熊野古道を歩く
                                              2005.5.3〜8
          いにしえの人の想いを一歩一歩踏みしめながら
       苔むした石畳の道を歩き、ロマンを求めた6日間の旅。
  世界遺産の熊野古道を訪れる事が出来本当に素晴らゴールデンウィークでした
   

スケジュール
  5月3日  太地町国民宿舎「白鯨」   (泊)
  5月4日  潮岬〜橋杭岩へ日の出見物〜熊野速玉大社〜補陀洛山寺〜大門坂
         熊野那智大社〜青岸渡寺宿坊(泊)
  5月5日  大雲取越 舟見峠〜地蔵茶屋〜越前峠〜小口自然少年の家(泊)
  5月6日  小雲取越 桜茶屋跡〜石堂茶屋跡〜松畑茶屋跡〜請川〜湯の峰温泉「よしのや」(泊)
  5月7日  大日越   熊野本宮大社〜玉置神社〜竜神温泉「切林」 (泊)
  5月8日  護摩壇山〜高野山観光〜帰宅

第一日目 5月3日  AM 5:30出発〜国民宿舎“白鯨”PM5:00
 高速道路の渋滞はなかったが、和歌山県に入って一般道はさすが観光都市何時になったら
宿泊地に到着するのだろうか。新宮大社あたりは大渋滞。しばらくぶりの大海原に歓声!!
貴重品の鯨の刺身と竜田揚げを特別注文し、10人喧嘩しないように仲良く味見する。
                
          海はやはり若者が似合う              国民宿舎“白鯨”

第二日目 5月4日   大門坂〜那智大社

 朝4時起床し、橋杭岩へ日の出見物に出かける
 途中の道沿いに淡いピンクのモチツツジが咲き乱れていた
 奇岩の立ち並ぶ橋杭岩は既に大勢のカメラマンが今か今かとカメラを構えて太陽の出現を待ち構えていた。私もデ
 ジカメ、携帯電話で画像をおさめる。
       
          橋杭岩の日の出                   

 今日は熊野三山の一つ熊野速玉大社へ向かう参道の御神木“なぎ”は樹齢1000年の大木
 鮮やかな朱塗りの本殿は熊野速玉大神が祀られているそこから徒歩15分の奥の院”神倉神社”へ向かった
 鳥居から鎌倉積みの石段を約500段、しかも急勾配を登りきったところにご神体の巨岩のコトブキ岩があった。
 この階段に私達はみっちりとエネルギーを絞られてしまった。もうへとへと・・・・・

                      
           補陀洛寺                                
 神と仏がここで別れたと言う補陀洛山寺で今日のガイドさんと会い、那智の大滝まで同行となる。。ラッキーな事に
 このガイドの大久保さんのお陰でこの寺の世界遺産の三貌十一面千手千眼観世音菩薩に出会えたことだ。
 写真とは異なり、実物はとてもふっくらとした良い顔立ちの檜の一本造りの仏像です。その顔に惹きつけられて仏 
 像がこんなに魅力あるものかと感動した。ここには渡海した舟が展示されその中に平惟盛の名も記載されてあっ 
 た。入水したとかしないとか言われていたが、改めて平家物語をひも解く事になりそうだ。

         
           熊野新宮大社                           奥の院 コトブキ岩


  いよいよマイクロバスと別れて熊野古道に入って行く。
  大門坂の石畳の両脇の杉の大木の中、薄くらい中、平安衣装を纏った若い女性の姿にカメラが集中。 
  熊野那智大社へのぼる参道で樹齢800年と言われる夫婦杉に迎えられ、苔むした石畳が500m続くのである。
  ガイドの大久保さんの足取りはすっごく快調でついて行くのがやっとだった。 

  
   竹の太さにびっくり                  大門坂                平安衣装の女性

  青岸渡寺の宿坊にザックを預け、那智の大滝に向かう。
  とにかく石段が多く、もうへとへとだ。(;-;)  ?年前新婚旅行でこの紀伊を訪れたのだが、昔と変わらず大滝は
  山全体が凛とした霊気を漂わせ、豪快なしぶき音を轟かせていた。

  
     熊野那智大社              歴史を感じる宿坊        宿坊の窓から三重の塔と那智の滝

  宿坊の夕食は予想外の美味しい懐石料理(゜ρ゜)
  空腹に耐えかねて料理の写真撮影すっかり忘れてしまった

第三日目 5月5日   大雲取越え   雲上の峠道    
  
5時起床し、宿坊の一日は読経から始まる。本堂でお
坊さん達と読経し、住職さんから有難そうなお話を聞く
が無信心な私は話の内容は全く覚えていないのであ
る。困った人だ。ばちがあたるぞ(=^ェ^;=)
  AM6:50 いよいよ、今回最大の難所の大雲取越
えだ。頑張るぞー!! 境内の脇の石段を進み、古道
に入ると、鬱蒼とした杉林の中の石段を登る。あたりは
ウグイスや小鳥達のさえずり、鹿の悲しそうなキューン
と言う声。朝の清々しい空気に鳴り響いた。舟見峠まで
2時間余り、彼方に峠の展望台が見えてなかなか到着
しない。
 ようやく舟見峠だ。そこからは大海原の熊野灘が一望
出来た。大休憩をとり、コーヒータイムだ。久々に飲むコ
ーヒーの味は最高だった。
      
        苔を台座に佇む地蔵

 
          苔むした石畳
                
     

  地蔵茶屋跡は林道沿いにあり東屋、トイレ、水場があり、休憩に最適な茶屋跡だ。この地蔵堂に小さな33体のお地蔵様が祀られてあった。
 ここから石倉峠、越前峠、胴切坂を経由したのだが、こあたりなぜか雑木林の中に大きな丸い石がゴロゴロしているのだ。どれもこれもご神体になりそうな石ばかりだった。
       熊野の神々が集う円座石  
神々が座って談笑したりお茶を飲んだりしたといういわれのあ
る4つの大きな苔むした大石で円形の座布団、円座(わろうだ)
にちなんものだ。大石には梵字三字が彫られており、それぞれ
那智、新宮、本宮の本地仏の阿弥陀仏、薬師仏、観音仏を示
している。
 
 厳しいアップダウンのこのコースは苔むした石仏、石畳の神秘の熊野を充分に堪能して大満足の一日でした。
”小口自然の家”に到着したのはPM4:00

第4日目 5月6日  小雲取越え

今日は小雲取越え、如法山腹の穏かなアップダウンの続く快適な尾根歩きと言うこと。
古道の案内標識の下にご親切に杖が置かれてあった。「ご自由にどうぞ」と・・・・
起点の小和瀬から古道に入ると急な石段が視野いっぱいに現れた。朝から小雨がぱらついて
雨具は不要だが傘を片手に背中には重いザックが圧し掛かっている。この石段、石畳は崩れ
やすい急斜面や社寺へ通じる特別な参道に作られた。雨量の多いこの地に石を何層も積み
上げて水はけを良くしてあるのだそうだ。汗水流して作った道は今も昔も変わっていないよう
だ。連日の長歩きで足は悲鳴を上げ始めているようだが昔人の苦労した石段は私の心にやさ
しく一歩一歩に伝わってくるようでした。。幅広の急な道を歩くこと2時間でようやく桜茶屋に到
着。名の由来はこの辺り桜の木が多くあったので付けられたそうだ。その昔、ここの主は麓の
小和瀬のはずれに白装束の巡礼の一団を見かけると大急ぎで餅をつき湯茶の用意をして待
っていたという。なんと長閑な話であろうか。
次の休憩地ま穏かな尾根歩きでほっと一息できた。杉の木立は昨日とうって変わって白い霊
気に包まれて幽玄な世界を見ることが出来た。

    

 

           幽玄な木立

          
石堂茶屋跡あたりは殊にその雰囲気が強く漂い、杉の木立の奥から昔人が現れてきそうで
した。それがきぬずれの音をさせた女人か、傲慢そうな皇族か、あるいは埃まみれの農民
だろうか、いずれも深い悲しみを胸に抱いていたのかもしれない。蟻の熊野詣と言われたこ
の古道はさぞ賑やかであったろう。熊野権現は浄不浄、貴賎、そして男女を問わず受け止
めてくれた心の広い神だったそうだ。
当時の賑やかさと裏腹に昨日青岸渡寺を出てから今日まで数人の人に出会っただけでまっ
たく静かな山道だった。この石堂茶屋跡は昔、旅人を殺害し、金品を奪ったり物騒な言い伝
えが残っていると言う。今日のようにひっそりとした日は女の一人旅は恐い話だ。
 峠道には幾つもの歌碑が建立されてあり、この石堂茶屋跡にも
           “歩まねば供養ならずと亡き母がのたまいてゐし雲取来ぬ”
雲取越えは当時の人たちには難路だったのだろう。どのような気持でこの石畳を踏んでいっ
たのだろう。途中幾つも無縁仏があり、日頃しんぶつに無関心で邪道な私も故人の無念の
死に極楽浄土を祈らずにいられなかった。
相変らず雨は降り続き。ビューポイントの百間ぐらは熊野参千六百峰の山並が一望出来る
はずだが、残念ながら霧の奥深くに隠れてしまっていた。しばらく霧の流れることを期待した
が、傍らに佇むお地蔵様に冷たい雨は止むことは無かった。諦めて歩き始めると、道端に
可憐な黄色のキンランの花を見つけた。こんな所にたった一輪の花、もしかしてこれは平安
のお姫様の化身ではないだろうか。
        
        百間ぐらからわずかに見える山並
     
             雨に咲くキンラン   
 夜の宿泊地、湯の峰温泉までアスファルトの国道を歩くこと1時間半、なのに半日も歩いた
かのように長くきつい行程だった。湯の峰温泉は日本最古の温泉、しかも世界遺産に登録さ
れた唯一の温泉だ。熊野詣での湯垢離場(ゆごりば)として名高い。ひなびた情緒溢れた温泉
街である。「よしのや」の若夫婦に温かく迎えられ、部屋に落ち着くと雨音は一段と強くなった。
旅館の脇を流れれる湯に谷川の瀬音は豪快に鳴っていた。
 ぬるっとした肌触りの良いお湯につかり深い眠りにつく頃、宿のご主人とリーダーは補陀洛
寺に駐車したマイクロバスを本宮大社へ移動に出かけたのであった。

第5日目  5月7日  大日越え 
 
 湯の峰温泉からすぐ裏手の湯の峰王子に立ち寄り、熊野大社にむかう。またまた急勾配の杉の木立、雑木林の山
道に入った。みちが平坦になると、変ったシダの群生地があった。これが天然記念物ユノミネシダなのだろうか。
      
       ユノミネシダ                               月見丘神社の祠

 鬱蒼とした森の中を下っていくと何やら下にトイレのような建物が見えた。だ−れだ!トイレだなんていった人は・・・
それは月見丘神社だったのだ。

     大日越えの終着点
いよいよ最後の熊野本宮大社。
国道を渡り大斎原へ向かった。
明治22年大水害まで本宮はここにあったそうだ。ここには日本一の大鳥居が立っていた。

            日本一の大鳥居
    熊野本宮大社はさすがに歴史を感じる立派な本殿だ。
  平家一門、そして院政の時代、白河、鳥羽、後白河の三法王もここを拝んだらしい。
  
  
    本殿に向かう長い石段      本殿   アレッ!何拝んでるの?        有難そうなお経?


 本宮の奥の院、玉置神社に向かう。
十津川村の玉置山は大峰奥駈道南部の霊峰だ。山頂直下の玉置神社の歴史は古く神武天皇の東征にも登場する
がそれ以前から信仰を集めていたらしい。急なジグザグの細い林道を玉置山に向かってバスは走る。眼下に熊野
川、十津川の部落が小さく見え、急峻な坂道に恐怖を覚えた。車が進むほどに周りは新緑が美しい。
 駐車場から巨杉の中を行くと、真っ盛りのシャクナゲの花が目を惹いた。本殿の周りには樹齢3000年とも言われ
る「神代杉」があった。さすが玉置山を代表とする霊木の風格がある。山全体がしっとりとして霊気に満ちているよう
だ。
   
          本殿                   巨杉               境内に溢れんばかりシャクナゲ
 
 道の駅で昼食後、今夜の宿泊地、山に囲まれた。“竜神温泉”へ向かった。
この温泉は島根県の湯の川温泉、群馬県の川中温泉と共に日本三美人の湯として有名。
泉質は無色透明、ラジウムの放射量が豊かなナトリウム炭酸水素塩泉。お湯につかると、お肌がすべすべ滑らかな
る名湯。私は4回も入り、帰宅後もなんやらお肌がなめらかになったようでした。


第6日目  5月7日  護摩壇山〜牛馬童子〜高野山
 民宿“切林”を7:30出発。高野龍神スカイラインを護摩壇山に向かう。標高1000Mの幾重にも連なる山並は今芽
吹きが始まったところ。山襞を縫うように進む。
護摩壇山の駐車場から明るい雑木林の緩やかな山道を小鳥のさえずりを楽しみながら歩いた。
こまどり、シジュウカラ、オオルリなどが自慢の喉を競っているようだ。
                 
    和歌山朝日夕陽100選の地

熊野古道中辺路の道の駅から徒歩で 
箸折峠の宝塔のそばに牛馬二頭の背にまたがった僧服姿の石像があり、これが花山法皇の熊野詣の旅姿だと言
われている。この花山法皇は17歳で法皇の座につき、19歳でその座を追われたという。

      
                             牛馬童子


更に車はスカイラインを走ると、途中にシャクナゲ花園村があり、真っ盛りの1000株のシャクナゲが素晴らしい。ま
だ開園にならず、恨めしく下から山の斜面を眺めただけ。

     

 やまの中腹にミツバツツジが目立ち、車窓の景色は飽きる事が無かった。
やがて最後の観光地高野山。
 
                   高野山
 奥の院のお墓参りをするが、参道沿いに墓が10万とも20万基ともいわれ、その数は数えきれないようだ。
武田信玄、上杉謙信が参道を挟んでならび、織田信長、徳川家、江戸藩主のお墓も多い。そして高崎十五連隊、春
日局、花菱アチャコなど親しみ深い名の墓もあった。時間の制約があり、ゆっくり見る間もなく急ぎ足で金剛峰寺に向
かった。
         
             奥の院の参道                              金剛峰寺

 慌ただしく高野山を歩いたが、時間があればもっとゆっくりと高野山の懐の深さに触れたかった。

AM11:30高野山を出発し亀山インターから一路渋滞も無く、PM11:00無事我が家に到着。




                                 
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