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ガイドブックに依れば千国コースはマイカーは小谷村役場に駐車
可能とあった。
予定より30分早く出発。
役場でマップを頂き、国道148号に出て、右に前回、立ち寄った
小谷村郷土館の前を通り、パン屋と言っても現在は閉業している
ようだ。反対側に古道具店がある。パン屋の右を入ると
千国街道のしっかりした標識があった。
今回のコースは塩の道祭が開催されるコースだから
道は迷うことが無いと安心していた。
案の定、塩の道は50〜100m置きに道標があった。
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ここは三夜坂
九十九折の急坂で牛方、ボッカが重い荷物を背にして
往来していた。
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小土山石仏群
路傍の草むらに石仏が行き倒れた旅人の
霊を慰めるために置かれてあり当時の旅に厳しさを物語っている。
集落は昔話のような家や水車小屋の風景の名残があり
ほのぼのした気分になった。 |
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まだ歩きだしばかりなので快適に杉の木立を歩いて行く
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大別当石仏群
ここでランチの予定だったが、まだ時間が早いので
木陰で休憩。涼しい風に救われる思いだった。
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源長寺
ここは 素通りし、千国諏訪神社へ急いだ。 |
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千国諏訪神社
ランチタイム(11:30〜12:15)
丁度お腹が空き始め境内が広くベンチがありトイレもありランチタイムに
絶好だ。
境内のお散歩中の方と暫く雑談し、ここは千国まつりの際にウォーキングの大勢の方が昼食をするそうだ。
木陰のベンチでゆっくりランチ。 |
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千国番所と千国の庄史料館
小谷村郷土館・千国の庄史料館・牛方宿
三館共通券で500円
既に前回小谷村郷土館は300円で入館済だが
500円で入場券を購入した |
千国番所・千口の庄史料館
千国街道を見守る要所は慶長時代より松本藩の出先機関として
千国口留番所(関所)が置かれてあった。明治2年に廃止されるまで280年間
街道の塩・海産物・穀類などの運上銭の徴収や人改めなどを行っていた。 |
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史料館には千国の集落に有った民家を移築し、囲炉裏や居間が
保存され黒光りする板の間や簗、お雛様、おひつなど当時の
暮らしぶりを見ることが出来る。 |
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番所の中に入ると本物?のような怖そうな顔をした
お役人さんの姿にどきり! した。 |
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街道のあちこちに馬頭観音が建てられてあり、
牛馬の人の往来が賑やかだったのだろう・・・ |
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道は県道433号線から再び旧道に入る。小さな沢を左にし
急坂の親坂を上がる。 |
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親坂石仏群 |
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牛が滑らないように塩の道は石畳になっていた。
今回も旅人に会うことがないと思ってたが、前方から外人が二人
下ってきた。
海外からこのような渋い道を歩くなんて余程 歴史好きなのでしょうか。 |
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牛つなぎ石
沢のほとりに苔むした岩に(中央右上)ぽっかりと穴が空いていた。
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険しい山坂と谷あいの道を、背に塩俵2俵づつ積んだ6、7頭の牛を
牛方が一人で手綱をさばき歩いたそうだ。
我が仲間の一人はわずかな荷物を背負うことも大変と
嘆いている人もいたが。
まだまだ石畳の道は続く。
さぞ、牛も牛方も大変だったでしょう・・・ |
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弘法の清水
冷たい沢の水が気持ち良い。
ここは牛馬用と牛方の二つの水飲み場があった
草叢の上部に弘法大師の像が安置されていた。。 |
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牛方宿
再び県道に出ると牛方宿があった。
ここは牛や馬と人間が一緒に泊ることが出来て
1階に馬屋があり中2階に牛方の寝所、2階から牛馬の様子を
見ることが出来ようだった。
土間で私たちも小休憩させて頂く。
敷地内の土蔵にギャラリーがあり、また塩倉もあった。
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前山百体観音
西国、秩父、坂東の観音群がうす暗い森の中に
ズラっとならんでした。
今回は道迷いが無く道が整備され道標がしっかりあったので
予定より一時間以上早く到着できそうだった。
ここでゆっくりと休憩してからホテルに行くことにした。
アルプスから吹き下りる風が爽やかでここと良い。
地元、群馬は猛暑が続いていたとは・・・翌日は40度の暑さだったらしい。 |
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今回で3回目の塩の道だが、毎回天気が悪く楽しみにしていた
アルプスや北信の山は望めなかった。
今日もアルプスの峰々は厚い雲に覆われていた。
時々、唐松岳や白馬の大雪渓がちらっと見える程度だった。 |
2日目 (松沢口〜森上駅)
ホテル発8:40〜松沢口〜薬師堂8:55→石切地蔵9:20〜9:30→瀬戸の橋・おかる穴10:30→切久保諏訪社11:00
→切久保庚申塚→観音原石仏群〜首切り坂〜大黒天地蔵→大糸線森上駅12:00 |
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ホテルから松沢口まで数分、、上空は真っ青の夏空が広がっていたが
アルプスの峰々は今日も姿が見えない。
予定は栂池自然園だったが、雲の中では行く気にもならないし
コロナでケーブルカー、ゴンドラに乗ることも危ぶまれている。
またの機会に訪れることにしましょう。
松沢口から森上駅まで塩の道を歩くことにした。 |
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道標や舗装に白ペンキを頼りに出発。 |
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最初の目的地松沢の薬師堂
最初が肝心なので、薬師堂の姿を見つけ感謝だ。
案内板によると
千国街道沿いにある小さな薬師堂ですが当時の信仰の深さが分かる建物で境内には多くの石塔や石仏が安置されています。
木食上人は全国を遍歴して修業した遊行僧で長野県にも
来訪したとされますが、松沢薬師堂に安置されている木像が
木食上人によるものかの真偽の程は良く判りませんでした。 |
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山道から車道に出て、暫く歩くと白馬村に入った。
さて、小谷村は塩の道は標識がしっかりあったが
白馬村はどうでしょうか? |
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微かにアルプスの中腹が覗いたが、ピークは全くわからない。
天気が良ければ素晴らしいアルプスの展望を満喫できるのに・・・
今回も絶望的だった。 |
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車道沿いにあった風切地蔵
白馬の吹く突風「岳おろし」や害虫から農作物を守り、
風邪や疾病をもたらす悪霊をも追い払ってくれるお地蔵様として
大切にされているそうです。 |
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風切地蔵で休憩後、地図を見ると直ぐ反対側から山道に入るらしい。
ところが車道を注意しながら歩いたが、それらしい道が分らない。
暫く歩きているうちに車道が下り始め、ちょっと違うじゃないの?
道沿いのペンションで尋ねると風切地蔵の前の草叢に入る道が
有りますよって、、、
標識は雑草に覆われていたが足元に微かな踏み跡があった。
草叢の不明瞭な藪蚊の襲撃と闘いながら少々不安なみちに
チョイ怖さを感じ出した。
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草叢に 塩の道の 千国街道 の標識があったので
安心した。
いつ熊が出てきても不思議が無いような木々が鬱蒼とした
うす暗い手入れもされず昔の古道の雰囲気だ。
これはこれで雰囲気があっていいのだが、県道は車がひっきりなしに
通行し、一歩山道入ると古道の草を分けて歩く。
このギャップが凄い。 |
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楠川瀬田橋から落倉までの道は、白馬村で唯一、古道当時の雰囲気
が残る佇まいだが静かすぎて一人では怖い感じだ。
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前方が明るくなり、ふと眼下に瀬戸橋らしい小さな橋が見えて
ホッとした。
瀬戸橋を渡り車道に出ると、ガイドブックに依ると
おかる岩が近くにあると・・・
楠川の上に案内板があった。
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おかる穴 10:30
嫁と姑の不仲にまつわる話。おかると呼ぶ嫁が霧降宮に
ある七道の面を顔にかぶって姑をおどしましたが、面が顔から
とれずに洞穴に身を隠したという伝説があります。洞穴は楠川
に架かる瀬戸橋直下にあります。
案内板の左手から踏み跡があったのでおかる岩へ下ってみようと、、
途中左は朽ちかけた欄干が倒れて行き止まり、踏み跡らしきを
辿り、河原に下りた。
メンバーにあまり頼りにならないが男性が一人。
こんな時は男性がいるだけで心丈夫になる。
真ん中の岩がおかる穴らしかった。
納得して引き返した。
木陰で休憩し再び次の切久保諏訪社に向かった。 |
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切久保諏訪社
社の裏から境内に入ると狛犬が口を開き、反対は口を閉じている。
塩の道の沿線には、旅の安全などを願って石仏群や石塔、
史跡がたくさん建てられており、かつての信仰の深さを
垣間見ることができる。 |
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切久保庚申塚
銀杏の木の下に案内板があり
天和3年(1683)の庚申塔や、二十三夜塔、馬頭観音などの
石仏群が並んでいた。
今の時期は草が生い茂り、標識や道標が雑草で覆われて
見つけることが大変だ。 |
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観音原石仏群
西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番を合わせた百体と
馬頭観音を含めると計187体の石仏が四角い広場を取り囲むように
並んでいた。
当時多くの旅人が険しく辛い行路の安全を祈ったのでしょう
江戸末期、高遠石工の彫像といわれている。
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この石段から次回の塩の道は青木湖に向かって
始めるのかもしれない。 |
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いよいよ森上駅近くなり住宅街に入った。
次の大黒天は何処なのだろうか・・・
ウロウロしていると目の前に大きな大黒天様の姿が目に入った。
これでチェックポイントは無事に終了した。
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最後の森上駅は踏切を渡るのだが、道が分らず
郵便屋さんに聞いて無事に到着した。
南小谷まで大糸線で戻るのだが、まだ1時間あった。
美味しいお蕎麦でも食べたいね・・・
お店はなく止む無くホームの待合室で残りのパンを一時しのぎで
ぼそぼそ食べた。
13:05の南小谷駅 行きに乗車し、小谷役場の駐車場に
無事に14:40到着。
帰路途中の中条町道の駅、温泉で汗を流した。
温泉は空いていたが私たちが出る頃に入浴客が
ぞろぞろ・・・ ユックリと温泉に入れて良かったね! |