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9時半に東照宮駐車場に到着した。
まだ時間が早いせいか観光バスは無く駐車場も空きスペースが
多かった。平日のせいもあったようだ。
今日はダンスののレッスンだったが、多忙なメンバーの都合もあり
今回は私が犠牲になったがいたし方が無い。
まず境内に入ると左に五重塔
1650年(慶安3年/江戸前期)
再建 1818年(文政元年)
高さは日本で5番目だそうです
何度も訪れている奈良の興福寺は2番目!! |
五重塔
境内に入ると直ぐ左にきらびやかな五重塔に惹かれた。
奈良の興福寺の重圧感はなかったが
徳川家康の権力をまざまざと見せつけられた気がした。
帰りに拝観することにして先を急ぎましょう
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300円で五重塔の周りをぐるっと・・・
五重塔の芯柱を床下から眺められることが出来た
高さは36m。極彩色の日本一華麗な五重塔で、
初層軒下には十二支の彫刻があります
塔を貫く心柱は事例の少ない懸垂式で、礎石には据えられず、四重から吊り下げられて浮いています。
これは、時を経て重みで塔身が縮んだ際にも、心柱が五重の屋根を
突き抜けてしまわないよう、江戸時代に考え出された工法です。
重塔の免震機能はスカイツリーの制振システム(心柱制振)にも
応用されたといいます。
昔の人って頭良いですよね。
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神厩舎
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三猿
「見ざる・言わざる・聞かざる」が有名な三猿の彫刻ですが、
実際には正面と側面合わせて8枚の彫刻が施され、
人の一生を描いているといいます |
おー!陽明門
豪華絢爛!!
陽明門は江戸時代の建築様式、工芸、彫刻、絵画などの江戸文化が
すべてが凝縮され詰まっているそうです。
現在の日光東照宮の陽明門は、徳川家康公の21回忌にあたる
1636年(寛永13年)に徳川家光公によって造り替えされたものです。
また、2013年(平成25年)7月から修復工事(平成の大修理)行われて
いたが、2017年(平成29年)3月に終わった。
別名「日暮し門」と呼称されている理由とは以下のような理由になります。
「豪華春蘭」という言葉の通り圧倒されてしまう
彩色は勿論、金色の飾り金具などが据えられ、造りも細かく、とにかく1日中眺めていても飽きない
四面の軒唐破風屋根と八脚を持つ楼門をはじめとし、世界中探してもここにしかないと、、、
確かに見応え十分です。
陽明門から本殿まで直線で結ぶと、なんと!本殿の真後ろに「北極星」が来るそうです
天体と遺跡はマチュピチュもそうですが深いかかわりがあるようです。
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唐門(からもん)【国宝】
御本社(ごほんしゃ)【国宝】
現在、まだ修復中でした。
堂内は撮影禁止の為、記憶が薄らいでいるがかなり混雑し、
順番待ちだった。
薬師堂の鳴竜は安置仏と鳴竜の説明の後、案内人が拍子木を
打って 竜の鳴き声を聞かせてもらえた。
龍の天井画は、薬師堂以外にも、京都の建仁寺、東福寺、妙心寺、などに
有りますが今年京都で妙心寺の狩野探幽の天井絵「雲龍図」を
見たばかりです。
何故?寺の天井に竜の絵が描かれるか?
龍神は水を司る神なので、寺を火災から守るという意味が込められている。
龍は雨を降らせる力があるとされることから、「法の雨(のりのあめ)」を降らせると言われているため
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唐門の美しい彫刻
全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や
「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻が
ほどこされています
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眠り猫
家康公の眠る墓所「奥宮」に通じる「東回廊潜門(ひがしかいろうくぐりもん)」の上部に刻まれている。
「猫がのんびり眠っていられるほど平和な世の中になるように」との願いが
込められているのだそうだ。
そしてこの眠り猫は、見る角度によって表情が一変するそうですが
そこまでは見ることが出来なかった・・・残念・・・ |
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坂下門を抜けて奥社へ向かう。
全部で207段もある石段だが、栃木県のふれあいのみち大平神社の石段
1000段を2回歩いている我がメンバーは驚くことも息が切れることもなく
我々、健脚な高齢者は石段をスイスイと、、、
さすがハイキングクラブで毎週山歩きで鍛えているだけありますね。
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▲「鋳抜門(いぬきもん)」。門の軒下には「蜃(しん)」という伝説の生き物の彫刻が(右上)。
守護神として家康の墓を守っている。
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門の奥に「御宝塔」(御墓所)
ぐるっと一回りすると大きな杉の木があり、願い事を唱えると
かなうと言われるそうだ(御神木 叶杉)
手を合わせ家内安全を願った。
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昼食は湯葉うどんを食べましょう、なんて言ってたが、もうお腹が空いて取りあえず境内にある「上島珈琲店」に取りあえず腹ごしらえしましょう。
コールスローたまごサラダサンドとホットコーヒー896円
お腹が空いて集中力がないとかなんとか・・・
友人からワッフルまで頂き、満腹状態。
この後 宝物館へ入り、
御祭神である徳川家康公の遺愛の品々や江戸幕府に献上された品々が
2000点所蔵されています。
シャアタールームへ寄り、映像『国宝 陽明門』、家康公を紹介する
アニメーションをシアタールームで観賞。
お腹がいっぱいで、皆さん寝ちゃうかな?
事実、ウトウトしていた人もいました(*^_^*) |
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さて、今度は二荒神社大猷院へ行きます
石段を下ると瓦の美しさにも感動! |
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14:40
二荒山神社
ここも大勢の観光客で賑やかです。
境内の広さは、3400ヘクタールもあり伊勢神宮に次ぐものと言われ、
周囲は杉の巨木に囲まれていて、華厳の滝、いろは坂、
重要文化財の神橋、日光連山
(男体山・女峰山・赤薙山・太郎山・大真名子山・子真名子山
・前白根・奥白根)の8峰も含まれている。
私は八峰は全て登った山です。元気があったのですね・・・
今は、もう見るだけの山になってしまった。
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15:00
大猷院(たいゆういん) 国宝
大猷院とは徳川三代将軍「家光公」の廟所(びょうしょ)(廟所=墓所)で、
境世界遺産内にある境内では、登録された22件の国宝・重要文化財が
建ており、315基の灯籠(とうろう)も印象的です
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夜叉門
日光山・輪王寺 大猷院「夜叉門」には、徳川家光公や歴代の徳川家の将軍が眠る
「大猷院」を守護する「4体の夜叉像」が鎮座しています
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仁王門
1つ目の門で、口を開いた「阿形(あぎょう)」と口を閉じた「吽形(うんぎょう)」
2体の仁王像「金剛力士像(こんごうりきしぞう)」が安置されています。
「阿吽の呼吸」はここから来ていると言われています |
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唐門
祖父である「家康公」(東照宮)を凌いではならないという遺言により、
金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りになっているそうだが、
かなり豪華な感じです
本堂に入るとこれから小学生の修学旅行の生徒が来るので
住職の説明を一緒に聞くことが出来た。
拝殿に狩野探幽の本殿の中で一番の見所は狩野探幽の唐獅子の襖絵と
徳川家光が着用した甲冑などがあった。
金箔を使っている寺は日本で金閣寺、中尊寺金色堂と大猷院のの三つで
中に入れるのはこの大猷院だけだそうです。
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展望所から下を見ると、石灯籠がたくさん並んでいます。
当時の大名からの献上品です。ここからの眺めは、天上界から
下界(人の住む世界)を見おろした風景を想像させます。
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滝尾神社への案内板に我々山仲間は時を忘れて
夢遊病者のように石畳の道に入り込んだ。
15:40
滝尾古道入り口
滝尾神社まで25分とあります
次回にしましょうか?
往復1時間だから、皆さんはまだ余力がありそうなので
頑張りましょう! |
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自然探勝路に入ると全く人の気配が無く静かで、これからどんな風景が
現れるか・・・胸が高鳴り足はズンズン進んで行きます。
杉の巨木と石畳の道は神霊が漂うような荘厳な雰囲気です。
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杉の木立の緩やかなアップダウンの道は
16:00
白糸の滝 |
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16:10
運試しの鳥居
鳥居の中央に丸い穴が空いています
小石を三つ拾って投げ、穴に命中すると運が開けるとか・・・
私も小石を投げてみたが、鳥居の下枠にも届かず腕力不足だった。
全く運がなさそう(-_-;)
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ここが日光山内発祥の地となります |
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16:15
滝尾稲荷神社
弘仁十一年(八二〇)弘法大師 が滝尾神社とともに、
稲荷神社も創建。
祭神は倉稲魂神(うがのみたまのかみ)(稲荷大明神)。
昭和四十一年九月に台風で流出したため、昭和四十三年に巴会により
再建されたそうです。 |
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御神木の三本杉
ここでちょっと休憩です。
古道は森閑として私たちの他に外人に数人行き会っただけで
日本人はいませんでした。
帰りは東照宮駐車場へ周回コースを歩きます。
途中から車でも難なく来られるようですが、
石畳の古道は歩かなけりゃ損!損! (*^_^*)
古道沿いに遺跡や遺構が多く、楽しい散策路でした。 |
雰囲気の良い石畳の道 開山堂(安産の神様、将棋の駒がいっぱい) 仏岩の下にある石仏群
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17:00 駐車場に到着。
駐車場は数台の車が残っているだけでした。
本当に充実した一日でした。14000歩? |