ある日のつぶやき

2011年

11月30日
ネパールから帰国し、成田で携帯の電源をONにすると
娘からのメールに目が点になってしまった
9月頃から体調が悪く、出発前も少々気になっていたいた娘が
私が出発した翌日、入院したとの連絡だった。
孫の世話は相手の実家から母親が来てくれているということ・・・
我が家に帰ってからトランクの整理し、大洗濯を終え
同時に娘宅への身支度に追われた

帰国した翌日訪れた友人、妹たちが口を揃えて私の顔を見るなり
どうしたの?すっかり齢を取ってしまったようね
目はくぼみ、頬はやつれ、しなびてしまった私でした
まだ、喉の痛みがとれず風邪気味だ

帰宅して夜中に、我が家のベッドをロッジと錯覚をして3晩、
まだ疲れが残っていたが娘宅へ向かった

朝、どうも調子が悪く起きるのが辛いが
孫3人を学校へ送り出せばホッと一息

昼は近くの公園を散歩したり、足を延ばして石釜パン工房まで
パンを買いに出かけたり
また、持参したパソコンでHPのアップ(エベレスト街道)してみるがはかどらない
週末は娘が外泊許可になり帰ってくるのでヤレヤレだ

お気に入りの公園
時々大きなザックを背負った人の姿を見かけます
    


10月30日
恒例のダンスパーティ
来月3日からのネパールの準備に数日前からあたふたして
何となく気忙しく落ち着きません
スーツケースを開けたり閉めたり衣類の入れ替えしたり
ところがエベレスト街道のトイレ事情の悪さに今更になってうんざり・・・・・
高山病予防には水をたくさん飲んで尿をどんどん出すって
どうしよう・・・・・やはり私には駄目かも
でも、もう行くっきゃないのです
気持ちを切り替えて
♪♪♪
春、開催予定だったパーティが震災のため延期になり
今日の開催になりました

会場は熱い中高年でムンムンです
私は怪我でもしたらと足を気にしながら踊りました
久々のパーティはちょい緊張しましたが快い疲労感と満足感そして
暫らくぶりで顔を合わせた方もいて本当に楽しいひと時でした

   



9月29日
みょうが

今日は季節はずれのダンスの納諒会でした
昨日は疲れが溜まり体調が頗る悪くとても参加できる状態でなく
これから生きていけるのかと大袈裟に悲観的でした
でも、今朝は快適な朝を迎えホッとしました
でも、調子づいて踊り狂ってはいられません
早々に退散しました


帰宅して庭の隅の
数年前に娘宅から頂いたみょうがを始めて収穫しました
みょうがの根元に顔を出していると聞いても
情けないながら土を穿ることどころか根元を見る事も出来ない私です
何故って?ミミちゃんがいるようで・・・・
今日は思い切って根元を見るとそれらしきものがありました
良い香がプーンとします 嬉しいですね
今夜はお豆腐と食べましょう




9月4日
旧友と

今日予定した中山道歩きは台風のため延期にした
たまたま、昨夜旧友からテレビ「天空の宿」見てますか・・・
山頂に建つ北アルプスの山小屋を幾つか放映していた
船窪小屋を除いて他は何度か宿泊している小屋だった
友人は心臓が悪いため山歩きはとっても出来ないのでしきりと羨ましがっていた

昨夜のメールの交換から急遽、今日は旧友たち4人で会うことになった
ランチと我が家でお喋り、一日があっという間だった
〇十年?半世紀?のお付き合いだから青春時代、結婚、子育て、子供達の
結婚までをすべて知り尽くした仲だ。話は途切れることがなく続いた。
台風のお陰でゆっくりと旧友の再会が出来た。

でも・・・・姥桜(女盛りを過ぎても、 なお美しさや色気が残っている女性)
すっかり皺が多くなり話題も変わってしまったなぁ・・・・・



8月18日
孫が来て良し帰って良しと言うが3泊4日で遊びに来ていた娘一族が帰ると
我が家は尚一層広くなったようだ。
何処へ行っても混雑は避けられない。結局近場の榛名へ出かけた
喘息気味の娘はケーブルで榛名富士へ
私と孫4人は山頂へ徒歩です

因みに野球少年は選抜チームの関東大会千葉へ
1家族は家族旅行へ出かけ不在

待ってよ!写真撮るからと叫べども3人は全く無視して歩いていってしまう
一人Vサインを出すのは未来の体操のオリンピック選手のMakoちゃんだけ
登山道は昨夜の雨で滑りやすく急斜面に手こずってしまった



山頂で持参のお弁当を広げ、下山は全員ケーブルに乗り込んでしまった
ケーブルに乗車は長蛇の列、何処も待ち疲れだ



3人はボートへ(30分1500円)安い
1人はポニーに乗馬(10分2000円 高!


しばらく榛名湖の水に遊び4人は満足したらしい
榛名湖畔はいつも大変な混雑だ
帰りは水沢観音にお参りしましょう
ところが全員疲れたからもう歩きたくない・・・・・座ってカキ氷
元気な人はおばあちゃんだけ

8月3日
父よ安らかに

安心して南アルプスへ行ける、と携帯アラームを5時に設定
ところが4時20分過ぎに電話が鳴った
時計が狂ったのかと見れば妹から父危篤の電話だった
山はドタキャンし、病院へゆっくりと慌て急いだ
前回の危篤の際スピード違反で捕まり15000円の罰金の苦い想いがある

今回、99歳を間近に父はついに帰らぬ人になってしまった
父は日曜討論会と水戸黄門が好きで毎週欠かさずテレビを楽しみにしていた
2年前自分史を書き終えてからグンと体力が落ちたようだった

98歳まで矍鑠と生きていた父に私は結構な元気を頂いていた様だ
父を送り、今脱力感で周囲がしらけて何もかも色褪せてしまった

葬儀を終え、自宅に戻り小学生の孫二人が我が家に泊った
葬儀で涙を見せた私を励まそうとしてか二人の孫は
お笑いコントを披露して笑わせてくれた

孫の中体連野球県大会は惜しくも3位に終った
腰の披露骨折から3,4ヶ月でなんとか立ち直り
ピッチャーで連投し4番打者と精一杯粘り抜いた孫に
心から励ましのエールを贈ろう

7月30日

ヤッター!!
2回戦はさすが3位のチームだけあって
ドキドキハラハラの展開だった
最終回ランナーを出し、最後の打者を三振に打ち取った孫
連投のため脚の筋肉が張っているとか・・・・・
明日は別球場が雨のため順延になり1日休養日になったそうだ

帰りに父の入院先に寄り昼食を食べさせてきた
2,3日前から食事は完食のためか
顔は楽そうに見えた
安心して山へ行けそうだ
南アルプスで私は鋭気を養い、生きている証を確認してこよう


7月29日
群馬中体連 軟式野球県大会
  




3年前少年野球関東大会で優勝を飾った我が孫は
その後、肘や腰の疲労骨折に泣き
もう投げることが出来ないのかと心配したが
中学最後の大会で県大会出場になった。
久しぶりに孫のピッチングの観戦に出かけた
体はがっちりとして表情も良くなった
味方のエラーで1点を失ったが
2:1で1回戦は勝った
明日の対戦相手は春季3位のチームだという
悔いの無い試合をして欲しい

明後日から南アルプスへ出かける予定だが
父の具合が悪く何度も危篤状態を脱し
お医者さん曰く生命力は常識以上の凄さらしい
殆んど眠っている状態だが意識はしっかりしているが
何時お別れのときが来るか分かりません
明日、孫の試合の様子を分からなくても報告してきましょう


7月23日
ダチョウって走鳥類

娘宅へ孫の世話に出かけ、暇を持て余している私を婿殿が
隣市のだちょう牧場へ案内してくれました
2,30羽のダチョウがフェンスの中に飼育されています
ダチョウは啼かないし、臭わないし、静かな動物らしく婿殿は
飼いたいなんていっていましたが我が娘はきっと大反対するでしょうね

ダチョウは空を飛ぶことを忘れて早く走ることに進化した動物です
このような鳥を走鳥類と言うそうです。
仲間にはオーストラリアのエミュー、ニュージーランドのキウイ南アメリカのレアーなどがいます
ダチョウは体重約100〜150kg、身長2m越えるそうです
寿命は50年と長生きです、時速60〜80kmと駿足です
実際目の前にいると威圧されます
長い首がフェンスから飛び出してきそうで思わず後ずさりしてしまいました

    

ダチョウの卵は1個5000円で販売していましたがちょっと買っても
調理が出来ませんね
他に玉子を使ったお菓子やアイスも販売していました
アイスは味が濃厚で美味しかったです

今週は南アルプスの予定が台風のため林道の崩壊があり
登山口まで入ることが出来ず、天気予報の悪化もあって1週間延期になってしまった
娘宅から帰宅した今日はテレビ、読書、居眠りと体長はすこぶる良好!
早く山へ行きたいなぁ!

7月18日
早朝、目覚めと同時に女子サッカーの中継を観ました
強豪アメリカに押され気味な試合展開です
駄目かな?とスイッチを切ってウトウト・・・・
気になるサッカーに再度テレビを観てみれば同点です
延長戦、PK戦に思わず身を乗り出して観戦しちゃいました
最後の最後までの粘り強い戦いでした
久しぶりの感動!体が震えるようでした
被災者の方々もきっと勇気を与えられたでしょう
なでしこジャパン有難う!


7月11日
膝の痛みに外科へ、レントゲンは異常なしです
通院して電気、マッサージを幾日か続けたら痛みは
無くなりホッとしました
自己診断では筋肉疲労から筋肉損傷らしい
でも、自分の山日記を振り返ると殆んど膝痛を苦にしながら歩いているようです
止せばいいのにと思うけれどこれって山病だから仕方ないみたいです
いつか歩けなくなるときが来るかもしれません

突然梅雨明け宣言になった
そろそろかなと思っていたが空梅雨で困った人が多くいるでしょう
今日も朝から茹だるような暑さです
節電は余儀なく、熱中症に気をつけなければ
3000mの山にしばらく篭っていたいなぁ・・・・

6月20日
数日前から突然に左ひざが痛み出した
諏訪山を中止に出来ない。痛みは自分持ち動けなければ
仕方ないがとにかく行って来ようっと・・・・・
しかし歩行時間のみで7時間の山だ。
行きは良い良い帰りは怖い
まさしくこの通りだった。
下りの岩場は無理しても膝を曲げなければならないし
左を先に着きたいが狭い場所は右から出さなければならない
ウーン!痛ッ!下りの辛さは我慢が出来ない
慎重に!慎重に!
でも、痛みの我慢はニュージーランドで筋金入りになってしまった
今日はなんだか憂鬱・・・何する気にもなれずボヤーッとしている
たまにはいいでしょ。 こんな一日があっても・・・・・

5月30日
安眠のために救援物資 枕の縫製


今日の山行が雨のため中止になり
今日こそ映画を観にいこうと思っていたが押入れにある未使用のカーテンが気になり
これも枕にと思ったら映画はまたの機会に・・・・・
カーテンを解し一枚でも多く裁断したいとあれやこれや考える。これが結構楽しい
裏地は白のシンモスがあったので、幅が34センチ幅だから助かった
午前中に10枚を仕上げ、午後はアイロンかけで終了。
数日来の枕つくりで部屋中が糸くず、端切れが散らかり放題で大掃除になった。

日頃不眠症で悩んでいる私は熟睡が夢のまた夢です
昼間はたいした事でなくても夜はとっても不安になるものですね
被災者達がどんな気持ちで夜を迎えているか
せめて夜くらいはゆっくりと眠って欲しい・・・
そう思いながら枕を一枚一枚心込めて縫いあげました
久しぶりにミシンが大活躍でした
お疲れ様!!



5月23日
ダンスパーティー、登山が続き少々疲れ気味
今日は雨模様休養を与えられたのに貧乏性の私はジッとしていられず
被災地へ送る枕作りに朝から没頭しています
昼頃から背中が痛くなって、もしかして膵臓癌かな?
若い頃、膵臓炎を患ったことがあって痛みが似ているからです
がん検診は昨年からしない事に決めたので
癌になったら痛みのケアだけにしようと思い
がん保険も止めようと思いながら止めずにいるのは何故だろうか
背中の痛みが治らなかったら診てもらうかな・・・・

枕は布は二重にしてやっと22枚縫い上げた。
タンスの奥に白い布が黄ばんであったから漂白したら真っ白になった
枕カバーを縫おうかな?
明日は映画を観にいきたいし、時間がもっと欲しいな

5月20日


今年は我が家の庭のシャクナゲは例年の2倍ほど花が多い。
何の手入れもしないのに忘れずこの時期に
大輪の花を咲かせて私を喜ばせてくれる。

まだ、原発は収束がつかず不安な日が続きます。
東北は徐々に復興の兆しが見え始めたが、まだまだ先は遠いようです
山のクラブでもボランティア活動に6月11〜13日出かけますが
私も飛んで生きたいところですが、自分がリーダーの山行が予定されて参加できません

被災者から枕の要望が多いそうで私に今出来ることに精を出したいと思います
暇を見てアイロンかけから採寸、縫製とミシンを踏んでいます
また機会があれば是非現地へ行って何かお手伝いできることが
あれば協力したいと思います
一日も早く元の生活に戻れることを願っています

4月6日
孫とまごまご

今日は何処へ行こうか・・・・・
クラブのY氏から慈眼寺の枝垂桜見頃ですよ
と、情報を頂き急遽有り合わせでお弁当を作って出かけました
慈眼寺から群馬の森へ
ところが道を間違え先に群馬の森に到着してしまいました



群馬の森に行くと私が最初に向かうのは最奥の献眼の碑です
碑には献眼をした夫の名前が刻まれています
夫の献眼で誰かが明るい世界を眺めていることでしょう

次に歴史博物館で開催されている「洛中洛外図屏風に描かれた世界」を
ちょっと覗いてみることにしました
入場料800円 シニア料金はなしです
小学生以下無料

第1部   洛中洛外図屏風
室町幕府13代将軍足利義輝、狩野永徳、織田信長、上杉謙信が関わった屏風です
16世紀初期の京都の暮らしが描かれています
    第2部   洛中洛外ず屏風の世界
ここは屏風に描かれている武具や調度品が展示されてあります
特に目を引くのが松竹梅鶴亀葵紋蒔絵貝桶です
これは貝合せに使う貝を入れたお重のような大きな華やかな入れ物です
そのほか婚礼調度品、刺繍入りの素晴らしい打ち掛けなどなど・・・・
第3部   デジタル画像で見る洛中洛外屏風
肉眼でなかなか確認できない屏風絵のの細部を拡大して見られます
京の都の名所、人々の表情など
孫が一緒で無ければもっとゆっくりと廻りたかったのですが
小学生の孫はいくらか興味があったのかおとなしく太刀や鎧、武具を見ていたようでした

常設コーナーでは特に昭和初期の教室や家に関心があったようでした

    
昭和初期の教室 懐かしい机や椅子、ストーブの前で

    
暖かい陽射しに手作り弁当は美味しいネ!
おにぎり(鮭、ウメオカカ)、とりのから揚げ、ゆで卵、イチゴ、漬物など      

   
    午後はわくわく体験で今日はミニ屏風の作成
指導員に教えて頂き私もミニ屏風を真剣に作りました

そして帰りに慈眼寺に向かいました
境内は大勢の人で賑やかでした
もう、すっかり春ですね
      



3月30日
嬉しいニュース
タイの電力公社が、東京電力に12万2000キロワットのガスタービン発電設備2機を貸し出し、
まるごと移設することが決定! およそ24万世帯分の電力をまかなうことができるそうです
フランスからも応援隊が、海外から温かい支援に世界は一つなんだ!
こんなニュースに心が和みます

久しぶりにダンス教室に向かいました。
ほんとにほんとに気にしていることをズバリ言われてしまった
「少し太ったね」

4,5日前から腰痛がおきたこともあって午後は早速ウォーキングに出かけました
3時30分に我が家を出て、普段車で走らない小道や畑の畦道を見つけながら歩きました。
赤城山、榛名山はすっぽりと雲の中です
畦道を流れる小川のせせらぎ、柔らかな風に吹かれて清々しい気分になりました
途中でスーパーで買い物し我が家に到着は5時を回っていました

山道が無性に恋しくなり、今週末は絶対に山へ行こう!
いつまで歩けるか、体力限界は秒読みの段階です
被災者たちは明日に向かって歩き出しています
老い先短い私はぐずぐずして居られません

でも・・・・・ちょっと元気が出ません

3月29日
東北関東大地震以来、私の今までの生活はストップ状態になってしまった
被災者の方の気持ちを思うとダンスはもちろん登山の気力喪失です
しばらく自粛の毎日だが退屈は感じません

昨日は我が家の押入れに眠っていた座布団を干してカバーを洗濯しクリーニングして
一日が目まぐるしかった。座布団は救援物資の対象外でしたが行政事務所に
問い合わせすると受付オーケーと言うことでした
取りあえず16枚を3枚の布団袋に詰めて事務所に運びました。
そこに中学生のボランティアが大勢働いていて
私の車からカートで運んでくれ助かりました

今、私たちに出来ることにそれぞれの立場で力を出しています
本当に日本中が一つになって復興に向けています
私もこれからも微力ながら自分に出来ることを見つけていこうと思います

テレビの映像から被災者たちの明日に向かう明るい笑顔と
年金生活のわずかな家計から義援金に協力し
久しぶりに私の心は何となく落ち着き始めてきました

3月17日
大地震から1週間経ち今だ余震が続き、その上福島原発の冷却化機能喪失により連鎖的事故、
円急上昇、計画停電等、次々に暗いニュースが飛び込んできます。

13日にわが町内の区民総会開催の際、会議の前に区長の指示で
震災で亡くなられた人たちに全員で黙祷しました。
この配慮に私も区の役員として区長へ信頼感が強まり一年、協力せねばと意識が高まりました。

いま、震災から遠くはなれた私たちに何が出来るかを考えると
被災地の方たちが燃料に困窮している様子から
無駄に車を乗り回すことを自粛しなければいけない。

当分、趣味のダンス、登山は慎まなければいけない、
と言っても出かける気になりません。
節電、節水は日頃心がけているからこれ以上節約は出来ません。

お彼岸が近づき、お墓が心配だったが息子が大丈夫だったと
メールをくれ安心した。
お彼岸は早めに行ってお掃除も済まそうと考えています。

一日も早く被災者たちが安心した夜を過ごせることをお祈りします。



3月13日
一昨日の東北関東大地震
出先から帰宅しホッとしてるとグラグラッと大きな揺れにビックリ仰天
大急ぎでヘルメットと緊急ザックを持ち、恐る恐る外へ出てみた。
愛車と車庫が大きく揺れて、体はゆらゆら・・・・・
揺れが落ち着いたのでテレビを観れば、東北沖震源地マグニチュード8あまり
次第にテレビの画面から恐ろしい映像が次々に現われ
これが本当なのだろうか、まるで映画のワンシーンのようだ。
黒い津波が集落を襲う。

私は余震に慄きながら一人画面に見入ってしまった。
親戚、友人にも電話が通じず不安は高まる一方だった。
夜になり時々メールが通じ、私の安否を気遣ってくれるメールも入った。
翌朝は次々に携帯、固定電話が鳴り続け人の情けに思わず涙がこみ上げた。

前日、50年来の親友のご主人の訃報があり
私の気持ちはすっかり下向きになってしまっていた。
昨日は近くの友人から怖いから一緒に居ましょうと電話を頂き
昼食をご馳走になり夕方まで遊ばせていただいた。

日本へ海外から救援隊が次々に到着のニュースに
又も涙、涙、涙。
犠牲者が一人でも少ないように祈るしか何も出来ない私だ。
せめてしばらくは山歩きは自粛しようと。

昨夜、気遣っていた八戸の親戚から電話があり
先ほど電気が点いたと、テレビで初めて悲惨な映像に驚いたと、
真っ暗な一夜はどんなに不安だったでしょう。
無事の電話にホッとしたが、被災者たちが一日も早く復帰できますように祈ります。

3月9日
どうしたことか?

1昨日妹宅の玄関先の敷石に躓いたか?雨で濡れていて滑ったのか?
突然転んでしまった。自分は絶対そんな失態はしないと思ったのに
片膝をつき、ズボンの汚れだけかと思った。
ところが、なんと膝に穴があいていた。お気に入りのズボンだったのでガックリだ。
捻挫かな?とヒャッとしたが右の足首も突いた左ひざも異常が無かった。
これからはこんな事が日常茶飯事に訪れるのだろうか。
自分だけは大丈夫の過信が次第に崩れつつある。

先日は三才の女児がスーパーのトイレで殺害され遺体で発見された痛ましい事件があった。
娘宅に女児が居るので気をつけるように電話すると
お母さんも振り込め詐欺に気をつけなさいよ、って逆に忠告されてしまった。
詐欺寸前までいった私はなんとも言い訳の仕様が無かった。


2月13日
雪化粧

前日から降った雪が、ほんのりと我が家の庭も雪化粧です
たまに降る雪に、ウァー綺麗と喜んでいるが
連日、雪、雪、雪、の日本海側の人たちはお気の毒です。
雪下ろしに毎日苦しむ地方の方の苦労が思いやられます。

2日間きっと家から出られないだろうと
図書館から本をどっさり借りてきたり、読書三昧です。

今日は午後から群響の演奏会へ
暫らくぶりのオーケストラの生演奏と
夕食は同伴の妹とが夕食をご馳走してくれると・・・・・
なんだか久々に心がウキウキです。


2月6日
洋裁ごっこ

忙しく寒さ寒い1月が過ぎてしまった
朝からどんよりとして今にも冷たいものが舞い降りてきそうです
以前買ったベストの袖周りが大きく殆んど着用せず
捨てようか迷っていましたが惜しい気もするので
今日は袖周りをつめました。
ちょっと面倒な仕事でしたが暇つぶしにお直しが完成しました。
静かな時間にたまらなく幸せを感じます


1月21日
湯たんぽ

冬は電気毛布を手放せない私ですが
どーも喉が渇き枕元にいつも水の用意をしておきます
昨年湯たんぽを買おうと思ったら既に売れ切れでした
今年こそはと思ったのが遅かったのか、又もどこにも無く
ヤッと先日買うことが出来ました
これが予想以上に快適グッズです
足元が朝までぬくぬくと気持ちよく、なんだか以前よりよく
眠れているようです
でも、床に入るまで電気毛布のスイッチは入れています
ほわっとした布団に潜るときが幸せの瞬間です



1月20日

  

今日は恒例の新年ダンスパーティーでした
女性の皆さんそれぞれ華やかに衣装に身を包んで日頃の
練習の成果の発表にワクワクしていました
私もその一人でしたがワルツとチャチャチャを踊りましたが
緊張していないようでしたが今一納得いかない踊りでがっかりです

特に印象に残った踊りはチャチャチャを八木節のリズムで色とりどりのハッピ姿で踊ったクラスでした
格好良かったですね
何組かデモンストレーションしましたが、遠い将来に私の夢でもあります
いつの日でしょうか・・・・・
    

1月3日

昨年の暮れは年越し蕎麦をひとり啜るのかとちょっと侘しい気分になりかけていた
それが急に娘家族が一日早い帰郷になり賑やかに年越しが出来ました
一人分の天ぷらを揚げるのも切なく思っていたのですが
大皿に2盛の天ぷらをあげるのがルンルン!!

そして年が明ければ孫7人にお年玉を・・・大変な出費
ところが全員集合に次々に訪れる孫たちの二人の孫にお年玉を忘れてしまう始末
翌日、言われて「えー!本当に・・・・」引き出しを開ければ2袋残っていました

日頃は独居生活は自由気儘でも年中行事に一人でいることが一番耐え難い処です
自由と孤独のギャップの激しさにその比重は年々変化していきますが
5分5分であるように今年も健康で自由を謳歌したいものです
孫たちの可愛い声が家中に響くのも明日限りです

来年はどの子が私の背丈を追越していくのでしょうか

 Top

inserted by FC2 system