで4人は席に着くことができた。
満員列車で東京の人たちが多く、うっかり田舎言葉も出せない、ちょっと情けない。でも見栄は
ることはないのだ。  (かなり見栄ぱりだったのだろうか)
眠気を催すが寝心地が悪く全く眠れない。
上司のNさんは通路に新聞紙を敷いて寝転んだ。汽車の震動で大きな体はゴロリゴロリとびあ
樽の如く横揺れしている。

7月8日
 朝6時頃猪苗代駅に到着。駅で朝食を摂り身支度を整える。なんとなく寒気がするのでセータ
ーを出して着る。駅前から登山口までバスに乗る。慶大の山岳部だろうか、大勢いた。
バスを下車し、いよいよ歩きだ。冗談を飛ばしながら田舎道を歩く。チョコボールが美味しい。
  
 赤埴山を登り始めると、はるか後方に猪苗代湖の広々した姿が現れた。山道を休みながら
スキーリフトに沿って登る。リフトに乗るところらしい物干し場のような所で30分休憩。ごろっと
横になると、なんだかボーッとなっていつの間にか眠ってしまったようだ。気がつくと霧が深く急
に寒くなった。「私は眠れないなんて言っていたけれど、良く眠るじゃないか」といわれたが自分
でも驚いた。
 霧に中を上へ上へと・・・・しばらくして天の庭と称する、その名の通り良く行き届いた豪邸の
庭かと思われる様な木や石が素晴らしい。大小の岩に白い丸印が付いてあり、それを頼りに
磐梯山へ向かう。あたりは一面のガスで10メートル先も見えない。木々は少なくなり、岩や石
のゴロゴロした道に変わり、そのうち雨が降り出してきた。雨音は次第に激しくなり雨具を出し
た。風が出てきて、風雨はさらに強くなった。山頂まであとわずかという所で諦めて方向を変え
川上温泉口へ向かった。

火山岩の道、足元が危ぶまれる。霧はますます深くなり、傾斜がきつくなった。火山壁で5m先
も見ない。足を動かす度に足元の石が崩れ、先の見えない谷底へ音を立て落ちていった。
いくらか雨は小降りになった。冷や汗が出るが、スリルがあり面白い。同僚のMさんは顔が真
っ青だった。
急さかを無事に下り、はじめて人に会った。小雨の中で昼食を済ませ、視界は火山岩ばかり
ののなか、ホテルへという丸印を辿って、デコボコの道をひたすら歩く。あたりは全く静かだ。
まもなくスキーリフトある土の道に出た。雨はすっかり上がり、元気が急に出てきた。
東京の人らしいグループに出会った。友人のMさんに良く似た男性がいたが、余ほど聞いてみ
ようかと思ったが、声もかけられなかった。  (私ってこの頃から内気だったんだ)

「お先に」と私たちは彼らから別れ、小鳥のさえずりに耳を傾けながら五色沼へ向かった。桧原
湖で一休みし、出かける頃にまた雨が急に激しく降りだした。小降りになるのを待って出発し
た。

幅1・5mほどの道をしばらく行くと所々に美しい色の沼に出た。それぞれに名前が付いてあっ
た。      (五色沼だったのかな)

その付近は全く静かでルリ沼は神秘的に雨の中にたたずんでいた。
バンガローの見える五色沼山荘に到着したのはそれから間もなくだった。バンガローを借り受
け夕食の支度に取り掛かる。雨のためか、なかなか火が燃えず一苦労だった。どうにかご飯ら
しいものにありつけて、ホッとした。

7月9日
 昨日の天気と打って変わって心が弾む。毘沙門沼はまるで絵の具で色付けしたように澄ん
で、その上を一艘のボートに白いワンピースの女性が静止した湖面を動かしていた。
後方に聳える磐梯山は、山頂は今日も姿を見せず、昨日私たちが下った山肌が白く不気味に
見えた。
横向温泉まで1時間半急行バスに乗る。
バスを下りてバス道路を歩いてスカイラインとの三角点に向かう。途中でフジテレビの撮影をし
ていた。安達太良山、吾妻山の美しい姿を眺めることができた。
野路温泉まであとわずか、まだ昼食を食べていないが旅館まで我慢して歩く。
何日か振りで畳の上に座ることができた。
お風呂に入り、浴衣に着替えると気分が落ち着いた。

7月10日
10時頃まで凄い風雨、寒くてアノラックを着込み歩くのが大変なのでバスに乗り込む。
ところが間もなくして天気は回復し、暑さはやはり夏を思わせる。
バスに乗るのじゃなかったー。歩きたいなぁ。しかし、バスは福島市内に入り、丁度12時頃。
12時40分の汽車で前橋に向かう。

小山まで来ると暑さはますます厳しく、山の濃霧が無性に懐かしく恋しく思えた。

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