中山道を歩く (その19)
               
                            中津川宿~大井宿~大湫宿~細久手宿~御嶽宿
                                                              2013.4.14~16
                
 

参加者 CL藤井、SL田所、(車両)星野、小野里、(会計)川野、桑子
亀井、新井、宮沢、酒井、篠田、桜井、山口、野中

一日目
浜川P5:00→中津川駅9:20→中津川宿9:40→大井宿15:00→ルートイン恵那 (泊)
二日目
ルートイン恵那7:20→大湫宿13:00→細久手宿15:30 大黒屋 (泊)
三日目
大黒屋7:20→御嶽宿11:45→御嵩駅12:29~~可児~新可児~多治見~中津川駅14:10


半年ぶりの中山道歩きだ。
今回は2泊、特に2日目の行程は和田峠より累積標高が多く、不安があった。
幸い3日間天気に恵まれて。峠道は春爛漫の花盛り
古の風情が多く街道を楽しく歩くことが出来た。


第1日目 中津川駅7:20出発
中津川宿~大井宿


中津川宿
人口928人、家数228軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠29軒
中津川宿は文化的、経済的に木曽路と美濃路の接点の役割を果たした。



浮世絵師「安藤広重」による名作「木曽海道六拾九次」シリーズのうち御嶽の作品。
広重は御嶽では宿場の中ではなく、細久手宿から御嶽宿に至る街道沿いの木賃宿をモチーフにしている。

現在の地名表記は「御嵩」である。
宿の名前は昔は「御嶽」が使われたが、「御嶽山」とは関係なく、昔、吉野山の蔵王権現を
勧請して神社を建て、吉野山を尊称した「御嶽」がその集落の地名となった。

予定より早く中津川に到着した。
前回、駐車場の下見をしておいたので駅に近い一日1500円の駐車場へ
駅でトイレを済ませて、前回の続き中津川宿の途中(新町の信号)からスタート。  
まず、向かったのは桂小五郎隠れ家跡
街道からちょっと左に入ると白壁の情緒あふれる小路。
この奥にある。
                 


中津川宿の街並み
古い建物が残り落ち着いた雰囲気が漂っている。
    

         間家大正の蔵(見学無料)~秋葉神社~脇本陣跡~本陣跡~庄屋跡
中津川橋を渡り駒場村高札場跡がる
10:20
中山道   
右 大井  左 中津川
の石碑がある
 

10:30
小手ノ木坂
 
 

10:35
双頭一身道祖神 

男女別々の頭部を持ち肩から足元にかけて一体になっている
極く珍しいもの。


10:40
上宿の一里塚
南側の塚は消滅して北側だけを復元してある。
元の三分の一の大きさ。


11:25~12:20 昼食
坂本神社
付近は桜が満開

弘法堂12:35~神明神社12:45~将監塚12:50~三ツ家一里塚~石仏~坂本立場跡~
坂本観音堂13:00~茄子川村高札場13:10~尾州白木改番所跡~茄子川茶屋本陣


茄子川高札場付近から大きく恵那山の姿が望めた。
まだ残雪があるようだ。


大井宿
大井宿(おおいじゅく)は中山道の46番目の宿場、現在の岐阜県恵那市
人口466人、家数110軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠41件
江戸方から、横町・本町・竪町・茶屋町・橋場と5町があった。
それぞれの町は6ヶ所の枡形によって区切られていた。

 


13:55
これより大井の石碑
 

14:00
茶屋本陣跡 

茶屋は跡形もなく今は綺麗なお花畑になっていた。
 


坂道にはそれぞれ名前が付いている。
広久手坂、岡瀬坂を過ぎると甚平坂だ。ここは急坂だったので明治天皇の巡幸の時、
頂上を削ったので楽になった坂だ。

久しぶりの街道歩きは山と違った疲労感がある。

14:50
関戸一里塚跡~大井鬼子母神と明治天皇行在所旧跡を過ぎて中央高速のガードを抜け
ると菅原神社がある。

上宿石仏群^阿弥陀仏碑~五妙坂高札場~本陣跡
 

大井宿の家並み
本陣跡を曲がると第二の枡形でやどの整然とした街並みがある。
格子戸を構えた旅籠屋風な家、塗りこめ造り、虫かご窓の付いた家は旧街道の姿を留めている。
    


15:50 ひしや資料館入館料200円を奮発し見学。 
古山家は酒造りと商店を営み幕末までの150年間庄屋を務めた。
建物は豪壮な町屋建築の特徴があり現在は資料館になっている。
中には古いお雛様が飾ってあった。

白木番所跡を過ぎ、大井橋(西の入り口)を渡ると大井宿は終わりだ。
細い道を抜けると右に恵那駅があった。
駅付近は賑やかな銀座通りだ。

翌日はここからスタートすれば良かったのだがホテル周辺のマップに国道19号が中山道とあったので
翌日は少々道迷いで30分ほどロスタイムになってしまった。

今宵の宿、ルートイン恵那に到着は予定通り4時30分頃になった。
部屋に落ち着いてから翌日の昼食の買い物、夕食の仕入に近くのスーパーへ。
夕食は各自外食組とホテル組に分かれた。
私は早く風呂上りにビールをきゅっと飲みたかったので、部屋食。
Nさんとビールとワインを少々飲み(飲んだのは私だけ)9時に就寝。


第2日目  ホテル ルートイン恵那 7:20出発 
大湫宿~細久手宿)
 

6:45 朝食バイキング
今日は20kmのきつい峠越えだ。
気を引き締めて朝食バイキングにレストランへ。 

ホテルからマップは中山道が国道19号になっているので
国道を歩き始めたが、どーも様子が変だ。

ガイドブックの中山道は恵那駅のすぐ南を通過している。
いずれ国道に出るのだが、出来れば中山道を忠実に歩きたい!

途中から中山道旧道に戻ることにした。校門前の教員に道を尋ねても
転勤したばかりで地元の様子がわからないと・・・・・
登校時の大勢の児童たちもわからない・・・・
散歩中のおじさんに教えていただきやっと旧道に入った。


 
今日はロングコースなのに出発時点でウロウロとロスタイム(-_-;)
大井宿から大湫宿までは十三峠プラスアルファ―のアップダウンの続く
きつい道だ。

恵那駅の通りからちょっと入っただけで小路は古の雰囲気がある。


8:17 西行塚西へ3丁の標識
   ここを右へ、間もなくして石畳の道になる。


8:25
これより西十三峠

ここから尾根を越える最初の石畳の道に入る。
幕府が防衛のため、わざと困難なルートを作ったという、現在も鉄道の通らない
難所だだという。
 

8:30  西行塚 
全国行脚の中、西行がここでなくなったと伝えられ供養塔が建立。


急な坂道もわがハイキングクラブのメンバー達は元気よく歩きます


8:45 槇ヶ根一里塚
江戸から88番目の一里塚
このあたり一帯が西行の森公園、ここは桜100選にも選ばれている。


ミツバツツジが咲き誇る気持ち良い山道
    
 

槇ヶ根立場(茶屋)跡には屋号の立札がひっそりと路傍に立っているだけだった
往時は9軒の茶屋でにぎやかだったらしい
旅人達はここで一休みし旅をつづけたのでしょう


9:15  首なし地蔵
二人の武士が道中、地蔵前で昼寝をしていたところ、一人が目を覚ますと
連れの仲間の首がない。怒った武士が地蔵様に黙ってみていたと地蔵様の
首を切り落としたという伝説がある。


9:57  紅坂一里塚
両方に塚が残っていた。
ここを過ぎると再び石畳の道になった。


    


10:10
藤村高札場


ほのぼのとした棚田の多い山村風景、山の斜面にハルリンドウが一際鮮やかだ。
    


10:15 深萱立場跡
大井宿から大湫宿の間は峠越えの難所だったので
立場茶屋がたくさんありここの立場は本陣があったから
規模が大きかったのであろう。
 

10:19 西坂 
坂には登りにも下りにも名前が付けられてあったが
何処がどの坂だったか記憶に残っていないとは情けない。
 

11:19  
権現坂~鞍畳坂~吾郎坂~樫の木坂~巡礼水の坂
きつい登りが続く。

昼食は権現坂一里塚まで頑張ろう!
皆さん、へとへとの様子だ。 
 

権現坂一里塚 ベンチとテーブルがありランチタイム
 11:25~12:00 
権現坂一里塚周辺にショウジョバカマが鮮やかだ。
       



食事が終り、さァ出発しようとした時
わがパーティーにも負けない集団が大湫宿方面から現れた。
世界各国からのツアーだった。
イタリア、デンマーク等々・・・・

驚いたことに昨日も外人さんのツアーに出会ったのだ。
昨日はこれから向かう大黒屋に宿泊したそうだ。

下り坂 びあいと坂~曽根松坂~しゃれこ坂

12:14阿波屋の茶屋跡~三十三観音~12:18お助けし水と尻冷やし地蔵~ 


大湫宿

中山道の47番目の宿場で、現在は岐阜県瑞浪市
人口338人、家数66軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒
皇女和宮親子内親王の宿泊地となった。



 宿場内の見どころ
   和宮歌碑・本陣跡・おもだか屋・脇本陣保々家・神明神社・高札場 
 

12:36 大湫宿(おおくてじゅく)
          くて・・・低湿地の窪地の意
坂を下るとしだれサクラがの下に大湫宿の石碑があった。
 
 

12:40 大湫宿の街並み

本陣跡は現在の大湫小学校庭内
和宮降下の際宿泊

校庭の隅に和宮の歌碑
 「遠ざかる 都と知れば 旅衣 
    一夜の宿も立ちうかりける」

脇本陣も跡だけだった。
 
 

12:50 おもだか屋 (無料休憩所)
 ちょっと中に入って見たが靴を脱ぐのも面倒なので
 外で休憩。
 メンバーたちはアイスクリームが食べたいと言っていたが
 まったく商店らしい店はない。
 

13:00 神明神社 
境内に杉の巨木 樹齢1300年、樹高60m、周囲10m、直径32m
屋久杉にも劣らない逞しさだった。
 

13:10 大湫観音堂 

境内の枝垂桜が見事、
大湫宿観音は古くから道中安全や病気快癒に御利益があるとして
広く信仰を集めたと云われています。
当初は神明社の境内にありましたが享保6年(1721)に宿の
西口である現在地に移された。
現在の建物は宿場の大火で焼失した後の弘化4年(1847)に
再建された。
特に天井には60枚の色鮮やかな花鳥風月の絵が
三尾静(暁峰)によって描かれていて瑞浪市指定文化財に指定されている。
 

13:20 二つ岩
安藤広重の絵にもある花崗岩が露出したものだそうだ。
母衣岩(ほろいわ)と烏帽子岩 
 

13:30 琵琶峠東入り口

またまた石畳の坂の登場、昭和45年に発見され東海自然歩道の整備で
復元され。日本で一番長い石畳道だ。

峠には往時の面影を残す道標や石仏、一里塚なども
現存している。
美濃16宿で最も高い所だそうだ。
 
 

13:40 石畳から左に急な山道に展望台の標識に誘われて
 元気な者数人で上がってみたが展望はなく薄暗い木立に
 石碑が三つあるだけ、時間がないので読まずに石畳の道へ下る。

 江戸時代の旅日記に景色が良く中山道でも名所の一つだったらしい。 
 
 

13:40 八瀬沢の一里塚
  江戸へ91里、京都へ43里とあったが、まだ京都まで3分の1残っているのか・・・
  さらに石畳の道を下ってゆくと左にきれいなトイレがあった。
  暫く休憩。

  車道に出るが、ここを横断してさらに下って行くと琵琶峠西の入り口に出た。

  そこからは車道歩きだ。
  右の足の裏が痛くて下りは堪えるのが大変だった。
  我慢するしかない。
  
 

14:30 天神池と弁財天
  車で来ていたご夫婦の話にここはあやめと蓮の花が素晴らしいそうだ
  私たちが日本橋から歩いていると話すとっても驚かれた様子だった。
  池の先にベンチとテーブルがあったので休憩。
  先行グループは元気良く姿が見えない。
  ゆっくり休憩した後、暫く行くと先行したグループは道端に座り込み休憩していた。
 

15:10 奥之田一里塚
   この一里塚も左右にこんもりとした塚が残っていた。


15:18  庚申堂~15:30大黒屋
 

細久手宿
細久手宿(ほそくてじゅく)は中山道48番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は岐阜県瑞浪市
人口256人、家数65軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠24軒



細久手宿は大湫宿と同じく商店はなく鉄道から遠く静かな町である。
   15:30 大黒屋到着 
 予定より1時間早く到着してホッとした。

 大黒屋は江戸時代から残る建物で尾張徳川家が他の大名との相部屋を
嫌い、尾張藩の定本陣に定められた。問屋も務めていたそうだ。

中は往時の面影を残す旧家です。
大井、太田宿の間に宿はここしかない。
ひなびた街道筋の宿の風情がたっぷりで、宿場内に店がないのがまた良い。
 

大黒屋上段の間   ここが食堂

夕食は懐石料理、健康な面々は次々に
出される料理をあっという間にペロリ!
宴会はいつもより静かに・・・こうした宿は、やはり
それなりに味わいたい。

ただ、トイレが一つしかなく、なんとなく落ち着か
なかった。
   

この他に鯉の甘露煮、里芋のしんじょうなど 


宿のご主人からプリント2枚を頂いたが、疲れていたし帰宅してから読もうとザックに仕舞い込んだ。 
帰宅後、何気なく読むと
それは宿のご隠居さんの手記だった。奥の台所に後姿を見かけたあのおばあちゃんだった。

  “大黒屋の人々” 吉之助じいさんのこと     酒井 房子
細久手宿の「大黒屋」13代目の酒井吉之助敏貞氏(房子さんの父上)のことが書かれてあった。
自分が幼い頃におじいさんと過ごした思い出など、このおじいさんは長身で
口ひげを蓄えきりっとした品の良いおじさんだったらしい。
そして不運にも生活運が悪かった。往時の生活の様子が偲ばれた。


  晩秋の細久手宿      酒井 房子
中山道の様子、安政5年に3回目の大火で細久手宿は1軒を残してあとはすべて焼失してしまった。
明治、大正とだんだんさびれて、草深い山里を訪れる人が少なくなり
置き忘られたような寒村になってしまった。
一時期終戦前後に亜炭の採掘で人々が集まり活気があった頃、料理旅館として
営業を始めた。とにかく若い頃は身を粉にして働いたそうだ。
中山道を完歩する人が増え現在も営業している。
恵那から細久手の間が一番昔の面影を残していると多くの人が言っているそうだ。
秋は物寂しくて好きでないけれど紅葉した山々を背に、すすきの穂が旅立の前に風になびいている。
蒸れた柿の実が夕日に美しく照り映えている。好きなコスモスが。もう少しの命と語りかけるように
さいている。振り返ると私もこの地に生を受け89年、知らぬ間に老いてしまった。
そのうち皆さんと同じように中山道を歩いてみたいな、と思っていたが今は足が弱ってしまい
思いもかなえられそうになく残念である。山の木々も高くなり遠望も出来なくなったけれど
春には春の花が先、秋には秋の実が熟れる。
そして何より人情味豊かなこの山里が好きである。


 
以上 手記を抜粋しました。
確かに私も木曽路はハイライトだけれど観光化され俗っぽい感じがした。
それに比べ今日のコースは古の旅人になったようで風情があって満足感でいっぱいだった。

一番残念だったことは、おばあちゃん(酒井房子さん)に
ご挨拶が出来なかったことです
 
 

 8:20 鴨之巣一里塚
 左右の塚がずれている珍しい塚だとか・・・。
 
 

 7:55平岩の秋葉坂三尊・8:15鴨之巣一里塚・8:36山内喜助屋敷跡・馬の水呑場・9:45御殿場・9:45唄清水・10:00一呑の清水・謡坂十本木一里塚
 

9:00  津橋集落

 


 
9:45 御殿場
街道の右の階段を上がるとあずまやがありミツバツツジに囲まれていた。
大休憩。恵那山、御嶽山が見えるはずだが靄っていて見なかった。
 

10:00 広重モデルの茶屋 
 この辺りは木曾街道六十九次のうち「御嶽宿」の絵のモデルになっているらしい
 でも、御嶽宿はまだまださきのようだ。
 

 10:05 謡坂石畳
 旅人はきつい坂を謡を詠いながら歩いたので謡坂といつしか言われるように
 なったそうな・・・
 

この辺りの石仏はしっかりした石室に 安置されている。

石畳の途中に「マリア像」の標識があった。
元気なメンバー数人で下って行くと、マリア像が立っていた。
昭和56年、農道拡張工事の際、十字架が刻まれた石や隠れキリシタンにまつわる
遺構が多く発見された。
 

 石畳が終わり、右に耳と安産の神を祀る神社があった。

10:30  耳神社

 急な石の階段を登ると小さな神社があり、耳の悪い人がお供えの
 錐を耳に当て全快したら自分の年齢だけ竹で編んだすだれを作って
 奉納する習わしがある。

メンバーたち急な階段をエッチラオッチラと登り、しきりと
拝んでいた。
 

 9:45唄清水~一呑の清水~謡坂石畳~10:15聖母マリア像~10:30耳神社~10:35牛の鼻欠坂
 

10:35  牛の鼻欠坂
(御嶽からくると、急な曲り坂で牛や馬の鼻が擦り切れて欠けるほどの難所だった)

鼻欠坂を下るとのどかな田園風景
     


ここから舗装道路を歩き、私の足の豆はいつ潰れるか痛くて歩くことが出来ないくらい(-_-;)
標識に和泉式部廟所の標識があったが疲れて行く気力がなかった。
国道を御嵩方面に歩いて行くと、左になんと和泉式部廟所があった。
 

11:00  和泉式部廟所 

碑には「一人さへ渡れば沈む浮橋にあとなる人はしばしとどまれ」という一首が刻まれている。
 和泉式部が歌を詠みながら東山道を御嶽まで訪れた際に病になり
1019年この地で没したと伝えられている。式部の墓は下諏訪にもあり
本当の説は定かではない。

生没年不詳。平安中期の女流歌人。
恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。
また同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、
素行には感心できない」と批評された(『紫式部日記』)。

本人が意識していたかどうかはわからないが、和泉式部という人は恋しないでは
生きていけない部分を持っていたようだ。
それでも、本人が魅力的でないと現実に男性が現れることはないのだが、
式部はふっくらと肥えて、色白で髪も美しい、当世風美人だったに違いない。
それに歌才もあるとなれば、男が放っておかない。

紫式部は批判的だったらしいが、ちょっと妬みと欲求不満なのかもしれないとか・・・・・
これは平安時代に限ったことではない。
現代でも、恋には妬みが付きものであるらしい。
 

御嶽宿
御嶽宿(みたけじゅく)は中山道49番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は岐阜県可児郡御嵩町
人口600人、家数66軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠28軒



見どころ 本陣跡、中山道みたけ館、願興寺、愚渓寺 
みたけ館  (岐阜県内、特に御嵩町内の中山道関連の展示が充実している。入館無料。火曜日休館)

 

式部廟所からしばらく国道を歩く、歩道があったので良かった。
1km先の県道341号を左に入ると御嶽宿は直ぐだった。

11:45  御嶽宿

 時間があるから資料館を見学したかったが火曜日休館日だった。
 弘法堂11:45秋葉神社~11:50本陣跡~11:55願興寺~12:00御嶽駅
 

11:50 御嵩駅(名鉄広見線)

予定より早く到着で来て、何か美味しいものを、
皆さんホームでそれぞれ残ったもので簡単に昼食にした。

12:19分の電車で新可児駅~多治見~中津川へ

次回はここからスタートのため車の駐車地を探したが
ラッキーなことに駅のすぐ南に無料の駐車場があった。
 

駒ヶ岳サービスエリアで名物ソース丼


時間帯割引で1050円の20%オフで840円
なんだかとっても得した気分でした。

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