群馬の古墳
                                  
2020.3.22(日)
                
過去の記録 2015.1.3              

コロナウィルスの感染が日本も大分広がりつつあり
東京オリンピックの開催も危ぶまれてきた。
世界中が静かな戦争のようでもあり、周辺の状況を見ながら
行動するのも容易ではない。
毎週、登山も体力的には大変だし、家にじっといることはまた苦痛である
JR東日本のコマーシャルで吉永小百合が登場した群馬の古墳
(と言っても私はコマーシャルの映像は見られなかった)
私の散歩コース保渡田古墳群がドローン撮影で素晴らしかったと、、、)
以来、古墳ブームで保渡田にあるはにわの里公園の二子山・八幡塚・薬師塚古墳は
常時、他県ナンバーの車が多くなり満車状態になっている。

最近NHKのほっと群馬で古墳の石室(伊勢塚古墳)の紹介があり
それに刺激された好奇心旺盛な山仲間は是非!見たいと・・・・・
早速、藤岡の古墳群へ向かった。

  私が最初にここを訪れた時は股関節痛の始まりで、山もダンスも出来ないかと悲観していた時期だった。
その時、古墳好きな友人が 何回か県内の古墳を案内してくれた。

藤岡は近いが方向音痴で古墳の位置も全く無知だった。
今回は私の浅い知識を頼りに藤岡へ向かった。

藤岡歴史館
今回で3回目だが今日も閉館している。
中に人の気配があるので資料だけでも頂きたいとぐるっと回ってみたけれどドアは固く閉ざされていた。
 

駐車場の前に車を置き、近くの白石稲荷山古墳へ向かった。
前方後円墳
  • 全長155メートル
  • 後円部径92メートル、高さ13.5メートル
  • 前方部幅86メートル、高さ8.5メートル
鏑川と鮎川の南方1.5キロメートルの丘陵性台地上、
標高120メートルの地点に立地する。
墳丘にに大きな桜の木が目立つ。
まだやっと桜の花は目覚めたところだった。
満開になったらさぞ美しいだろうな・・・
 

墳丘から北へ下り左に見えた平井地区1号古墳と
皇子塚古墳
へ歩いた。
 皇子塚古墳と同時期の6世紀後半に造られた古墳で、
平成3年度の調査により径24m、高さ4メートルの二段に
造られた円墳には、葺石、埴輪列、周溝、祭祀遺構が確認されています。
左が平井塚古墳、右が皇子塚古墳
広々した小高い丘に立つと、心は晴れ晴れしてコロナウィスの
不安も忘れてしまった。
 

平井1号塚古墳

 
皇子塚古墳

さて、次は車で移動し宗永寺へ向かう
個々には石棺が設置されてあるそうだ
 
 


宗永寺山門
身と蓋の一部が残存し、凝灰岩をくり抜いてつくったものです。
全体が舟の形を呈しています
 
石棺
 
山門前から徒歩で直ぐ西に見える七輿山古墳へ向かった。
七輿山古墳
  
6世紀前半につくられた三段築成の前方後円墳です。
6世紀代の古墳としては東日本最大級のもので、全長145m、後円部径87m、前方部幅106m、
高さは前方部・後円部ともに16mの大きさです。
羊太夫の妻を葬ったという伝説のある巨大古墳

明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の爪跡を生々しく伝える、
首なしの釈迦三尊像と五百羅漢像があります

      五百羅漢                     三地蔵                 松や桜の大木の古墳
  

 
再び車で伊勢塚古墳へ向かう。
住宅地の中にありこんな時はスマホの音声ガイドは役に立つ。
住宅の細い道を辿り伊勢塚古墳に到着。
伊勢塚古墳
 

石室の中(5年前に撮影したもの)
先日、NHKホッと群馬で紹介され今回山仲間たちが古墳に好奇心が湧いたらしい。
石室の石積みが本当に芸術的だ。
  
 


車で移動し天龍寺へ向かう。
境内をウロウロしたが古墳らしき場所が見当たらない・・・
お寺さんにお聞きし、寺の裏側に白い標識があり
やっと古墳があった。

霊符殿古墳 (天龍寺境内)
   藤岡市藤岡白石1291−2
広い境内の片隅にこんもりした小さな丘が古墳だった。
石室があったが錠が掛かっていて中を見ることが出来ない。
 

藤岡の古墳群に満足してランチは藤岡市の庚申山公園へ向かう。
公園内のあずまやでランチタイム(12:20〜13:30
気温は24度、暖かくランチとお喋りの最高の時間だった。
庚申山を散策の予定だったが、
前橋の総社古墳群の桜が満開だったよと、情報に
「それいけ!!」
総社町は私の義父の出身地で我が家のお墓があるので宝塔山古墳は通りすがりに
気になっていて寄ったことがあった。
その後、整備され敷地内に 前橋市総社歴史資料館 があり無料で館内に入れす
館内をゆっくり拝観してとっても良い勉強になった。
館内を一巡してから古墳を歩いて回った。
 
蛇穴山古墳
ここは墳丘の一辺は44mの方墳。
古墳の桜の巨木
今、満開でとっても綺麗だった。 
 

蛇穴古墳の石室
玄室は両側壁、奥壁、天井石がそれぞれ一枚の巨石で構成されて周囲を削って石材加工の巧みな技術が見られた。

いつも感心することは昔人たちの知恵と工夫に驚きます。
石室の奥に石棺を安置する棺台が置かれてあった。
 

宝塔山古墳 
墳丘には総社藩を治めた秋元家歴代の墓が並んでいた。

石室は切石切組積みの両袖型横穴式石室。
奥には蓋の付いた石棺があったけれど重くどのようにして持ち上げたのでしょうか
    

帰路は、まだはにわ古墳群を知らない友人の為にちょっとだけはにわの並ぶ八幡塚古墳
墳丘部の石棺を見ることにした。
時間がないので次回にゆっくり見ることにしましょう。

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