安達太良山
(1699.6m)
2021.10.8(金)
過去の記録
1993.10.10 2009.10.12
最初に訪れた安達太良山の素晴らしい紅葉が忘れられなくて
再度訪れたら、なんと山頂付近は枯れ木になっていた。
でも、くろがね小屋を過ぎて遊歩道の紅葉が見事だった。
3度目の今回は追い越され隊が是非安達太良山の紅葉が見たいという、、、、
勇んで出かけたが、ゴンドラ駐車場に到着し、身支度していると
凄い風で、体が飛ばされそうになった!
もしや、ロープウェイは運行中止かな?
今日の予定はゴンドラを利用し山頂へ、下山はくろがね小屋へ立ち寄り岳温泉でゆっくりと。
M公園6:00~あだたらエキスプレス駐車場10:45
遊歩道は入口11:00→11:10→奥岳分岐11:35→五葉松平(12:40~13:10)→薬師岳13:25
→「この上の空がほんとうの空です」二本松市標識→木道終点13:45折り返し→薬師岳みはらし台(13:14:00~14:20)
ロープウェイ乗車~山麓駅コーヒータイム→15:30岳温泉泊
|
いつもチケット売り場は長蛇の列だ。 私はチケットを購入しようと皆さんより早くゴンドラ乗り場へ急いだ。 やはり、不安は的中しロープウェイは動いていない 明日の天気が良ければ安達太良山は延期するのだが、 ☂予報だし、時間は既に11時になる。 行けるところまで行きましょうか・・・ |
11:00 遊歩道入口 そぞろ歩きのシニアがあちらこちらに見かけられた。 |
|
|
くろがね小屋分岐 さすが100名山だけあって標識はしっかりしている。 このコースは初めてなので全く様子が分からない。 |
|
止まったリフトを仰ぎながら、スキー場の脇の登山道を 黙々と歩く。 登る人は少なく数人に追い越されただけだ。 |
|
11:35 奥岳分岐 |
|
11:35 遥かに駅舎が見えるが、まだまだだ。 下山者の姿が多くなり、「いやー!上は風が強いですよ」 |
|
11:45 山頂までは無理なので焦らずゆっくり休憩しながら歩んでいく。 |
|
秋のいわし雲が綺麗だ。 |
|
12:05 道は次第に斜度があり、その上とても荒れている。 私はこのコースは初めてなのでワクワク気分だが、 追い越され隊の面々はかなりきつそう! |
12:24 アルミの梯子 このコースを利用する人は少ないのか? 道はえぐられて辛い。 |
|
12:33 五葉松が多くなり、五葉松平は間近な感じだ。 少々お腹が空いてきたが、休憩時の大福が効いて さほどお腹が空かない。 五葉松平まで頑張ろう。 |
|
|
五葉松平(12:40~13:10) 風を避けてランチタイムにした。 この先は歩き良い道になる。 |
|
青々した五葉松とナナカマドの真っ赤な実 周囲は次第に秋色に染まり始めていた。 |
|
やっと、薬師岳へ到着。 数人のハイカーが休憩していたが、私たちは五葉松平で ランチし、時間の余裕が無いので、2時を限度に進むことにした。 |
|
薬師岳13:25 みはらし台は帰りに寄ることにして先を急ぐことにした。 ここからは傾斜が少なくホッとできる。 山頂から直ぐにほんとうの空の標識があった。 |
ここが高村光太郎の「智恵子抄」でほんとうの空と うたわれた場所だ。 上空は真っ青どころか真っ白の雲に覆われてしまった。 |
智恵子抄から “智恵子は東京に空が無いといふ、 |
|
ここから木道を行くとロープウェイから来る道と合流する。 |
|
下山する方の情報は森林限界を抜けると凄い風ですと、、、 皆さんが言うから間違いなく大変だろうな。 |
|
前方に安達太良山の姿が見えてきた。 もう、時間的に無理だろう。 |
|
13:45 木道終点 ここで引き返そうと思ったが、もう少し、もう少し、、、、 |
|
木道を過ぎると山道になったが傾斜は緩く歩き良い。 紅葉は次第に良くなってきたが、帰路の下りが心配なので 2時近くになり下山も追い越され隊の足では2時間かかると 日暮れの早いこの時期なので撤退することにした。 断腸の思いだが撤退の勇気が必要だ。 |
帰路は見晴らし台に寄ってゆっくりと景色を眺めることにした。 曇り空が残念!! 晴れていたら紅葉真っ盛りの山肌だったろう! 展望を楽しんでいると 「ゴンドラが動き始めたらしいですね」 ラッキー!! 勿論、片道1000円の乗車賃は惜しみなく( ^)o(^ ) ゴンドラの下も綺麗に紅葉していた。 山麓駅のベンチでゆっくりとコーヒータイム。 小学生の修学旅行かな、、、記念写真を撮っていた。 あの子たちはこれから未知の人生が始まるのだ。 私たちは人生が終末に来ている。羨ましい限りだ |
|
岳温泉 光雲閣 2日目 温泉にのんびり浸かり、美味しいお料理に満足した。 ホテルはリニューアルしたばかりで部屋は勿論食事処も綺麗だ。 コロナが落ち着いたせいか宿泊客は多かった。 今日も天気は思わしくないので猪苗代湖へ向かい、友人の案内で 野口英世記念館を見学することになった。 猪苗代湖から磐梯山の姿があったが、山頂は雲に覆われていた。 私は磐梯山へ3回登っていて最初は独身の頃、夜行電車に揺られて 雨と霧の中で赤くざれた斜面をひたすら下った辛かったこと、五色沼でキャンプした楽しい思い出が強く印象に残っている。 野口英世記念館へ 野口英世の生涯と研究業績を遺品や写真を交えて紹介されている。 幼少の頃、やけどを負った囲炉裏や当時の姿を残す生かも保存されてあった。 |
|
世界を駆け抜けた医学者!! 野口英世 明治9年、猪苗代に生まれた野口英雄は1歳半の時に左手に 大やけどを負い、恩師や家族に励ましと援助を受け成長しました。 左手の手術で医学の素晴らしさを実感し、自ら医学のみちを志しという。。 |
|
|
野口英世の生家 野口英世が生まれて上京するまで19年間過ごしたこの家は 建てられてから200年経った今でも場所も姿も変わらず保存されている。 |
|
写真右上に英世がやけどを負った囲炉裏があり、床柱には 上京の際、決意を刻んだ文字があった。 野口英世は書道、絵画の趣味がり短い人生だったが 充実していたようだった。 館内は母シカさんからアメリカの英世に宛てた手紙 「はやくきてくだされ、はやくきてくだされ・・・・」 母シカさんの直筆の手紙に感動した。 今はコロナウィルスが世界を猛威しているが、野口英世も 黄熱病の研究中に西アフリカで無念の51歳で感染し病に倒れた。 その母シカさんも明治初期のスペイン風邪で無くなられたそうだ。 |
改めて1000円札の野口英世の肖像画を眺めた。 帰宅途中は小雨に追われるようだった。 もう一度安達太良山の紅葉を見に来たいと思った。 |