中山道を歩く (その20-1)
                                 
2013.5.11~13 

          1日目  御嵩駅~伏見宿~太田宿     元禄荘 (泊)         24500歩  約15km
          2日目  鵜沼宿~加納宿           サンホテル岐阜 (泊)   47358歩  約28km
          3日目  河渡宿~美江寺宿~東赤坂駅岐阜駅→美濃太田駅→可児駅・新可児駅→御嵩駅
                                                      34500歩  約19km                                        

参加者 CL藤井、SL田所、(車両)星野、小野里、(会計)川野、桑子
野中、新井、宮沢、酒井、篠田、山口、桜井


中山道出発前日,倦怠感で準備がはかどらない、三日間が不安になった。

翌朝は体調が戻り、意気揚々と美濃路へ向かった。
でも、前回の足裏の大きな豆はさらに育ってしまい終盤は足を着くのがやっとだった。


一日目




中央道岡谷JCTを過ぎる頃、心配した雨がポツポツと降り出した。

前回、終了した御嵩駅に9時30分に到着し、駐車場の足湯の
屋根の下で身支度をする。

いきなりカッパの登場だ。


雨の中、今回参加者13人は傘をさしてぞろぞろと中山道御嶽宿を
歩き出した。

前回、休館日だった「みたけ館」へ立ち寄りたかったが
まだ開館前だし、今日は予定より先へ進んでおきたいと思い
パスすることにした。

10:00 御嶽神社
大きな石碑には「清嶽覚直霊神 大平講」などと刻まれている。


10:25 比衣一里塚跡
日本橋から96番目の一里塚。
顔戸の一里塚ともいう
 

10:35 道標に導かれ、伏見宿へ入る。 
 

伏見宿
人口485人、家数82軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠29軒

木曽川の流れの変化などにより、渡し場の位置が上流へ移動された。
それまでの土田宿は廃宿となり、1694年(元禄7年)上流に位置する伏見宿が誕生した。



10:45 伏見宿本陣跡
   
本陣の面影は全くない。

 


11:00~11:30  一本松公園

一本松公園は、中山道伏見宿のほぼ中心に位置するミニ公園で、
平成20年3月23日に開園
公園は、樹齢200年以上の松の木を中心に、伏見宿の面影を
醸し出すような建物です
 
  ランチタイム  屋根つきのきれいな休憩所でトイレもある。
  まだ小雨模様だったので、このあずまやは大助かりだった。

  四つ角の石標に「右御嵩」「左兼山 八尾津」と彫られてある。


12:35 今回は県道、国道歩きが多かったが
  幸いに歩道があるから安心だった。  
 

12:40 次第に宿場らしい雰囲気になってきた


太田宿
人口505人、家数108軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠20軒

 

このあたりの木曽川は水量も多く、川幅も広くさらに水流が
  急で、「木曾の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」というほど
  中山道の三大難所の一つであった


13:00 太田橋と木曽川
  ここまで国道21号を歩いてきたのだが、国道から
  左下に下る石畳の道があるようだったが、気が付かず
  国道の歩道をただ、ひたすら歩いてしまった。

  「太田の渡し」は対岸「太田」側で、
伏見側に「今渡の渡し」の碑がある。
  木曾川のこの辺りから日本ライン下りが始まるようだ。
  


13:15 柵の左下に木曽川  
     右を現代の旅人がカラフルな傘をさして歩いて行く。
    木曽川は今まで山間の急峻な川だったが、こんな穏やかで
    川幅の広いのに驚いた。

  


13:20 一里塚跡 
   
堤防下に一里塚跡の碑がある
    少し先の堤防沿いから右に下り太田宿に入る。


太田宿の街並み
    


14:14 本陣の門
   門だけが残っていた。
  
すぐ前の中山道会館(入館料無料)
   江戸時代の中仙道や宿場町の様子や「太田の渡し」や御降嫁で
   太田宿に宿泊した皇女和宮等の資料が展示してある
   会館内でゆっくりとくつろぎながらビデオ鑑賞など。

      見どころ  *太田の渡し場跡  *旧太田宿本陣跡 *木戸跡
             *旧太田脇本陣林家住宅 *祐泉寺 *本陣の門 *高札場跡
             *太田稲荷 *法華経塚 *水神・馬頭観音 

14:40 元禄荘に到着
もう、全員ぐっしょりと濡れてしまったが、旅館の主は濡れたまま部屋へ入って
良いですよ。靴、ザック、雨具、部屋の暖房で翌朝まで乾いて大助かりだった。

元禄荘 1泊2食付 6000円で
料理は大変美味しくて本当にこのお値段でいいの?

夕食               宴会(まず食べて!食べて!飲んで!)                朝食
    


二日目


元禄荘前にて全員集合!

昨日の予定は坂祝(さかほぎ)駅まで歩く訳だったが雨脚が強くなったので
断念して太田宿を途中で引き返し旅館へ直行した。
翌日は、今日の分を頑張って歩かなければならない。
翌朝の食事は宿の好意で6時にしてくれた。


天気は昨日と打って変わり雲一つない快晴になった。

6:30 元禄荘を出発して昨日の道を再び太田宿通りに戻る。

宿場の酒造屋
 
銘酒  御代櫻
 これまでも各種の品評会で幾多の賞を受賞した実績があり、
その中でも名だたる銘醸が集い実力を競い合う
全国 新酒鑑評会で平成6年、8年、10年、15年、16年に
金賞 受賞の栄冠を輝いた。
建物は格式高く重厚で美しい。


再び、木曽川沿いの道を次の宿場鵜沼に向かう。


7:50 土手の上に水神の碑 


8:15 岩屋観音堂
国道沿いから急な石段を上がる。

推古天皇のときに勧請されたと伝えられている。


国道の左に中山道左への小さな標識があり
左に下ると国道を潜るようにトンネルに入った。
トンネル内は細い歩道と堰が流れていたが
水量が多いときは歩けないかもしれない。


トンネルを抜けると今回初めての山道だ。
マムシ注意の看板が目立つ。

江戸の情緒ある石畳の道、そして土の道は歩きよい。
木陰に入ると涼しい風が頬を抜けてゆく。新緑がまぶしい。


8:45~9:00  うとう峠 (中山道いこいの広場)
ここにあずまやがあり、休憩。

峠から
下り始めると大勢のハイカーとすれ違った。
この辺りはハイキングコースとして人気のようです

  


鵜沼宿
人口246人、家数68軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒


中山道52番目の宿場で現在は各務原市(かがみはらし)
   江戸時代の往時をしのばせる町並みに再生整備し、脇本陣や町屋館などを公開しています。
                また、ボランティアによるガイドサービス、歴史講座、祭りや各種文化イベントを実施し
、鵜沼宿の魅力を内外へアピールしています。


9:35 「ここは中山道鵜沼宿これよりうとう峠」の石碑
   私たちは鵜沼宿へ向かう。



9:37 常夜灯

  鵜沼宿に入るとボランティアグループが実地研修で歩いていた。
  地元行政が宿場保存に力を入れているらしい様子が伺しれた。



菊川酒造
 明治4年創業 倉庫群が登録有形文化財になっていて
 鵜沼宿のシンボルとなっている。


9:45 鵜沼宿町屋館
  旅人達はもうお疲れの様子だったがボランティアガイドの説明に
  耳を傾けていた。

  鵜沼宿本陣は跡の立札のみだった。
 

   
9:50 鵜沼宿の静かな街並み
 

10:15 津島神社
 
 10:25~11:00  羽場公園にて ランチタイム
   ランチした場所が定かでないのだが、神社の隣の公園だったような
   気がする。
   地元人たちが清掃活動していてあずまやを独占され、園内の
   ベンチに分かれてランチだったような・・・
   トイレが入り口にあったと思う。
   記憶がはっきりしない。
 
 

  12:20 旧中山道六軒一里塚跡
  12:30~12:45 神明神社 休憩
  14:05 新加納一里塚

  高田橋を過ぎようとするとき、通りすがりの車から
  大きな声で「ガンバッ!」の声に「ありがとう!」
  励ましの声に疲れが飛ぶようだった。

  中山道歩きは、地元の人にずいぶん励まされることがある。
  
 

 15:00 細畑一里塚
  両脇に残っていた。
 

15:15 伊勢道と追分地蔵堂
  私たちは分岐を右に行く。
   
 

加納宿
人口2728人、家数805軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒、

付近一帯は古くより東海道に並ぶ主要街道である中山道の要衝として栄えてきた。
中山道六十九次の中では、
本庄宿(埼玉県本庄市) 、高宮宿(滋賀県彦根市) 、熊谷宿(埼玉県熊谷市) 、
高崎宿(群馬県高崎市) に次ぐ大宿である。
 

15:25 加納宿 
  
  加納宿の碑から右に入り団子やを右に
  お腹が空いていたのでウィンドウのお菓子に目が集中したが
  早く ホテルに到着して靴を脱ぎたい!
  


道路の側溝の蓋
あれ? なんやこれ?

御鮨街道(おすしかいどう)とは
岐阜街道の通称名。尾張藩より将軍家に献上する岐阜特産「鮎鮨(あゆずし)」は、
岐阜町にあった製造所(御鮨所・おすしどころ)を出発して、この岐阜問屋を経由し
現在の加納八幡町を通って、岐阜から笠松まで運んだ街道のことです。
江戸までは4日か5日程度というかなりのスピードで運ばれたそうです。
この御鮨街道は"歩きたくなるみち500選"のひとつにも選ばれているそうです。
 

15:45 加納城大手門跡 
   徳川家康の命により岐阜城が廃城となり、   
  宿場は城下町としての 役割も兼ね発展をした。
 

15:50 中山道加納宿当分本陣跡
  
初めて目にする当分本陣跡?なんやろか?

幕末になって幕府が参勤交代制度を大幅に緩和した。
人質同様に江戸に留め置かれた大名の妻子が一斉に
国元に帰りだしたため各宿場の本陣での宿泊が逼迫し,
宿場の有力者宅を当分の間,臨時の本陣(当分本陣)と
定めて対応したと云う。
加納宿だけ当分本陣が残り,宮田家と三宅家が勤めたと云う 
 



            
 
   生ビールの美味かったこと! 
  ホッケ、ナスと豚肉のみそ炒め、豆腐
  ご飯。漬物のお代わり自由  790円
16:20  今宵の宿、サンホテル岐阜に到着
      名鉄岐阜駅の直ぐ裏にある。

  今夜はシングルルーム 部屋に入るとすぐにお風呂に
  お湯を入れ、誰に気がけなくベッドに仰向けになった。
  シングルルームの良い所だ。
  
  入浴後恐る恐る足の裏を見ると昨日からの大きな豆は 
  中央がはじけて下に子分が出来始めていた。
             

 17:30 小物の洗濯し慌ただしくホテルお奨めの
       近くの定食屋「やよい軒」夕食に出かけた。
 
 

飲めないと言いながら全員生ビールで乾杯!!
ほろ酔い加減でホテルに戻り爆睡

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