大和路を歩く bU
2018.5.2〜5.6
今回で6回目の奈良の旅を元気に歩けそうだったが、3日ほど前から食べ過ぎで滅多にない嘔吐、
直ぐに治ると思った。が、胃のあたりが重く食欲が無くなり
これでは飲む事も食事も制限しなければならないし困ったな・・・
出かける前日、夕方慌ただしくお医者に行き薬を頂き薬を飲み始め旅の2日目で治り、ホッとした。
そして5日間は今年も充実した旅になった。
今回も奈良から京都、和歌山へちょっとはみ出した旅になった。
一日目 移動日 東大寺盧舎那仏慶讃能観賞
二日目 鞍馬・貴船ハイキング
三日目 奈良市内観光
四日目 高野山(町石道)
五日目 奈良市内観光 移動日
1日目 5月2日(水) 13,865歩 移動日(奈良まで)・・・東大寺盧舎那仏慶讃能(3:00〜4:30)・・・奈良町散策 毎年、5月2日に東大寺大仏殿前の鏡池の特設舞台で 盧舎那大仏の造顕を発願した聖武天皇の御忌法要「聖武祭」の慶讃行事として催されている。 最初に奈良を訪れた時、境内に鼓の音色を聞き思いがけずに能舞台を見ることが出来た。 今年は是非もう一度観たいと出発を1時間早めた。 ホテルに到着は14:30、チェックに早いので車を置き、直ぐに東大寺に向かった。 小雨の中、鏡池に到着すると会場が雨天の為、奈良春日野国際ファーラムに変更になったと張り紙があった。 |
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東大寺盧舎那大仏慶讃能 無料 アタフタと会場へ急いだ。 3時の開演になんとか間に合った。やれやれ(*^_^*) 東大寺盧舎那仏の造顕を発願された聖武天皇のみこころをしのび、 大仏様に日本を代表とする伝統芸能である「能楽」を奉納し共に生きる 喜びを表現しようと毎年春と秋に毎年開催される。 能は何度か観たことがあるが、このような本格的な能舞台で観賞出来るとは本当にラッキーだった。 プログラムは仕舞い、連吟、能に続いた。 今回の出し物は「屋島(八島)」 能の独特な歩く所作は「すり足」。常に膝を曲げてちょっと前傾姿勢で すーっと、 すべるように歩く足のさばきの美しさに魅了されました。 いつも遠くから観ているから足元の動きまで眺めることが出来なかった。 |
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能が終わってから、酒造店の「はる鹿」に寄って試飲をしようと ならまちを散策したのだが、道迷いでようやくたどり着いたが店は営業時間が終わっていた。 がっかり(-_-;) タクシーでホテルに戻りチエックインし、レストランで夕食。 美味しい料理もだが、まだ胃の調子が今一、、、、 牛ひれステーキも天ぷらも素直に胃が受け入れてくれるか心配で 味が分らなかった。 |
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2日目 5月3日(木) 17,841歩 鞍馬・貴船ハイキング 今日は高野山の予定だったが、天気が不安定で落雷の予報があり、変更して鞍馬山にした。 山全体が寺の敷地なので入山料300円を払った。 JR奈良駅8:28〜9:11東福寺駅9:22〜9:38出町柳9:45〜鞍馬駅10:16 |
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出町柳から叡山電鉄に乗り換える。 電車は車体表面をできる限りガラスで覆ったことで、車内からの パノラミックな展望を楽し目るように座席は2列+1列のシートは配置しておりそのうち車両中央の8席を窓側へ向けて配置しているのが大きな特徴。 残念ながら窓に向いた席には座れなかった。 車窓から山の中を進む景色、中でも市原〜二ノ瀬駅間の 「もみじのトンネル」は、新緑のモミジがとっても綺麗だった。 きっと紅葉の時期は素晴らしいのだろうな・・・・・ 景色に見惚れているうちに鞍馬駅に到着した。 |
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鞍馬山は昔、「源義経」が幼少の頃(まだ牛若丸と呼ばれていた頃)に、 この鞍馬寺で過ごし修行をした場所として知られている。 そして、もうひとつ有名な伝説として「鞍馬山に天狗が住んでいる」と いうお話もまた有名です。 「鞍馬駅」を降りたすぐの所には、大きな鞍馬天狗のオブジェがシンボルとして 立っていた。 駅前を左に曲がるとお餅屋があった。 よもぎの牛若餅を一つ買って歩きながら食べたが、お餅はつき立てで 柔らかく甘くて美味しくてもう一つ食べたかったが、胃の調子を考えると グッと我慢だ。 |
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鞍馬寺仁王門 安置されている仁王像は湛慶(運慶の嫡男)作と伝えられ 、再建時に丹波から移されたのだという。 とっても立派な山門だった。 |
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山頂本殿まで木立の中九十九下折参道は約1km。 途中、重要文化財の由岐神社や義経供養塔をめぐる。 この道は昔、清少納言や牛若丸も歩いた道とあった。 うーん!歴史ある道なんですね。 |
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鞍馬寺本堂金堂 源義経(牛若丸)が幼少の頃を過ごした寺として、一般的には知られていますが、パワースポットだ。 |
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大杉権現社(111:45〜12:25) この辺りは、大杉苑瞑想道場と呼ばれ、護法魔王尊のエネルギーの 高い場所として知られているそうだ。 杉に囲まれた社一帯にたくさんのベンチがあって、私たちが休憩している間に多くの人が通過して行った。 胃の調子は大分良くなってきたようだ。 持参のおにぎり、果物で満腹。 |
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僧正ヶ谷不動堂 鞍馬天狗が牛若丸と出会ったと言われる場所でここもパワースポットの 一つだ。 伝教大師、最澄が天台宗立教の悲願に燃え、一刀三礼を尽くし刻んだ 不動明王が奉安されている。 お堂の前で二人の男性が大きな声で念仏を唱えていた。 この付近一帯は木の根の道で牛若丸が修業したと伝えられている。 杉に囲まれ荘厳な雰囲気があり、 |
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13:00 鞍馬寺西門 こちらからも入山料300円の受付があった。 赤い橋を渡り車道に出て貴船神社に向かう。 |
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川床料理 車道の下の川床にいくつもの店が並び、桟敷の上で食事をしている様子が 眺められた。 川のせせらぎを聞きながら美味しい食事、いかにも京都の風情を 感じる風景だった。 若い女性グループが多いが圧倒的にカップルが多い。 羨ましい!! |
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13:00 全国に約450社ある貴船神社の総本社である。 社殿は、鴨川につながる貴船川の上流に下から本宮・中宮(結社)・奥宮の三つに分かれ建ち、この三社の参拝を三社詣(さんしゃまいり)と言い、昔からの習わし通り本宮⇒奥宮⇒結社の順番に参拝すれば、よりご利益も高くなり願い事も叶えやすいようです。 本宮から奥社へ向かう川沿いを歩けば、神聖なる気を発する清流と澄んだ空気が清々しく心を癒してくれ、又、道沿いには多くの茶屋や旅館・食事処もあり、休憩を交えてゆっくりと参拝することができます 川沿いの道は狭く観光客でごった返し、その上車は交互通行で 大変だった。 |
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13:45 途中に和泉式部の歌碑あり ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる (意訳:恋しさに悩んでいたら、沢に飛ぶ蛍も私の体から抜け出した魂ではないかと見える) へー、、、式部は旦那に浮気されたんだ・・・ でも、夫からの返歌は夫婦円満になったらしいとか、、、 |
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船形石 船形の自然石は、貴船の山奥より産出し、平成8年3月京都市在住の 作庭家・久保篤三氏より奉納された。 船は古くは唯一の交通機関であり、人と人、文化と文化の交流(結ぶ)ということから、縁結びの信仰と関りがある。 見た時は「何故?ここに船形石があるのか?」と眺めてきたけれど。 寂しいけれど縁結びも安産祈願も私には関係なくなってしまった。 神社の上にカツラの大木が祀ってあったけれど映画「愛染かつら」は この木と関係があるのかな? 帰りは鞍馬寺でお借りした木の杖を西門に返した。 杖のお蔭で無事に今日のコースを歩くことが出来た。 帰路はバスで叡山鉄道貴船口に戻り、奈良駅に夕方到着した。 奈良駅から三条通りをぶらぶら・・・ ショッピングし、近くのうどんやで消化の良いにゅうめんを食べた。 |
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3日目 5月4日(金) 16,400歩 奈良市観光 午前 転害門〜東大寺〜興福寺〜入江安吉写真美術館 午後 円成寺〜田原の里(光仁天皇陵・春日宮天皇陵・太安万侶墓) |
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今日は奈良市内観光 先ず、例年のように転害門へ・・・ 私は二月堂へ続く風情ある土塀の道を歩きたかったがロスタイムし 車道をウロウロしてしまった。 |
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東大寺南大門 鹿も多いが人間も多い。 日本人より外人が多く、アジア系の方がホントに多い。 タクシーの 運転手は観光客の8割が外人さんだと言っていた。 鹿もお利口さんでバックを開けていたり、鹿煎餅をを持っている人の 傍に寄ってくる。 |
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相変わらず興福寺周辺は混雑していた。 また、興福寺は長蛇の列かな? 案ずることなく、容易く入館できた。 お目当ての阿修羅像をゆっくりと拝観出来たので良かった。 阿修羅像 (三面六臂) 正面 仏の教えに目覚める 左面 後悔・反抗 右面 憂い・懺悔 三組の手 1手 合唱 2手 日輪と月輪 3手 弓矢 興福寺の阿修羅像を作らせたのは、光明皇后で母親を亡くした時に弔いのために西金堂を建て仏像を安置したそうです。 皇后は生後間もなく子供を亡くしたそうです。 私も生後12日目に長男を亡くしているので光明皇后の深い悲しみが 共感でき、阿修羅像に魅せられるのかもしれません。 |
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入江泰吉記念奈良市写真美術館 友人の勧めで訪れたのだが、「古都奈良の文化財〜東大寺・春日大社・春日山原始林」展だったので昭和20年代の奈良の街並みの写真は無かった。 けれど、春日山原始林は歩いたことがあったので楽しく観賞出来た。 また、特別展の上田義彦の写真『FOREST 印象と記憶 1989-2017』では 写真は勿論だが、掲載された文章に深く感銘した。 ホテルへタクシーで戻り、昨日調達しておいたコンビニ調達のおにぎりで 昼食後、車で市内観光へ出かける。 |
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午後、ホテルを出発し先ず 今年の奈良のキャッチフレーズの円成寺? 反対車線は大渋滞、こちらはスイスイと円成寺駐車場に空がありラッキー! 円成寺(本堂は室町時代) 本尊は阿弥陀如来坐像 小さな寺だったが国宝運慶作「大日如来坐像」と鎮守社 白山堂・春日堂 緑眩しい参道 鎮守社(白山堂・春日堂) 平安末期寝殿造り庭園 |
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車を走らせ田原の里へ、、、、 茶畑が続き、屋根瓦の雰囲気が良くのどかな田園風景はいにしえの 奈良のほのぼのした隠れ里を感じさせる。 15:30 光仁天皇陵 奈良時代最後の天皇である光仁天皇の御陵 田原の里は田植えの真っ盛りだった。 太安万侶の墓の途中で、畑の中に茶園があったのでお茶を買えば お茶を一服頂けるかな? 愛想の良いおばあちゃんだったけれど、期待外れだった。 |
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16:00 太安萬侶墓 奈良市の山里に、日本最古の歴史書・古事記を編纂したという 太安万侶(おおのやすまろ)の墓がある。 観光客でごった返す奈良市内と違ってほとんど客の姿がなく、 標高400〜500mという場所柄もあり奈良盆地よりも気温が低く、 青々した茶畑では「大和茶」が栽培されている。 新茶はこれからだと言う。 4年前に訪れた時は墓まで急な道がとっても大変だった。 今回はあれから4年たったので上がれるかな?と心配したが、、、 いとも簡単に上がれた。 道路沿いに綺麗なトイレが設置されてあり、墓も整備されていたような 気がした。 |
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16:30 春日野天皇陵 ・・・(志貴皇子) 薄幸な皇子の墓は車道から200m位参道を深く入った所にあった。 連れの一人がこの志貴皇子を好きらしい。 明日は高野山町石道を歩くため早朝にホテルを出発するので 帰路のコンビニで翌朝の朝食と昼食をまたまたゲットしなければならない。 ところがホテル近くの道は大渋滞!! 私だけ下車して途中のコンビニに寄ることにした。 |
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胃の調子も完治し、今日は朝からコンビニ調達のパンとおにぎり、明日もまたコンビニだ。 今宵のディナーは前菜からデザートまで美味しく完食出来た。 ホテル内のレストランは連休なので賑やかだった。 |
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4日目 5月5日(土曜日) 34,600歩 高野山 町石道(丹生都比売神社〜根本大塔) JR奈良駅6:25→7:12高田駅7:21→妙寺8:40 全長は九度山駅から檀上伽藍まで20.9km、所要時間は6:20(休憩含10〜11時間) 昨年その一部を九度山をぶらぶらと観光してから(九度山駅から上古沢駅まで)を歩いた。 九度山の慈尊院から山上西口の大門へ通じる表参道を「高野山町石道」といい、開山のおり 空海が木製の卒塔婆を建てて道しるべとした道。 鎌倉時代になって朽ちた木の代わりに石造り五輪塔形の町石が1町(約109m)ごとに 建てられたと言う。 今年は大門まで歩きたい! 高野山町石道丹生都比売り神社から大門を歩くことにした。 |
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JR奈良駅から妙寺駅まで約2時間余り。 妙寺駅に近づいたいた時、タクシーの予約をしておいた。 妙寺駅から約20分で丹生都比売り神社に到着(タクシー代2300円) 丹生都比売神社 輪橋(太鼓橋) 2年前に橋の補修工事をしたそうです。 さすが世界遺産だけあり、神社は荘厳な雰囲気がありました。 |
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丹生都比売神社(にゅうつひめじんじゃ) (世界遺産) ここは標高450m、創建されたのは1700年以上前。 ゆっくり境内を歩いてみたかったが、鈍足の私たちは大門まで 無事に到着できるか心配だった。 安全祈願して神社の裏から二つ鳥居を目指す。 |
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出発地点なので記念写真を撮ってもらったが肝心の神社の屋根が 写っていなくて 、アングルが今一。 チョイ文句を言いたくなるが我慢!(*^_^*) 9:35 出発点から山道の八町坂を30分位登ると二つ鳥居だ。 |
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10:15 二つ鳥居 この二ツ鳥居からは天野の美しい田園風景が一望できた。 あずまやがあり、ちょっと休憩。 ここで出会った5人のファミリー(小2の女子連れ)と大門近くまで 抜きつ抜かれつだった。 最後の大門近くは抜かれ、私たちが到着した時は姿はなかった(-_-;) |
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昨年、下った上古沢駅の標識が懐かしい。 二つ鳥居から私たちは大門を目指す。 昨年は、コース中ほとんど人に会わなかったが、今年は本当に賑やかな山道だった。 私たちは相変わらず追い越され隊だった。 |
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杉木立の中を昔人たちは高野山に向かいどんな気持ちで 歩いたのかなぁ・・・ 60丁目付近の矢立茶屋(国道370号)でランチ休憩。 ここの名物「やきもち」1個120円。 絶対に食べるよ・・・柔らかくて薄皮にあんこがびっしりと入り、 美味かった! 満足!満足! |
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美しい杉の木立 矢立茶屋(12:30〜13:15) 茶屋の美味しいやきもち |
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13:30 袈裟掛石 気持ち良い沢音を聞き休憩 木橋を何度か渡る |
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矢立茶屋までほとんど下りだったが、ここからは道は急な登りになった。 笠木峠は平坦で休憩したかったが、皆さん元気に通過してしまう・。 袈裟掛石、押上石、を眺めながら進むと再び車道に出た。 国道480号線。広場がありハイカーや観光客我休んでいたが直ぐ上に 展望台があると言うので私たちはそこまで頑張りましょう! あずまやがあり、展望が良く空気は爽やかだった。 ゆっくり休憩した。5人のファミリーが上がってきた。 沢沿いの道にクリンソウやキランソウ、マムシ草が出迎えてくれる。 最後の急坂を上ると左上に赤い大門が見えた時は ヤッタ―!! 車の往来が激しく、車道を横断して大門へ到着。 |
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前方に5町石だ。 大門から左に トイレがあり、もうゴールまでわずかだ。 トイレ前のベンチでちょっと休憩。 大門の前は車がひっきりなしに走っている。 |
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1、2町石は。通り沿いに無くて、塀の中だった。 | |
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16:00 根本大塔 終点で記念写真、お疲れ様! 金剛峰寺は一昨年高野山を歩いているので省略した。 高野山口までバスに乗車したが長蛇の列だった。 極楽橋まで順調だったが、南海電鉄に乗り損ない(-_-;) ロスタイムが多くJR奈良駅に到着は8時半過ぎになってしまった。 ガストで遅い夕飯を済ませてホテル到着は夜10時近かったかな? 疲れたぁ・・・・・ |
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5月6日(日) 移動日 今日は名残惜しく最終日になった。 今年も三輪そうめんを食べたくて桜井方面に向かった。 ます談山神社へ、、、、 談山神社・甘樫の丘・万葉文化会館 |
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談山神社 藤原鎌足を御祭神とする神社。多武峰にあり世界唯一の木造十三重の塔始め十五棟の絢爛豪華な社殿が建ち、美しい自然の中にある。 新緑のもみじと赤い社殿のコントラストが素敵だった。 |
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一昨年、ここから語い山と御破裂山を歩いた。 大化の改新大化の改新という歴史的偉業を成し遂げたことから 談い山と呼ばれるようになった。 天智天皇と藤原鎌足が蘇我入鹿を討伐するため秘かに語ら山で相談したとか・・・ 山頂は歴史の匂いがプンプン匂っていましたね。 今日も300円で払い祈願成就と書いてお札を収めました。 |
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次に訪れたのは入鹿の屋敷があったという甘樫の丘 散策路は『万葉集』などで歌われた植物が植えられた「万葉の植物園路」が整備されている。 今日は大和三山の他に二度訪れた二上山も見ることが出来た。 展望台で老夫婦がお昼を食べて古都を楽しんでいるようだった。 川原展望台から甘樫展望台まで散策し、再び桜井へ。 |
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いつも寄る千寿亭で美味しいそうめんを頂く。 ところがオーダーを間違えてしまって、一品余分に追加したが、 完食してしまった。 これは三色麺、昨年は麺つゆが三色だったのだ。(*^_^*) そうめんに満足して万葉会館へ向かう。 |
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万葉文化会館 門に入ると「あら!万葉人たちが・・・」 今日は特別に無料で衣裳を着せて頂けるそうだ。 私も時間がれば衣裳を着て万葉の世界に浸りたかったが・・・ ここも何度か訪れているが、今回は「万葉の装い」の特別展。 額田王から淀殿、そして今へ、、、(入館陵480円) 額田王の大ファンの私はなんとしても見たい! 古墳時代から江戸時代までの衣裳が展示されてあった。 万葉劇場では「額田王」が上演されるところだった。最終の16;30から 観賞し、約2時間館内で楽しんだ。 額田王の人形とデジタル映像と音楽が組合わさり 「あかねさす むらさきのゆき しめのゆき 野守は見ずや君が袖ふる」 今日は尚更もの悲しく聞こえました。 |
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万葉館内 |
カフェ レストランでケーキとコーヒーの予定だったが帰宅の時間が気になり
残念ながら奈良にお別れする時間のいなってしまった。
帰路はちょっと渋滞にはまったが、途中でゆっくり休憩しながら、我が家に到着したのは明け方3時過ぎだった。
入浴し4時から9時まで熟睡し、疲れは無く午後はダンスのレッスンへ・・・・
でも、2日後に疲れがやってきた。これが相応でしょうか。
今年も精力的に奈良を悔いないほど歩き廻った。
今年で終わりかな?と思いながら奈良からはみ出しながらも、ますます奈良の魅力に惹かされてしまう。