第 31 回 関東ふれあいのみち
(栃木県コース)
(コースbR3−1 黒羽芭蕉のみち)
10km(実歩行15km) 25000歩
2019.6.22(土)
参加者
CL藤井、星野、吉田、山口、小菅、茂木、亀井、篠田、川野、田所
コースタイム
浜川P〜〜道の駅那須与一9:00⇔1:10 高館城跡 (車回送)
始点 道の駅那須与一(8:50〜10:10)→那須神社10:20→白旗城(10:40〜10:50)→修験光明寺11:00→
33-2コース分岐11:20→那珂川あずまや(11:25〜12:00)→大雄寺(12:15〜12:30)→
黒羽城址公園(13:00〜芭蕉の館〜14:00)→33-2分岐14:10→高館城跡15:45
このコースは今から320年前、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅路の途中で長く滞在した 黒羽の地をめぐります。那珂川を渡り芭蕉の館、あじさいの名所と知られる黒羽城をめぐり 高館城跡まで歩きます |
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いま、松尾芭蕉の「奥の細道」の講座が始まり、関心が高まっている私です。 今回のコースは早く歩いてみたい! 生憎の梅雨空で天気予報は芳しくなく秋間まで延期かな? 前日、天気予報に一転二転して決行することにした。 ところが家を出るときに急遽ザックを変えてカメラを忘れてしまった。 |
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始点の道の駅那須与一の郷に予定通り到着した。 2台の車が終点の高館城跡へ回送に行っている間、店の前の列に並び 開店と同時に店内に入りルバーブを探したが、売れてしまったのか? 2束しか買えなかった。 回送の1台が戻り、さあ!出発しましょう。 |
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ところが、関東ふれあいのみちの標識は今回の目標地点が一つもない。 ???マップは那須神社から左方向の筈だが・・・ あーだのこーだの (-_-;) 最悪の時はスマホを頼りに一直線に白旗城へ直行しようと思っていたが 出来れば忠実にふれあいのみちを歩きたい! 前回確か、神社の付近に標識がったからと探したが やっと探した標識は生け垣に半分隠れていた。 |
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高館城跡の標識に一同ホッとした。 稲は前回は田植えが終わったばかりだったが今は大きく成長して 無事に実りの秋を迎えること祈りたい。 栃木県は農業が盛んで稲は青々し、休耕田の荒れた農地が見当たらない。 道の駅は農作物の種類が多く群馬に無い品が沢山あるので私は 道の駅が大好きだ。 左のこんもりした丘が最初の目的白旗城跡らしい。 |
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白旗城跡 白旗の地名は、源頼義が奥州の安倍頼時討伐の際、この地に白旗を 翻して戦揃えをしたことに由来すると云われている 城跡は時間の都合で寄らず、城跡を仰ぎ見てチョイ休憩する。 この辺りは松尾芭蕉の奥の細道に登場する東山道らしい。 |
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修験光明寺跡 今回の撮影ポイント 何処にあるの?湿った草地の奥にかすかにこの階段があり、高台に案内板らしきものが建っていた。 うす暗い樹幹に一筋の光が運よく射していた。 ここは那須与一が建立したと伝えられいる寺。その後修験道へ改められた。 松尾芭蕉は元禄2年光明寺に招かれて行者堂を拝し 「夏山に 足駄を拝む 首途哉(かどでかな)」と句を残している。 そして私は 「夏木立 いにしえの道も 草のかげ」 |
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時間に追われるように歩いたが黒羽公園でランチタイム予定だったが 那珂川を渡った所にあずまやがあり、ランチタイム。 昨夜、雨が大分降ったらしく川面にドラム缶など大きな物が流されていった。 昼食が済み予定の12時に出発しようとした時、奈良在住(法隆寺付近)の シニアの男性に会った。 奥の細道や各地の役所の写真を撮りながら4〜5日歩き帰宅し 再度奈良から訪れているそうです。 交通手段は深夜バスと言っていました。 |
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大雄寺(だいおうじ) 山号は黒羽山。 応永11年、余瀬村に創建された。 後に戦乱で焼失するが、文安5年に大関忠増により再建され 、天正4年に大関高増の居城が余瀬白旗城から黒羽城に移った際に大雄寺も現在地に移築された。 境内に一歩入ると長い歴史を想像させる「茅葺屋根」の本堂。 ”詫び寂び”の世界を今に伝え一見の風情を漂わせています。 境内の7つの建物は全て茅葺で趣があり、大関家の歴代の墓があった。 本当に立派で大きく映画やドラマなどの舞台として使用されているそうです。 |
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次は黒羽城址公園へ。 「行く春や 鳥啼き魚の 目は涙」 過ぎゆく春を惜しんで、人間ならぬ鳥までもな鳴き、魚の眼は涙でうるむ 旅に出る芭蕉をみんなで別れを惜しんでいる様子 先日、奥の細道の講座で聞いたばかりだ。 石碑を眺め芭蕉の館に向かう。 |
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芭蕉の館 私は以前、訪れているのだが芭蕉に関心がなかったのか記憶に薄い。 入館料(300円)だが本日は無料。ラッキー!! 芭蕉と付き人の曾良の銅像。 |
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黒羽城址公園はテントが張られ、あじさいは今年は見頃はこれからだが 花芽が少ないらしい。 テントの係りからクエン酸入りの冷たいお水を頂き、疲れが飛ぶようだった。 「みなさんはどちらから?」 「那須与一の道の駅から高館城跡まで歩きます」 「えー!どこからそんな元気が出てくるのですか! 歩いている時は何をどんなこと考えているのですか?」 質問攻め(*^_^*) |
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黒羽城 戦国時代から江戸末期まで大関氏の居城として続いた。 空堀や土塁が残っており約6000株の紫陽花が咲き、今日は アジサイ祭りでいろいろイベントが開催され賑やかだ。 |
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公園をあとにして終点高館城跡までただ、ひたすら2時間半歩くのみだ。 途中で休憩し歩き出す頃、心配した雨が降り出した。 |
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高館トンネルの手前を山に上がるかトンネルを抜け車道を登るか? 迷ったが山道は途中から荒れ気味だと言うので遠回りでも車道を 歩くことにした。 フィニッシュ間近になると、私は足の痛みが出てきてペースダウンになる。 |
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この標識は次回の道の駅伊王野 へ6.1kmと案内している。 次回は伊王野から白河の関まで2コースでふれあいのみちは終了する。 |
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車道は次第に斜度がきつくなり、足の親指がズキズキ痛み出してきた。 皆さんもあちゃこちゃ痛いと言いながら、とっても元気が良い! 山の中のうす暗く細くカーブの続く車道、あれ?二叉路になっている 前方のメンバーの姿はなく。左に行くと下り気味・・・ 戻って右方向へ行くと回送したK氏の車があった。 |
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またまた右?左?の丘、、どっちかな? 急な階段を上がるような・・・ 取りあえず左の石段を手すりに縋って上がってみるとあずまやがあり 皆さん休憩中。 やれやれ・・・ 車回収へ向かう二人のドライバーを待つこと40分。 この下にもあずまやがあり小さな展望台があったが、那珂川の絶景に 期待して上がってみたが、今が木が茂り、那珂川の流れは樹幹から チラチラと見えるだけだった。 |
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ここが300mの高館城の小さな手作りの看板。 高館城の説明版が建っていた。 文治元年(1185年)源平屋島の合戦で「南無八幡大菩薩、別して わが国の神明日光の権現、宇都宮、那須温泉大明神願はくは あの扇の真中射させてたばせ給へ」(平家物語)と念じて、 見事扇の的を射落とした青年武士・那須与一宗隆の居城跡と いわれています |
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あずまやから下った所に 那珂川の流れの音が聞こえ 川面から霧が立ち込めていて幻想的な風景を醸し出していた。 栃木県のふれあいのみちは終盤になり、おまけの白河の関まで 2コースになる。 夏は炎天下を歩くのは控えることにして9月から再開し 私の役目も10月に終了すればいいな(*^_^*) 迎えの車に分乗し一路 我が家へ急いだ。 次回は道の駅伊王野から歩く。西行、芭蕉も訪れた遊行柳が楽しみだ。 |