第32回 関東ふれあいのみち
(栃木県コース)
(コースbR5−1 芦野の里へのみち)
4.9km  20600歩
                                                               2019.9.28(土)
伊王野と芦野を結ぶ国道294号線に沿ったコースです
奥州街道の宿場でもあった芦野の地は多くの史跡や文化財が残り
江戸時代の雰囲気を随所に感じることが出来ます
   
参加者
CL 藤井、田所、星野、小菅、野中、吉田、茂木、川野、山口、亀井、石井、櫻井

                コースタイム                           
浜川6:30→→道の駅伊王野⇔車回送⇔遊行柳
伊王野道の駅9:00〜椿の里散策〜伊王城跡(ランチタイム)11:00〜11:40→堂の下岩観音(12:30〜13:00)→
芦野氏旧墓13:15→
芦野氏陣屋裏門13:30→那須歴史探訪館
(13:50〜14:10)→建中寺と芦野氏神墳墓14:20
→芦野遊行柳(14:50〜15:05
)   車回収⇔伊王の道の駅

 

予定より早く道の駅伊王野に到着した。
ドライバーの男性二人が終点地の柳行庵まで車回送している間に
起点のみちの確認したり道の駅でショッピングしたり、待つ時間を
楽しみます。

道の駅の方が色々と説明してくれました
 

道の駅は彼岸花が最盛期であちこちに綺麗に咲いています 
今日は道の駅でフリーマーケットが開かれて9時前から
賑やかです。


ドライバー二人はあっという間に戻ってきました。


 
道の駅の裏に大きな水車がゆっくりと廻っていました
巨大水車で挽く香り高いおそばが食べられる道の駅東山道伊王野の
グルメが評判らしいです
直径12mと5.6mの2連からなる水車。
日本一かと思ったらなんと25番目くらいだったそうです
 

今日は国道沿いの道だからと伊王野の散策路をぶらぶらすることにしました。
ところが予想外に見どころがあり楽しいコースでした。
先ず国道を横断して北向き地蔵に向かいます
 
 



まず、伊王野城跡へ向かいます
地元の方は「いや、伊王野城と言っても標識があるだけで
何にもないですよ」
この板塀の脇から城跡へ道は続いていました。
 

途中の山道に石仏が沢山ありました

伊王野氏居館跡 四方に土塁と濠をめぐらした中世居館の
典型的なものです。 専称寺 かつての当地領主伊王野家の
菩提寺で本尊は国の重文です。
伊王野家の築城とされ、本丸、二の丸、三の丸跡が残ります。
 

結構な斜度があり、滑りやすい道です。
山歩き気分で皆さんルンルン!
 

城跡最大の面積の三の丸跡
城マニアのK氏は本丸跡を探したけれど何処にも
道が見当たらないと戻ってきました。
先行した3人グループの方も戻ってきましたが、やはり踏み跡すら
なかったそうです
 
 

下でKさんが待っているのでチョイ休憩し下のあずまやで
早めのランチタイムにしました。
 

さて、お喋りは切がありません。
コースはこれから始めるのだから座談会は終わりにしましょう。
国道294号は交通量は多いが広い歩道があり安心して歩けます

国道から左に300m入ると堂の下岩観音が山の斜面に見えてきました芦野石の岩肌の露出し、そびえ立ちます。

芦野石の岩肌の露出し、そびえ立ちます。その光景の中腹に赤い屋根の観音堂があり、通称「堂の下の岩観音」と呼ばれています

石段の下に杖が置かれてあり、私は有難くお借りしました。
苔むした石段に杖は貴重でした。


 
岩観音から下り再び国道にでます。
途中は郷愁を誘う田園風景が見られたが、この周辺は同じ栃木でも
南部と違って休耕田、畑は荒れて住居は廃墟が多いのに驚きました。 
 

芦野氏旧墓 
鬱蒼とした丘に入って行きます
 

明るい墓地に彼岸花が綺麗に咲いていました
大勢のカメラマンがカメラを片手に右往左往しています。
我々の出現できっと戸惑ったことでしょう

 


帰路は彼岸花群生地に立ち寄る予定でしたが、充分あちらこちらで
楽しめたので今日はパスすることにしました。


芦野氏陣屋裏門 
ここが今回の撮影ポイント
解説
芦野上野町にある芦野氏館の城門で、陣屋の裏門として建造されたものである。旗本の館を陣屋といい、通称「御殿山」とも「桜ヶ城」と呼ばれる芦野氏陣屋跡は、明治初年まで二の丸の広場に政庁の役割を果たした表向きの建物と当主の住居があり、出入口は表口と裏口の二通りがあった。
 

次の目的地は那須歴史探訪館
設計は 隈研吾氏によるもので外観はガラス張りのお洒落な建物でした
Yさんだけが館内に入りましたが、我々は憩いの広場のお洒落なベンチで休憩のみでした。


建中寺
芦野氏の新墓があるかと探しました見つからず誰もいない
境内で聞きようもなく先を急ぐことにしました。


遊行柳
現代の今も畑の中に立派な柳がありました
室町時代、時宗19代尊酷(そんこく)上人がこの地を訪れた際、
柳の精の老翁を念仏で成仏させたという宗教上の伝説発祥の地である
なお、遊行とは、時宗のこと。古くから多くの人々が訪れており、能楽や謡曲の題材としても取り上げられ、昔から歌枕にもなる名所であった
 


元禄の頃、松尾芭蕉が訪れて「奥の細道」に記述されたことで、
ますます有名となった。
柳のそばには芭蕉句碑、西行の歌碑、蕪村の句碑が建っている。 

西行の歌「しばしこそとてたちどまりつれ」で名高い、遊行柳を見ることができました。今、その木陰で沈み、物思いにふけっておりますと、目の前の早乙女たちは早いものであっという間に一枚の田んぼを植え終えているではありませんか。田を立ち去る乙女たちとともに、そろそろ私たちも先を急ぎますかな
芭蕉は憧れの西行が休んだ柳の木陰で自分も休んだと、、、
  芭蕉の句
  田一枚 植えて立ち去る 柳かな

  
 

私たちもここでしばし休憩し、一句詠みたいけれどなんも情けないながら言葉もでず お喋りだけでした。 
 

終点の遊行庵で無料休憩所があり車回収の二人を
待つことにしました。 

次回の最終回コースはここから出発し白河の関跡に向かいます
夕闇迫る高速道の車内はいつものように賑やかに楽しい団欒で
無事に帰宅できました。


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