亡き友 みつるさんの思い出の山
           
   山が大好きで、いつも明るくお茶目だったみつるさん
    のんびり屋のみつるさん、どうしてこんなに早く逝って しまったの?
誰にも病を告げず、どんなに寂しかったことでしょう

二人で登った山の思い出をいつまでも忘れないように
         大事に大事にここに記しておきたいと思います          





               大雪山縦走           1998.7.11〜13


 初めての北海道行きに私の心は躍っていた。Gハイキングクラブ主催の大雪山八の字縦走
にみつるさんと参加申し込みしたのであった。
集合場所はM駅前、偶然にも以前ママさんバレーのチームメイトのご主人K氏が同行だった。
久しぶりの再会が羽田に向かうバスの中とは驚きだった。
K氏は単独参加だったので終始私たちと一緒の行動になった。
 初日は富良野ラベンダー畑、美瑛のパッチワークの丘など、観光した。K氏は山岳写真のサ
ークルで活躍して、以来私は展示会には欠かさず拝見させていただいてます。         
 


  
         みつるさんとラベンダー畑にて                     美瑛 パッチワークの丘


11日 美瑛、富良野を観光。旭岳温泉泊
12日 姿見池〜旭岳〜北鎮岳〜石室泊
13日 石室〜北海岳〜間宮岳〜中岳温泉〜裾袷せ平〜姿見池


     
             翌日の旭岳

 生憎の雨、風が強く剣が峰までが辛かった
 噴火口に落とされてしまいそうだった
    
          姿見池 
 旭岳を過ぎると大雪渓が広がっていた    
 天気は回復し、エゾツガザクラ、エゾシャクナゲ
 の大群落に感激
 さすが北海道!!
 お花畑のスケールの大きさに驚き
 
         エゾツガザクラ
  お鉢平は大雪山の中心部にあり、直径2km
  の大噴火口
  富士山が800m、比較するとなんと大きいの
  だろう 
  北海道のダイナミックなこの景色は見なけれ
  ばわからない
  以来私は北海道贔屓になってしまった
      
  

       
   平坦な間宮岳から 北鎮岳へ    
           北鎮岳山頂
        
   宿泊地 黒岳石室に到着
   黒岳は希望者のみとなったが、もうバテバテ
   の私たちは石室周辺を散策したりキタキツ 
   ネやシマリスの出現に大騒ぎでした
   
   キタキツネ           シマリス
   ところが、さすがカメラマンのK氏は姿がし 
   ばらく見えないと思ったら素晴らしい写真
   を撮っていたのだった

   石室は蚕だなの様な天井の低い上段に、
   詰め込まれ、シュラフが二枚づつ貸与され 
   た。隙間風が冷たくなかなか寝付かれなか
   った。食事の用意の最中も狐が隙あらばと
   食料の入ったビニール袋を狙うのでのんび
   りしていられない。
    
 

           石室にて
           
                       
  翌日は快晴の中、北海岳、再び間宮岳経由
  中岳温泉に下りた。
  途中のコマクサのお花畑で、登山道からちょっ
  と外れて写真撮影していた人がいた。何処で 
  見てなのか巡視員が跳んできて、本人はもち
  ろんリーダーまでキツイお叱りを受けた。
  よい薬じゃ!(`_´メ)  
 
          北海岳
                  
  中岳温泉は急降下した登山道のすぐ脇にあり
  深さは膝くらいだ。
  好奇心の塊のようなみつるさんが入らないわ 
  けはない。下着になり大勢のハイカーの注目
  を浴びながら、「写真撮ってー」私は他人の振
  りをしたかったのに・・・・・
  両手を上げ、にっこり笑っている写真が私の
  手元にないのがとても残念だ。
  温泉の付近の岩場にエゾリュウキンカが密生    
            
                   もう一度この景色に出会いたい

 初めての北海道の山は私に大きな感動を与えて、みつるさんの思い出は深く残っています

 大雪山から二年後、偶然ってあるものですね。浅間隠し山へ薬師温泉口から登山した際、カ
メラを担いで上がってきたK氏と再会した。石楠花の花を撮りに来た彼は時期が遅いとわか
り、私たちと一緒に下山した。もちろんみつるさんも一緒でした。



  常念岳〜蝶が岳           1998.9.22〜23


  出発前夜、翌日の台風予報をしきりとテレビは報じていた。みつるさんと何度も電話で連絡
取りながらキャンセルしようか迷っていた。今回はGハイキングクラブに参加の予定だった。
夜10時過ぎ主催者から予定通り実施の連絡があり、翌朝集合場所のM駅に駆けつけた。
当然ザックは厳重に防水対策をし、靴にも防水スプレーを惜しみなく吹き付けた。
大型バスに30人以上は乗車していたようだ。コースは安曇野からヒエ平のらくらくコースだ。
登山口から林の中をぞろぞろ歩くが、雨はこの頃が最悪状態だった。昼食も落ち着いて食べ
ることが出来なかった。何をどう食べたのか全く覚えがない。いよいよ胸突き八丁の急登が始
まった。樹幹越しに花崗岩の燕岳がきれいに見えた。今、思うとその時は雨は止んでいたよう
な気がする。

常念小屋に到着した時は、びしょ濡れだった。悪天候に拘わらず小屋の混雑は蜂の巣を突い
たようだった。みつるさんはザックの中までびしょ濡れでもちろん着替えも濡れてしまっていた。
私の下着を貸してあげ、上着は乾燥室で乾かした。乾燥室は所狭しとハンガーに雨具、床に
は登山靴が広がり足の踏む場がないほどだった。

着替えがすっかり終わりやれやれとほっと一息という時、とんでもないことが起きたのだ。
二階の部屋の隅に置いた私の靴が無いのだった。
下駄箱には濡れた靴の跡があるだけだった。
それから休む間も無くみつるさんと小屋中の下駄箱をみて回り、その間もしきりと雨具の取れ
違えのアナウンスが流れていた。
すっかりしょげかえった私にみつるさんに小屋の管理室に行ってアナウンスしてもらったらと言
われて、私は階下に下りて行った。そのとき丁度一人の女性が登山靴を持ちしげしげと眺めて
いた。なんとその靴はまぎれなく私の靴だった。

下駄箱にはもう置いておくことは出来ない。みつるさんと二人で内緒に枕元に隠し持っていた。
そのとき「槍が見えますよー」の声に部屋中の人はいっせいに外へ飛び出した。
小屋の背後にスクッと槍の穂先が見えたのだ。みつるさんと二人で歓声を上げたのは今でも
はっきりと脳裏に浮かんでくる。
            
                   夕方小屋の前から雲海が素晴らしい
 
翌日の常念から蝶が岳の縦走は台風一過の晴天だった。
穂高連峰は右にずーっと私たちと一緒だった。
行く先の稜線は紅葉真っ盛りで、ナナカマドの鮮やかな赤に感動したものだった。
                 
         稜線の紅葉                  稜線から槍岳・穂高
 

蝶が岳から三股までは長い長い下りだった。途中の林道が土砂崩れの為バスが入って来れ
ず、私たちはかなり予定よりオーバーして迎えのバスまで歩くことになった。
大人数の為、時間にばらつきがあり、かなり遅い時間になったが、みつるさんと私は疲れも無
くトップに帰り着いた。

              
                  穂高連峰をバックに蝶が岳山頂





  谷急山            1998.2.11
 確か登山の2、3日前珍しく大雪が降ったと思います。今の私なら躊躇することなくキャンセ
ルしたと思う。だが、みつるさんと勇んで集合場所のT駅へ駆けつけた。某登山クラブの募集
に参加したのだ。男性のリーダーの他、あとは中高年の女性のみ。
谷急山は妙義山塊の最高峰で碓井バイパスから大きくその姿を望むことが出来る。道の両側
は雪が残り、吐く息は真っ白寒々した山が待っていた。
 路肩に駐車し、簡単な自己紹介して、「雪道だから女道を行きます」リーダーの後に付いて、
登山道に入り込んだ。いきなりの雪の急斜面に気合を入れなおした。必死に前の人に続いて
歩いた。登山道に大きな足跡があったが、リーダーが前日に下見に歩いた足跡だった。
沢沿いの道は雪が多く、時々ズボッと足が埋まったりした。あの時はアイゼンは装着しなかっ
たと思う。雪山も初めてだったかも知れない。前衛峰で12時を回ってしまい、そこで昼食にし
た。あの時みつるさんが持参した鯖の味噌煮缶がとっても美味しくて、その後に買って食した
が、あの時と同じ味の缶詰に出会ったことがない。山で食べるもの皆旨いのかもしれない。
山頂まではリーダーにロープで一人ずつ確保してもらい、かなり時間を要した。
山頂に到着したのは、午後2時20分だった。

         
 
谷急山々頂

下山は途中で暗くなりヘッドランプもなく、雪明りの中、往路の踏み跡を頼りに午後6時30分に
登山口に到着した。
リーダー曰く、「雪の谷急山をやったのはちょっと自慢できるよ」
私とみつるさんは微笑み返し、感激したものだった。
この後入浴に妙義山麓のホテルに立ち寄ったが、林道がアイスバーンで車が一回転し、山よ
り車で事故ってしまいそうで怖い思いだった。

雪の中で谷急山の真の姿を見ることが出来なかったから無雪期に是非来て見たいと思った。
思いがけず、翌年岩の平から山頂を踏むことが出来た。
いとも簡単に登れる山で所要時間は長いが、比較的楽な山だった。





    戸隠山                  1999.10.17

 この日は私の誕生日でした。でも、私には誕生日だったのに全く意識が無かったようです。
写真の隅の撮影日で今日始めて知ったようです。
 戸隠山は、手強そうな山だけど、是非行ってみたいね。と以前から話していました。
待望のこの山に今日はいよいよ挑戦です。
 戸隠神社の奥社まで参道の杉並木の下を進む。やがて社務所に到着。わずかなお賽銭を
あげて、今日の安全登山を祈願する。

社務所の脇から登山道に入ったが、樹林の中、結構急登だったようだ。やがて五十間長屋、
百間長屋と呼ばれるオーバーハングした岩場にでる。この先いよいよ岩場、次々に鎖が現れ
てきた。まだその頃は鎖に慣れていなかったが、恐れも知らず、ガンガン登った。途中で仲間
から置き去りにされた可哀想な大学生が一人鎖にしがみ付いていたが、どうにもしてやれな
い。岩場はますます、厳しくなってくる。最大の難所、蟻の門渡り、刃渡りのナイフリッジ。先頭
を行く茂木さんは「おっかねぇ」と言いながらも立ったまま渡ろうとしている。私は両脇がスパッ
と切れて下を見るのも怖い。岩稜上を跨ぎゆっくりゆっくりとお尻をずるように進む。わずか進
行方向に下がっているようだ。無事難所を通過し、後ろについている筈みつるさんの姿が見え
ない。いつまでたっても見えず、ほかのパーテェーが通過して行く。気が揉めてきた頃、彼女の
姿が現れてほっとした。「私ね怖いから、ザックの中に余分な物みんなしまってきたの」とぜん
ぜん怖そうな態度でない。
   

    
戸隠山の紅葉に無事通過した私には殊に美しい景色でした。置き去りにしたグループのリーダーらしき学生さんが、「ここはアルプスより厳しいですよ」と、
みつるさん「本当!じゃ、アルプス行けるね」と満面の笑みを浮かべていた。そして、可哀想な仲間にそこで待ってろ、俺たち山頂行ってからそっちに戻るからと、忙しく去っていった。
       蟻の刃渡り
       
 みつるさんの嬉しそうな顔、いつも活き活きと好奇心いっ
ぱいです。
山頂から緩やかな尾根をしばらく歩く。断崖から岩場の紅
葉がすばらしい。一不動の避難小屋までは篠竹が刈られ
て、滑りやすく下りの苦手な私はみつるさんの後を追うの
が容易でなく、とっても焦ったものでした。途中から戸隠連
峰の盟主高妻山の堂々とした姿に惹かれた。避難小屋は
周りが汚く、印象悪く、ここには絶対泊まれないと思った。
休憩していると高妻山から下りてくる人たちが皆膝がよた
っていて、大変な山なのだろうと感じた。

 やれやれここからは歩きやすい道かと思いきや、またま
た鎖場が現れた。思い出してもいやらしい帯岩のトラバー
スの鎖の下がった濡れた岩場だ。

高妻山はあの帯岩を通過しなくては行けないと思うと、今
も高妻山は私には遠い存在なのだ。
        
    山頂にて          
  




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