中山道を歩く (その18)               
                須原宿~野尻宿~三留野宿~妻籠宿~馬籠宿~落合
宿                      
                                           
2012.11.17~19
                              

参加者 CL藤井、SL田所、(車両)星野、小野里、(会計)川野、桑子
山口、野中、亀井、新井、宮沢、、篠田、桜井、福島

一日目
浜川P5:00→→9:00倉本駅9:30~須原駅11:30須原宿~野尻宿~あてら荘泊
二日目
あてら荘~三留野宿~妻籠宿~大妻籠宿つたむらや泊
三日目
つたむらや~馬籠宿~落合宿~中津川駅→倉本駅倉本駅




9:30 倉本駅
2,3日前から風邪気味で前日も雑用に追われお医者に
行っている間がなく、買い薬、保険証を持参して我が家を飛び出した。

天気予報は初日の今日は雨。
中山道でも今回のコースは一押しのハイライトコースなので降らなければ良いが・・・
出発時は曇天の空だったが信州に入り待ちきれないように雨に
なってしまった。
前回の終了地点倉本駅に予定通り9時に到着した。
無人倉本駅(右の坂上)に寄り、雨具の着用から始まった。


中山道と小さな標識を見て山道に入り、木曽路らしい道と頷きながら
急登を喘ぎながら登り、最初のチェックポイントの常夜灯が見当たらず
途中の標識に疑問を持ちながら、あーだのこーだの・・・・・


左に在るはずの常夜灯と庚申塔が右にあった。?????

しばらく歩き「ありゃ!見たことのある道に出た。
なんてこった!振り出しに戻ってしまった。
雨の中の1時間のロスタイムだ。
傘を片手に地図を見ることもままならず、最初っからドジってしまった。

須原宿


中山道39番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡大桑村
宿内家数は104軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠24軒で宿内人口は478人であった。
 


11:25 須原宿
最初の宿場 須原宿の街並みは人通りは少なく静かで14人の旅人の
話し声が響いているだけだった。

木曽路はすべて山の中・・・と、藤村の夜明け前の冒頭にあるが
幾重にも重なる山間に霞がたなびく様は幽玄な雰囲気が漂い、
これはこれで楽しい世界だ。

片手に持ったガイドマップはもうびしょ濡れだ。
 

11:45 須原宿一里塚跡 


須原宿の古い街並みの至る所に水舟があり旅情を誘う。
これは桧の丸太をくり抜いて裏山から湧水を引き共同井戸として
今も利用されいる。
柄杓が置かれて飲用できる。


11:50 西尾酒造店
脇本陣の西尾家は風格は充分で現在も酒造業を続けている。


12:00 定勝寺 木曾の名刹
山門、本堂、庫裏は桃山時代の建築で、重要文化財になっている。
境内に通じる両脇のモミジの紅葉が素晴らしい。
 

12:30 岩出観音 


13:40~14:10 大桑道の駅
お腹が空かなかったので、遅いランチになった。
持参のお弁当の人と食堂組に分かれた。
私はお蕎麦にしが、味はどうだったかすっかり忘れてしまった。
野尻宿



中山道40番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡大桑村
寛政3年(1791年)に大火に遭っている。
宿場通りの長さは奈良井宿に次いでおり、「七曲り」と呼ばれ町筋が曲がりくねっているのが特徴。

野尻宿の宿内家数は108軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠19軒で宿内人口は986人であった。 
14:45 野尻宿
木曾12宿のなかで奈良井宿に次ぐ長さだ。
古い民家が少し残っていて、「七曲がり」と呼ばれ。外敵を防ぐために
街道は曲げてあった。
宿場の始まりに「東のはずれ」終わりに「西のはずれ」という屋号が面白い。

まだまだ雨は降り続き、何時止むのかわからない。
ガイドマップはもうびしょしよです。 
 

15:00 下在郷一里塚
 
 

15:15 あてら橋
ダムに架かる橋を渡り左へ行くと フォパレスパ木曾がある。
 

15:30  あてら荘
やっと、疲れた足を引きずるように今宵の宿に到着。
野尻には街道筋に宿泊施設がなく街道から2,30分入った
公共温泉施設に宿を取った。

ビジネスコース6600円 夕食は4品しか付かなかったが、朝食は夕食より豪華だった。

従業員の応対も感じ良く、温泉24時間入れるのが嬉しいかった。
濡れた衣類、カッパ、靴は一晩ですっかり乾かすことが出来て良かった。
 
第2日目
 

今日は朝から快晴。
太陽がまぶしく感じる。両脇から迫る山はどの山も
紅葉真っ盛りだ。 
 

国道と中央線、木曽川を縫うように中山道は続いている。
こんな地下道をくぐり国道を抜けたりする。 
 

陽がさすと周りの山々は燃えるように、河原の花崗岩の白が一段と
美しい。
 

国道沿いに歩道があるので安心しておしゃべりに熱中。
右に南寝覚めの床、左は国道19号、その上を中央線が走っている。
この辺りは今はしっかりした道があるが、往時は木曽路最大の難所、
険しい山が木曽川に迫り、道を確保できず水害で度々通行不可になったり、
迂回路、与川道が峠越えをするために作られたという。
三留野宿 


中山道41番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町
南木曽駅の北が当時の宿場町の中心だが、1881年明治15年)の大火で多くの建物が
焼失したことに加え、鉄道が開通したため現在の町の賑わいは駅周辺に移っている。
宿内家数は77軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒で宿内人口は594人
 

10:20 三留野宿本陣跡・明治天皇御膳水 
 

10:00 東山神社仮宮
祭典の準備で付近の方たちが清掃していた。
ここでちょっと休憩。
 

 10:17 三留野宿

1881年明治15年)の大火で多くの建物が焼失したことに加え、鉄道が開通したため
現在の町の賑わいは駅周辺に移っている。

 

10:40  木材集積所
 

11:20 和合の集落はどこの家も庭園が素晴らしい
 

見事な紅葉。 
 

11:30 石畳の道 
 

11:33 上久保(うわくぼ)一里塚
 

11:35 水車小屋
 


石の道標
   右つまご宿
   左 志ん道
   下り道 旧道
 

11:50 妻籠城跡分岐
妻籠城址まで10分の上り坂。
さすがハイキングクラブの面々、全員ザックをデポして
城址までひと登りしてみる。
 

妻籠城跡へ向かう道は、すっかりモミジの葉は落ちて
道は真っ赤に染まっていた。
 

妻籠城は、いつ誰によって築かれたか明らかではないが、
室町中期には築城されていたと推察される。
妻籠城は、天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いの折、ここも戦場となり、
木曽義昌の家臣山村甚兵衛良勝が籠って、徳川家康配下の菅沼、
保科らの軍勢を退けている。また慶長五年(1600)の関が原の戦いの時も、
軍勢がはいってここを固めたが、元和二年(1616)には廃城となった。
妻籠城は典型的な山城で、空堀・曲輪、さらには南木曽岳にのびる妻の神土塁
という土塁も備えており、規模の大きな構えであったことが知れる。

主郭へは徒歩十分で、北は木曽川と遠く駒ケ岳を望み、南は妻後宿から
馬籠峠まで一望できる。

城址からは妻籠宿が眼下に広がり展望が良い。  

 
 
妻籠宿

宿内家数は31軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒で宿内人口は418人


 42番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町
隣接する馬籠宿岐阜県中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて
木曽路を代表する観光名所として名高い。
 

12:25 妻籠口留番所の跡
 

13:35 妻籠宿高札場と水車
ここから急に観光客が多くなり賑やかになった。
自由行動にすることにした。
 
 

昼食は全員でざるそばと五平餅 1000円也
五平餅は前回宿泊したむらちやがえごまのみそだれが抜群に美味しかった。 
 

13:12 本陣跡
ここの娘が馬籠へお嫁に行って生まれたのが島崎藤村、そしてその上の兄が
ここへ養子にきて、この本陣の当主になったとか・・・
 

13:04 脇本陣跡
1877年の建築、それまで御禁制だった木曽桧を豊富に使った重厚な構造。
代々脇本陣を務めた林家住宅を南木曽町が借り受けて公開。 


    


  
妻籠宿の街並み
 

妻籠宿から大妻籠宿へ向かう道は紅葉真っ盛りです・。 
 

もう間もなく大妻籠です
 

つたむらや
以前、秋篠宮、紀久子さまが学生時代お泊りになったという築120年余りの民家。 
1泊2食 7300円

築120年の民宿なのでトイレの心配したが、これはこれは近代的なトイレで
申すことはなかった。
お風呂は檜風呂で2.3人はゆっくり入れる。
ただ通路の天井が低いところがあって、頭を2度ほどぶつけてしまった。
 

囲炉裏を囲んで団らんのひと時

夕食まで裏山の藤原家住宅まで見学に出かけた。
昔の暮らしが偲ばれて私は初めて見る農機具もあった。
高台から木曾駒ケ岳が素晴らしい。
 
 

15:40 南木曽山の頂が顔を出しています。 
 

   
       夕食(美味しいどぶろくサービス)                朝食             
 
第3日目
 

つたむらや 7時出発 
 

杉の木立と石畳と紅葉の趣のある道 
 

7:45 男滝
 

 8:05 杉の木立
木曽路らしい道です。
 

8:20 一石栃立場茶屋

ここは木曽の山から切り出された材木に許可の焼印が押してあるかどうか調べて
抜荷を防いでいた役所の跡。
その先が立場茶屋で、今は一軒しかないが往時は7軒もあったという。
 

8:40 馬籠峠
山と山に挟まれて日陰は肌寒さを感じます。
馬籠宿

宿内家数は69軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒で宿内人口は717人


43番目の宿場(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。
かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年平成17年)2月の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。
1895年明治28年)と1915年大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、
その後復元され現在の姿となった。
石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、
史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。
ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館島崎藤村生家跡)がある
 

8:45 馬籠峠を越えると美濃路です 
中津川の標識が現れました。
 

9:00  この辺りから舗装道路は(ベージュと白のチップ)が混ざった
中山道路で、しばらくこの道を辿って行きます。  
 

9:08 美濃路に入ると明るい穏やかな山村風景になります。

農家の庭先でおばあちゃんが乾燥芋を作って、一袋100円で販売していました。
皆さん、私も私もって買い求め大分売り上げがあったようです。
 

 9:17 またまた石畳の道
 

気持ち良い中山道の小道
 

馬籠宿に入ります 
 

 9:45 高札場跡
 

    
馬籠宿の街並み
 


10:45 馬籠城跡
 

10:45 島崎正樹碑 島崎藤村の実父
   夜明け前の青山半蔵
  11:00 子規の句碑 展望台 


 
「これより北 木曽路」の碑
 

11:05 一里塚古跡 
 

11:15 再び、杉林の石畳の道は苔むした道です 
      とても風情のある杉林の石畳の道です。
      古の旅人になったみたいでゆっくり歩きたい!
 

11:20 落合の石畳 岐阜県指定史跡
 

11:50 落合の落ち着いた街並み 
 

11:50 常夜灯 
 

11:54 落合宿脇本陣跡 
 

11:55 落合本陣跡
 

落合の大釜

文久元年(1861年)、皇女和宮の大通行時には、4日間で延べ約26000人余が
落合宿を通った。当時、暖かいおもてなしをするため、
各家のかまどは引きも切らず焚きつづけられた。
ここに展示してある「大釜」は、「寒天」の原料(天草)を煮る時に
使用されたもので、容量は1000ℓを超える。(口径約1.5m)

12:00~12:30(昼食) 落合役場跡地公園
ベンチトイレがあり陽だまりでランチに恰好の場所でした 

 

12:45 高台に上がると恵那山が大きく立派に見えました。
 

12:55 与板立場跡
 

13:00 子野の一里塚跡 
 

13:10 子野地蔵堂跡の枝垂桜
 

13:25 双胎道祖神


13:26 尾州白木改番所跡
 

13:33 中津川高札場跡 

今回は中津川宿までの予定だったが、電車の回数が少なく14:32の次は17時過ぎになるため
残念ながら高札場のみで中津川駅で終了することにした。

中津川駅

次回は(来春の予定)中津川駅からスタートなので駐車場を見当つけるため駅周辺を探索し、
駅から数分の所に民営だが1日1500円の駐車場が(市営は3000円)あった。 


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