第33回 関東ふれあいのみち
(栃木県コース)
(コース№36-1連絡コース)
11.7km  27500歩
                                                                  2019.10.26(土)

今回のコースは栃木県の芦野遊行柳から福島県白河の関跡まで約11.7km。
認定外コースなので歩かなくても良いのですが、
みちのくの玄関口”白河関跡″は多くの歌人たちが憧れた地と聞けば
凡人の私も一度は訪れてみたい処です

コースタイム
浜川6:00~~遊行庵8:45  車回送(白河関の跡)
遊行庵9:40→板屋の一里塚10:10→高徳寺(10:30~10:50)→與楽寺(11:35~12:15)
→泉田一里塚12:30→栃木・福島県境13:30→白河関跡14:20~打ち上げ~車回収16:00)

参加者
星野、小野里、野中、田所、吉田、篠田、野中、山口、亀井、櫻井、石井、藤井

 

朝5時半、玄関を出ると東の空が茜色に輝いていた。
しばらく振りに眺める夜明けの一瞬!!
「早起きは三文の徳」(*^_^*)
 
昨日の雨は何処へ・・・

北関東道に入ると直ぐに事故のため、一般道を一部迂回した。
 

遊行庵に到着すると、いつものようにドライバーの男性二人が終点の
白河の関跡へ車の回送に行く。

その間、私たちは前回訪れた遊行柳へ再び向かっうことにした。


 
遊行柳

多くの歌が詠まれた歴史ある名勝地。

関東最北の宿場町として栄えた芦野は、奥州街道を行き交う旅人を
受けて入れてきた里山。 どこにでもありそうなこの田園地帯を特別な場所にしているのは、 1本の植え継がれてきた柳の木。

西行が休んだと言われ、西行を慕っていた芭蕉もこの柳の木の下で
涼んだと言われている。

前回から1か月で遊行庵の周囲の雰囲気が変わっていた。
芭蕉と蕪村の句碑の写真を撮り忘れていたので、車回送の間に
散策してみた。
 



芭蕉の句碑
田一枚植て立去る柳かな




蕪村の句碑
柳散 清水涸 石処々 (やなぎちりしみずかれいしところどころ)
 

久しぶりの太陽のもとで日よけ対策をすっかり忘れてしまい、体は
汗ばんできた。

台風19号、昨日の雨で道路は水が大量に流れ出た様子が伺われた。
大きな被害は無かったらしいが、農作物は気の毒なようだ。
 

路傍の石仏に いにしえの道を感じる。
 

板屋の一里塚
奥州道中の難所板屋坂の中腹の両脇に、江戸から数えて44里目の板屋の一里塚(町指定・史跡)があった。

徳川幕府は、諸国の大名に命じて東海道。東山道・中山道の各街道を
修理させて、一里塚を築かせたといわれている。
一里塚は、旅人によっては旅程の目標となり、時には榎などの木陰の
もとで休憩の場としても利用された
 

高徳寺
ここで休憩していると、お寺の管理している方が現れ、お堂の薬師如来を
特別に見せて頂くこことが出来た。
        
         境内のお堂に安置されている薬師如来像

ラッキーなことにトイレも使わせていただき大助かりでした。
 

19号台風と昨日の大雨で舗装の道も泥が流され、田畑は大荒れだった。

小さな沢もまだゴーゴーと唸るような水音。
付近の方はさぞや、怖い想いをしたことでしょう。
 

歩道の植木は鳥の形に刈り込まれ、田舎の変哲のない道に笑みが
こぼれる様だった。


 
與楽寺
そろそろお腹が空きだし、こちらの境内の隅をお借りして
ランチタイムにしましょう・・・
 

境内には石のテーブルとベンチがあり、ゆっくりと休憩出来て
助かった。

この寺は那須三十三観音 十番札所. 真言宗智山派.
ご朱印の方の為に用意してあるのでしょうか

そして境内の隅にトイレまで。
 

皆さんのお美味しい手作りのおかずを頂き、元気回復。
次に向かったのは泉田の一里塚

江戸から45里目の一里塚で、当町内では3つ目のものである。

泉田は所在地の字名からの名称だが、本来は「湯奈田」の
地にあるそうです
道路拡張に伴い、東側の塚は削平されている。
国道294号の整備により、パーキングエリア内となっている。

塚は綺麗に整備されてあった。




道は福島県境に近づき、そろそろ栃木県とお別れです。
県境目前に先頭グループは勢いが増していきます。

緩い上り坂に汗ばんだ体、久しぶりの照りつけるような今日の陽射しに
喉が渇き、水分補給しなければ・・・
最終回の今日を無事に終わらせなければ全てが台無しだ。

枝道の広い所で水飲みタイム。
数分で県境の雰囲気が漂い始めてきました。


ついに栃木県・福島県の境界に到着。
 

緩やかに下って行くと福島県の長閑でホッとする山村の風景が
広がっていた。


白河の関まで1.6km
栃木のふれあいのみちは標識が要所要所に有ったので良かった。


あれ! 懐かしい赤いポスト。
単調な道の角に立つペットの公園墓地の目印にグーですね。
 

白河の関跡
奥州三古関のひとつに数えられる「白河関」。
奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、当時は
人や物資の往来を取りしまる機能を果たしていた。
歌枕』(和歌の名所)として文学の世界で都人の憧れの地となり、
能因や西行、松尾芭蕉など時代を代表する歌人・俳人たちが
多くの歌を残している。

 

白河神社
標高410mほどの丘陵があり、丘陵上には白河神社が祀られている。
石段を上がって行くとうす暗い木立の中に
 

寛政12年(1800)に白河藩主松平定信が考証の結果、空堀・土塁が
残る現在地が白河の関であると断定して「古関蹟」の碑をこの地に
建てた。
とあります。
 

樹齢約800年の従二位の杉など、数々の巨木もあり、歴史の深さを感じさせます
   

 
記念写真をパチリ!
393km、、、本当にお疲れ様でした。





完踏を祝して乾杯!! 
お疲れ様!!
ノンアルコールビールも美味いもんだね (*^_^*)
H氏の差し入れの大きなケーキに私が入刀し皆さん、とっても嬉しそう



車の回収の間、白河の関公園内を散策。

白河の関公園内にある芭蕉と曾良の銅像

みちのく路の第一歩を踏み出したことについて感動を込めて
芭蕉は「白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ」と共をした
曾良は「卯の花を かざしに関の 晴れ着かな」と詠んでいます。

ふれあいのみちを歩き、ここに辿り着いた私も 先人の想いが
ちょっと分るような気がした。
 

車の回収(遊行柳まで)が終わり、栃木県の関東ふれあいのみちが
無事に終了しました。

日没が迫る東北道は4,5台の玉突き事故渋滞があったが
無事に我が家に到着した。



2016年9月から始めた関東ふれあいのみち栃木コース393kmを無事に終了し
私は前橋ハイキングクラブを退会することにしました。
退会しても山歩きをやめる訳ではありません。
その証拠に最近、登山靴(何足目かな?7、8足?)を新調しました。
いつまで元気に歩けるかどうか・・・明日のことが分らないこの頃です。
まだ目標は二つあるので、無理せずゆっくりと焦らず楽しい山行をしていきたいと考えています。
一緒に歩いてくれた仲間たちに、ただただ感謝です!
本当にありがとうございました。


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