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通洞駅
8:20 取りあえず足尾親水公園へ車1台をデポしてきた。
始点の駅の隅の空き地に駐車できそう。
ラッキーと喜んだのだが近くのおじいさんが「我が家の敷地だから
長時間駐車は困る」
通りかかりのおじさん2人は「あの家の地所ではないから大丈夫ですよ。
あの人ちょっとおかしい人だから」
でも、おかしいからと言えば尚更駐車は出来ません。
近くの銅山観光の駐車場へ置くことにした。
9:00 通洞駅を出発。 |
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人気のない道は歴史を感じさせる家屋が多く、今日は老人会の
行事があるのか?道端にお年寄りがバスのお迎えを待っている姿が
あちらこちらに見られた。
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9:25
足尾駅に到着。
丁度、電車がホーム入ってきた。
駅舎の右に関東ふれあいのみちの案内板があった。 |
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が、、、残念だが文字が読み取れなかった。
ガイドマップにこのコースは銀山平から本山を経て通洞駅まで13.5kmあります。途中には足尾銅山の鉱脈があった備前楯山や足尾銅山の象徴ともいえる足尾精錬所跡、古川橋や掛水倶楽部があり、鉱山の近代化を進め、銅の生産で栄華を極めた足尾銅山の歴史を辿るコースで。銅(あかがね)親水公園内にある足尾環境学習センターでは、銅山の歴史や環境問題を総合的に学ぶことが出来ます。また、地場産業である足尾焼の陶板約2000枚を用いて描いた足尾ダムの巨大な壁画にも圧倒されるでしょう |
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10:00〜10:10 休憩
間藤駅
渡良瀬渓谷鉄道の最終駅。 開業当初はスイッチバック施設があり、当駅で貨物扱いを行い足尾本山へ
向かう列車は当駅でスイッチバックを行っていた(旅客列車は当初から
当駅折り返しだった)。1970年に当駅の貨物営業が廃止され、
スイッチバック施設は撤去された |
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10:20 鉱山住宅廃墟
鉱石(黄銅鉱)の産出量が増えるに従って、坑口の周辺に抗夫住宅
(ほとんどが長屋形式)や病院、学校もあったそうだ
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今は廃線になっている線路。
寒々した風景に一層の寂しさを感じる。 |
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10:30 間藤水力発電所跡
輸送方法の変化などに伴い大量の電力が必要になり明治23年に建設されました。その電気は、坑内の排水や坑内電車、電灯などに利用され、銅山近代化の原動力となりました。明治39年にはより発電規模の大きい日光細尾発電所にその役割が引き継がれました
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10:50〜10:55 古川橋 明治23年に竣工したこの鉄橋は国指定重要文化財になっている。
木製の床板が往時の雰囲気を残していた。 |
足尾精錬所跡
東洋一の銅山と呼ばれ常に日本の先端を行く精錬法をつくりだし
世界中から注目されていた。
昭和48年に資源の枯渇で閉山になったが高さ45mの大きな煙突は聳える足尾精錬所は
銅の生産の栄華と公害問題の舞台になり足尾銅山の象徴になっている。
今も渡良瀬川の向うに精錬所と煙突が現存して往時の繁栄を偲ばせてくれる。
一見の価値があります。
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渡良瀬川は青く澄み、公害とは無関係に往時から静かに流れている。 |
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やがて前方に足尾ダムが見えてきた。
後方の山は日光の社山、奥に黒檜岳が見えている。
煙害で禿山だった山肌から流れ出る砂礫が谷を埋め洪水の度に下流の
押し流されてきた。
3つの川の合流地点に昭和25年から5年近くかけて造られた。
足尾に緑を育てる会
私も何度か植樹に参加したことがあります、
禿山は現在、みどりが多くなり皆さんの協力の賜物でしょう。 |
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中央の白い階段を上がり植樹をしました。
当時、お元気だった立松和平氏が我がクラブが急斜面で作業していたのを
みて「ちょっとそこの方たち危ないから若い人に変わって貰いましょう」と
私は「私たちは山歩きをしているのでこの程度の斜面は大丈夫ですよ」
その後、立松氏と両神山の山頂でお会いし、下山が破線コースを下ろうとした
私たちにいつまでも山頂から大声で道のアドバイスをしてくれました。
本当に優しい方でした。
その翌年、ラジオの深夜便で多臓器不全で亡くなられたニュースに大変
驚きました。 |
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久蔵川、松木川、仁田元川が合流して渡良瀬川になるところに
造られている砂防ダム。
水量が多く左の堰堤に足尾焼の陶板2000枚を焼いたカモシカの
絵が印象的だったb。
カモシカの数は多いらしいが今日は一匹も見ることが出来なく残念だった。 |
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親水公園のあずまやで楽しいランチ。
展望台へ上がろうとしたが、通行止めの為残念だか デポした車に
全員が乗ることが出来て足尾銅山まで戻ることにした。 |
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12:40
足尾銅山観光 入館料820円
丁度トロッコの発車12:45発に間に合った。 |
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乗車はちょっとだけで真っ暗な坑内で下車し、坑道を歩いて観光。
前回登った備前楯山の下に何層にも掘られた坑道に
よくも備前楯山が崩れないものだと感心した。 |
400年の歴史があった足尾銅山が閉山になった後、当時の辛く厳しい鉱石採掘の様子を年代ごとに
リアルな人形で再現しています
作業も人形の服装も時代と共に変化している。
休憩の人は何を話し合っていたのでしょうか・・・
今日は暑くて大変だなァ・・・疲れたなァ・・・かな?
キャラクター源さんの探検シアターで数分間の銅山の歴史と発掘の様子などお勉強した。
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銅山観光後、途中の草木湖の旅の駅に寄ることにした
駐車場の片隅に貧乏神追放の神様が祀ってあった。
「すみません!貧乏なので1円しかないのですが、貧乏を速やかに
追放して頂けますか・・・」と手を合わせました。
14:20 寝釈迦
土産物店の裏にある寝釈迦の見物。
青空に仰向けになり観音像がゆったりと寝そべっていました。
なんだか気持ち良さそうに微笑んでいるようでした。
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