第5回 関東ふれあいのみち
(コースbP4 道祖神のみち)
6.7km  17000歩
                                            
2014.4.12


参加者 CL藤井、SL川野、(車両)小野里、星野、野中、田所  (会計)吉田、茂木
篠田、亀井、梶原、福島、宮沢、山口、桑子、桜井、高橋(厚)
                

今回は群バス室田営業所までマイカーで、そこから路線バスの利用を考えていたが
地図を眺めているうちに県道33号線で車の回送すればバスの待ち時間より時間的に早い。
只、車の台数が多いから始点と終点に駐車場があるかどうか。
始点は高野谷戸バス停の手前の榛名川パーキング、終点はさわらび療育園バス停付近の
路肩に、無ければ妙義神社歴史民俗資料館に決め、マイカー4台に分乗することにした。

コースタイム
浜川8:30〜榛名川パーキング9:10〜はんな・さわらび療育園付近駐車地9:35〜三の倉会館P9:45
三の倉会館10:05→高野谷戸10:15→神明宮10:30→全透院10:45→戸春名神社11:05→ランチタイム(11:15〜12:00)

関東ふれあいのみち石柱12:25→らんづ花の里12:55〜13:10→はんな・さわらび療育園13:30→
さわらび療育園バス停0.6km標識13:40→はんな・さわらびバス停13:45駐車地13:55小栗上野介顕彰慰霊碑14:15
                                         〜〜三の倉会館
14:25〜浜川                             




浜川から倉渕三の倉落合信号の手前の榛名川パーキングで
トイレ休憩しドライバー4名と私を除き、残りの12名はここから始点の
高野谷戸バス停へ歩き出してもらう。

車4台はコース終点のはんな・さわらび療育園バス停に向かった。
幸いバス停のすぐ先に広い空き地があったので車3台を駐車し
1台に5人が乗車して、県道33号線を下り高野谷戸バス停付近の
三の倉会館に駐車した。
ところが、高野谷戸(コウヤガイド)バス停と思ったのは東小学校前バス停だった。



ここから5人は高野谷戸バス停まで歩き、SL川野さん引きいる12名と合流した。
高野谷戸バス停のすぐ脇の小道に入る。


小路に入り5分ほどで関東ふれあいのみちの案内板が有りました。

このコースは高野谷とバス停より榛名町蘭津入り口に至る約6.7kmのどかな
山村風景と古い歴史を楽しむ自然歩道です
小川のせせらぎや清水の湧く畑道など、ほのぼのした自然の移り変わりに
永い歴史を語る
栗崎城址、全透院戸春名神社などが調和して私たちの心を和ませてくれます


神明宮
ふれあいのみちから少し外れたところにあり
パスしようと思ったが道祖神があるというので寄り道した。

ここには双胎道祖神が仲良い姿で並んでいた。


全透院
ここが今回の撮影ポイント
境内の桜が満開で、枝垂桜が素晴らしい。

全透院と栗崎城
 延徳元年に木部新九郎が開基し、大永年間に大戸浦野氏が
中興開基となり堂宇を建立した。境内には由緒のある地蔵堂、
庭園と石垣がある。裏山一帯は栗崎城跡で全透院はその居館である。
木部氏のあとに浦野氏の居城となりのち北条氏の配下になった。 
                      倉渕村の文化財より

裏手に栗崎城址があったが見落としてしまった。
が、、、倉渕町には他にも三の倉城、権田城などがあり
またの機会に是非寄りたい。


全透院から県道33号線を横断して暫くすると右に曲がり、
戸春名神社がある。
参道石段入口の左右に大杉が立っている。神社の御神木で
樹高 43m、目通り幹囲 6.4m、推定樹齢 伝承550年

元来この神社は三ノ倉の氏神だったが、室町時代に榛名神社の神徳に
あやかろうと分霊を願い「外榛名神社」となった。

本殿まで急傾斜の石段を登って拝礼した。
数人がここでエネルギーを使い果たして「お腹が空いた!」


神社の近くの暖かそうな、と言っても今日は汗ばむ陽気だったが
平坦な広場でランチタイムにした。
水仙の花が咲き満開の桜、小川のせせらぎ、ウグイスの鳴声・・・
のどかな山村風景を眺め心が落ち着く。

木陰が欲しいようだが、日焼けしたくないので太陽を背に向け
雑談に花が咲く。


ランチ後、道は少し傾斜がきつくなったが、皆さんとても元気だ。
スギの木立に関東ふれあいのみち石柱があった。
その後ろに湧水が美味しそうに流れていた。


ずっと舗装された道だったためか左の足首の筋がちょっと痛み出した。
対向車が時々来る位でスギの木陰は涼しくホッとする。
 

スギ林を抜けると明るい集落に出た。
ここも桜が見ごろを迎えている。 


桜、梅・・・
何に見惚れているのでしょうか。


らんづ花の里

今日は営業してないがベンチがありトイレもあり
ゆっくり休憩だ。


あれ?
杏ヶ岳・味噌玉岩 登山口の標識があった。

そう、杏ヶ岳の山頂で休んでいた時、南から大勢のハイカーが
上がってきたことがあったけ・・・

近いうちに是非歩いてみたい!

休憩後、???ここに標識があるわけだが 、見当たらない。
道は変則の十字路になっている。
右方向に間違いないが、二本の道は一つは右に、一つは左の坂道。

道路の上の標識は左がさわらび療育園と矢印があった。
 

道なりに進むと大きな建物があり、これがはんな・さわらび療育園だ。


間もなく正面に榛名連山が見えてきた。
明るい畑を眺めると何故かホッとする私だ。
 

さわらび療育園バス停まで0.6kmの標識。
フィニッシュまでもう少しだ。 


榛名川の橋を渡ると安中榛名湖線に出ると、直ぐ左に
さわらび療育園のバス停があった。


ここからバスの予定だったが目の前を13:44のバスが
通過していった。


バス停から数分の駐車地に無事全員が到着した。
3台の車に17人が分乗した。


帰路は郵便局前から300mの
小栗上野介顕彰慰霊碑に立ち寄った。

徳川家の旗本小栗家(神田駿河台に生まれ、
1860年(万延元年)34歳の時、井伊大老の抜擢により
日米修好通商条約批准の遣米使節(目付・監察)として、
米艦ポウハタン号で渡米、さらに二隻の船を乗り継いで地球一周して帰国。
その後の八年間幕政をささえ、日本の近代化を押し進めた。

西軍(明治新政府軍)のため罪なくして水沼河原で家臣三名とともに
斬首される。

哀れ上野介は42歳の若さだった。

三の倉会館に寄り、トイレを済ませ4台の車に乗り換えて
集合場所に戻り解散した。
お疲れ様!

 

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