大和路を歩く 2016

                                                         2016.5.4〜5.9
 

     第1日目  5月4日(水)  自宅7:00〜〜16:00ホテル到着  転害門〜東大寺周辺散策
     第2日目  5月5日(木)  壺坂寺・高取城跡 てくてく歩き
     第3日目  5月6日(金)  秋篠寺・西大寺・法隆寺
     第4日目  5月7日(土)  姫路城
     第5日目  5月8日(日)  高野山
     第6日目  5月9日(月)  談山神社・箸墓古墳  桜井市13:30〜〜自宅着22:30

大和路を歩くと言っても毎年ながら奈良からちょっとはみ出してしまいます。
とにかく朝から夕方まで貪欲に歩き、今回は姫路城の階段で膝痛でへたばり、
翌日の高野山で股関節痛に泣かされた。
観光は登山と同じ本当に体力がないと駄目ですね

毎日、歩きに歩いてとても疲れたけれど、古都大和1300年の歴史とみやびな空気に触れて
あくせくした関東とは全く違った風に吹かれて
人々の所作振る舞い、言葉づかいも、どこかゆるりとしている。
関東生まれの落ち着きのない私は奈良に魅かれるのでしょうか・・・
奈良に病み付きになる所以かもしれませんね



一日目 移動日・奈良公園散策   13000歩
高速の渋滞は全くなく途中のSAでゆっくり休憩をしながら無事に
奈良に到着しました。

宿泊の手続きを済ませ、今年も先ずはホテルから近くの奈良公園の
鹿さんにご挨拶に出かけました。

ファミリーで行動するという鹿たちは、池のほとりや木陰など
のんびりと今日の一日を語り合っているようでした。


転害門から二月堂への緩い坂を上がると東大寺に・・・
私はこの辺りの雰囲気が好きです。



東大寺から鏡池を周り、まだ賑やかな人並みに紛れ古都奈良の空気に
馴染みます。

      今宵のホテルの夕食
     前 菜  初夏のお彩り
     お造り  二種盛り合わせ
     蒸し物  茶碗蒸し
     洋 菜  大和牛ロース肉のステーキ
     台の物  豚のバター味噌鍋
     揚 物  海老と鰈の東寺揚げ
     御 飯  あさりの時雨煮ご飯 香の物 赤出汁
     デザート マンゴーの柚子カリンジュレ

ワインを飲みながら時間をかけてゆっくりと食事が出来るのが嬉しい。
連泊の私たちに毎夜メニューを変えてありました
毎晩完食し、食べ過ぎでいつも太り気味になります 

2日目 5月5日(木) 壺坂寺〜高取城跡  25000歩 


朝8時ホテルを出て、近鉄奈良駅まで20分位歩いて行きます。
近鉄奈良駅〜西大寺〜橿原神宮〜壺阪山で下車。

駅から標高差185mをちょっと楽して壺坂寺までバスに乗車。
反時計回りで高取城跡を歩きます。

この寺は眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音様として信仰を
深めてきたそうです。


天竺渡来の大観音石像と大涅槃石像

境内に大釈迦如来像(壺坂大仏)、三重塔、礼堂、仏殿図レリーフなどながめ
ちょっと休憩です。


境内から高取城跡へ向かいます。

高取城

幕末まで機能していた日本最大級規模の山城、日本100名城になっています。
昨年、訪れた竹田城も素晴らしい規模だったが、ここも見応えがありました。

高取城は標高584mの高取山にあり、山全体が山城と言えるようです
城内は周囲3km、郭内は周囲30kmの規模であり、壺坂寺から標高差300m弱です

出来ればスタートは近鉄・壺阪山駅から高取町の古い武家屋敷を見ながら
山頂へ行きたかったです。
でも、今の体調では壺坂寺までバスの利用が良かったですね。


結構な急坂を上って行きます。


五百羅漢を過ぎると八幡神社に出ると駐車場があり
数台の車が止まっていました。
ここまで車で来れたら楽ですね。
でもここから歩くこともちょっと寂しいかもしれません
 

山道の至る所に石垣が現れます。 
もう、石垣を見ただけで感激です。

戦国時代には守りやすさを重視して、こういった山城も多く築かれたようでした。
高取城のように山城に、壮大な天守に小天守、石垣などが築かれたのは
珍しいのだそうです


天守などはありませんが、美しく積み上げられた石垣が山のいたるところに遺り、
当時のスケールを実感できます
最初の城門から本丸までの高低差は390mあり、日本最大を誇ります


山頂では観光客の姿も結構見られましたが、山道は数人とハイカーと
出会っただけで静かな山歩きでした。


 

高取山(583.9m) 
山頂が本丸跡のようでした。
かなたに吉野方面の山並みが見えていましたが、地元の方が説明してくれましたが
知らない山ばかりでした。

木陰のあちこちでファミリーがランチタイムをしていました。


私達も城跡の木陰で昼食(12:30〜13:15)
勿論今日の昼食は柿の葉寿司です

下山は高取城下へ下ります。
 

下山途中で見かけた当時の高取城の絵です
本当に山全体が城のようです。  


高取町  長屋門(植村家)

壺坂山駅発15:23発に乗車。

近鉄奈良駅に到着早かったので、猿沢の池に寄ってみました
何処までも皆さん元気です。


第3日目 5月6日(金) 秋篠寺・西大寺・法隆寺  24600歩   


近鉄西大寺で下車し、駅前の商店街から住宅地を抜けると
大きな駐車場があり、細い道を行くと秋篠寺の門がありました

秋篠寺  9:25
光仁天皇の勅願で創建された奈良時代最後の官寺。
伎芸天(ぎげいてん) 木像立像で知られるお寺、この仏像が見たくて
訪れたのです。
 

門に一歩足を踏み入れると全く別世界のようでした
森の中は青々した苔で覆われて、苔をそっと触ってみるとふかふかして柔らかく
気持ち良かったです。

開館前だったので庭内を散策しているとウグイスの透き通った鳴き声が静かな
森に響き癒されました。

今回は姫路城、法隆寺以外は静かな雰囲気の奈良の古刹を歩くことが出来ました。
 


伎芸天は何も持たず右手は上げて人差し指と小指を伸ばし
首を少しかしげ、やや前傾して伏し目がちでて丸みを帯びたふくよかで優美な顔立ちは奈良時代の仏像の特徴です。
表情が何とも言えない柔らで穏やかです。 

庭の隅になんやら礎石らしい大きな石が並んでいました。
なんだろう?・・・ 後でわかったのですが東塔の礎石だったのです。
再び西大寺駅に戻り、次は西大寺へ向かいます。


西大寺

聖武天皇の娘、称徳天皇によって765年に建立された。
東の東大寺と対をなし西の大寺院です。

四王金堂  江戸時代の延宝2年(1674年)の再建。
 


何故かこの寺の記憶がはっきりしないのですが、大きな湯呑が展示されていた事を
覚えています。
2月に大茶会が開催されたそうです

再び近鉄に乗車し筒井駅へ・・・


西大寺駅から筒井駅まで近鉄に乗車、駅からバスで法隆寺門前で下車。
今日は朝から肌寒く、雨は予報より早く降り出してきました。
早めの昼食は「にしんそば」650円、値段の割に美味しかった。

法隆寺  12:15  入館料1500円   (う、高い! でも価値は十分ありました)
法隆寺の建立は607年(推古15年)。聖徳太子が父・用明天皇のために
創建したとされています

法隆寺は修学旅行以来です。
「法隆寺」を一言で述べると「仏教美術の集大成」と言えます。
五重塔、金堂、夢殿など本当に数多くの建造物があります

すべて中は撮影禁止なので、見るだけでどの仏像がどこにあったか
さっぱり覚えていません。
 

1993年には、世界にある仏教のお寺の中でも大事なものとして、
日本で初めてのユネスコの世界文化遺産です
五重塔
高さは約31.5メートル(基壇上より)で、わが国最古の五重塔として知られています
この最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅(涅槃)、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されています
雨は本降りになり傘をさして五重塔の石段を上がったり下りたりして内陣を覗いてみます
 
丁度、法隆寺秘宝展が開催されていたので500円奮発して入ってみました。
法隆寺1400年に宝物と寺にかかわりあった人物を通して多くの人たちと歩んできた歴史の重みを痛感しました。
 

近くの中宮寺に寄ってみました。

中宮寺  入館料は600円
ご本尊、如意輪観音菩薩様(国宝)の穏やかな微かに微笑みを 浮かべているお顔に心癒やされます
この像は飛鳥彫刻の最高傑作とされています
また、古典的微笑の典型、スフィンクス(エジプト)、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも言われています
そして天寿国曼荼羅繍帳(国宝)もあります

帰りはバス、近鉄の乗り換えで今日もクタクタになりました。
 

第4日目 姫路城(世界文化遺産 国宝)  16500歩 

赤松則村(円心)、姫山に縄張りを定めたとされているが
その後、9回も城主が変わっています。

昨年竹田城へ向かう車中から眺めた姫路城へ出かけました
駅前広場では高校生が大勢で熊本地震の募金活動に声を張り上げていました。

 


少し早目の昼食を駅前ビル3階のガストでポークカレー
暫くぶりのカレーライスはとても美味しかった。
まず腹ごしらえをして姫路城へGO!!

「菱(ひし)の門」で記念写真。
国宝
大天守、東小天守、西小天守、乾小天守、い・ろ・は・に・の渡櫓(やぐら)の8棟重重要文化財
その他重要文化財が数多くありました
 

駅前の大通りを進むとはるかに白鷺城に相応しい姫路城が見えてきました
「平成の大修理」完成 期間5年半!費用24億円!職人15000人!
大修理後は長蛇の列だったらしいが今日は待ち時間は0分でした。

姫路城と言えば千姫が浮かんできます
戦国時代に徳川家から豊臣家へ嫁いだ千姫の夫は豊臣秀頼で、一族を背負った政略結婚だった。
時代の流れによって徳川と豊臣は激突、炎の中で夫を失った。
千姫は姫路城で二番目の夫(本多忠刻)と暮らした時が一番の幸せだった。
姫路城の西の丸化粧櫓から見える男山の祀った天満宮に手を合わせたと言います
その男山の天満宮を私も窓から眺め、千姫の切ない気持ちが見えたような気がしました。
その後、息子・夫・母の死に巻き込まれる。
千姫は出家して二人の夫の菩提を弔い、ゆかりの人々を陰で支えたそうです。
戦国時代の女性はなんと哀れだったのでしょうか・・・

     

    

最上階の限りあるスペースと、独特の急な階段が相まって、大修理前にも春秋の観光シーズンには
入城客の列が渋滞していたが今日はスイスイ?
が、、、急な階段に私の右ひざが痛み出して手すりに縋り、やっとこさっとこ
これじゃ7月の北海道山行はとてもとても無理だからキャンセルすることにした。

    


好古園
姫路城内にある日本庭園です。姫路観光の人気スポットでもあります。
時代劇や大河ドラマでもよく使われています
    

3時11分の電車に間に合うか!
急げ!急げ! 駅までダッシュ!
ぎりぎりセーフで乗車 JR奈良駅到着は17:21 
駅からホテルまで歩いて30分ほど、今日もクタクタ
ホテル到着は18:00 
 

 第5日目 5月8日  高野山観光   19300歩

高野山は以前、熊野古道の最終地で訪れているが、もう一度ゆっくりと歩きたいと思っていたところ
同行者の友人の希望もあって思いがけず目的達成できました。
 

9:30発
初めて乗車の南海電鉄
JR奈良駅〜新今宮〜極楽橋駅〜ケーブル〜ハイブリットバス〜高野山駅
接続が良くて構内を走り通しだった。 
 

バスを降りて高野山の森閑とした参道を歩いて金剛峰寺に向かいました。

高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集して日本では他に例を見ない宗教都市で、ここには4000人が生活しているそうです。

「真言宗」には様々な宗派が存在します。主な宗派だけ数えてみても、実に18種類も数えることができます。高野山真言宗はそういった宗派の一つに含まれます

山全体が霊気を帯びているような気がしました
無信心な私も何かを感じましたが、友人の一人はとっても霊気を感じたそうです。
 

金剛峰寺は広くてちょっと疲れていたところ、なんと広間でお茶の接待がありました
一幅のお茶を頂いていると心が安らぎ歴史の深い寺に興味が湧いてきました。
 
 

蟠龍庭
石庭としては我が国最大だそうです。
雲海の中に雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されています。
龍は四国産の青い花崗岩140個、雲海は京都の白い砂が使われているそうです。 
 

女の私が大変興味があったのが生活感いっぱいの「台所」と「いろりの間」です
大きなかまどがたくさんありました
現在でも行事のの際に使われるという釜は一つで約七斗の米を炊くことが
出来るそうです。
三つで二石(約2000人分)
僧侶が多く、食事の支度が大変だったでしょうね
 

高野山の道は良く整備され綺麗な道です
 

根本大塔

真言密教の教えを体現する象徴として建てられた塔で、
塔内には立体の曼荼羅世界が 広がります

 
 

霊宝館
高野山内の文化遺産を保存・展示する施設です
日本現存最古の木造博物館建築で、平成10年に登録有形文化財になっています 
 

フリーパスでバスに乗りたかったのですが
初めて訪れた同行者は歩いて高野山の空気に触れたいと・・・

昼食はきつねうどんときんつば

奥の院に通じる道に墓碑、石塔が多いのは空海が永眠する土地に墓碑を
建てたいという思いからで上杉謙信・景勝、平敦盛、織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、石田三成、柴田勝家、伊達正宗、武田信玄・勝頼、前田利長、筒井順慶、薩摩島津家、浅野内匠頭・赤穂四十七士、大岡越前、井伊直弼、法然、親鸞、初代市川團十郎、鶴田浩二など著名人の墓碑、石塔が競うように立ち並んでいます

私は2度目だったのですが苔むした墓碑や供養塔など大いに関心がありました
 

ここは織田信長の墓所です
意外と質素ですが手入れが行き届いて綺麗になっていました 
 

最近のお墓は企業の従業員慰霊碑が、趣向が凝らされ変わっているのだ
ヤクルト、福助、日産、UCCのコーヒーカップなど・・・
近代的な発想のお墓が多い。



第6日目  5月9日(月)移動日 談山神社・箸墓古墳  7500歩

今日は帰宅の日です  午前中に少し観光の予定でしたが談山神社で時間を費やして
来年のお楽しみにすることにしました
車でホテルを8時半過ぎ出発、先ずは談山神社へ
 


談山神社
飛鳥の東方にそびえる多武峰(とうのみね)の山中にたたずむ談山神社。大化改新談合の地として知られ、藤原鎌足公が祀られています

蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。
この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。
たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、
聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。
後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。
藤原鎌足公を祀っています。
 

木造十三重塔としては世界唯一
素晴らしい建物です
 

拝殿の中には多武峯縁起絵巻などの展示があります。
展示物をゆっくりと鑑賞しました
大化の改新がどのようにして行われたのか、というのが絵巻とともに
解説されています。


唯一ここは撮影OKだったので記憶にしっかりと残っていました
 

更にここは縁結び、足腰治癒祈願
滅多に神頼みをしたことが無い私も三百円奮発してお札を奉納しました 
 

境内からの眺めは素晴らしいかった。
紅葉の名所と言われていますが、今回は新緑が眩しく桜、モミジが多いから
さぞや紅葉は美しいと思われます。

 

ここはパワースポット
小さな滝音が響いていました
この左に語い山の登山口があります 
 

ここから神社裏手の語いの山と御破裂山があります
往復50分位でしたが、なんとしても談合した場所を確認したかったので
傘をさして山頂へ向かいました

小さな沢からグェグェっと鳴く大きなカエルの声がしていました
 
山道は歩きやすく鞍部の右が 語い山、左へ御破裂山の標識がありました。

 

           
          語い山(かたらいやま 標高566m)
 天智天皇と藤原鎌足公が極秘の談合をしたのが、この談い山です。
  この談合の後、蘇我入鹿を討ち大化の改新という歴史的偉業を
    成し遂げたことから談い山と呼ばれるようになりました         
    石碑(御相談所とありました)に立てかけてあるのは
          本日使わせていただいた杖です
    連日の疲れが出たのですが、杖のお蔭で山道を
          快適に歩けたので助かりました
 
御破裂山(ごはれつさん標高618m)
奈良県桜井市多武峰の談山(たんざん)神社裏の山。
頂上には藤原鎌足の墓所が築かれており、
言い伝えによれば、国家に不祥事があると
決まってこの山が鳴動するという。
古墳の鳥居の脇道先に展望台があり、残念がら靄って
見えなかったが以前歩いた大和三山、二上山、
葛城古道方面が見えるとありました
とても展望の良い所に墓所があり鎌足公はここから
大和盆地を見張っているのでしょうか

駐車場には来たときは私たちの車が一台だけでしたが戻ると5,6台駐車してありました
本当に静かでしとしと雨の中はまた風情があり雰囲気の良い神社でした
歴史の匂いがぷんぷんとする神社を、もう一度是非訪れたいと思いました

帰路、桜井市で三輪そうめんの店を探し、満足の昼食が出来ました
めん汁はくるみ、トマト、醤油の三種でトマト汁が意外と美味しかった。


午後1時半、6日間の楽しい奈良の思い出を胸に帰宅の途につきました
自宅到着は23時過ぎでした



奈良大好きな南橘地区在住のご親切なの方へ

昨年、わがクラブが毎月2回例会を開催している南橘公民館へ
私宛に私のホームページを時々訪問しているという南橘地区在住の方から
奈良旅行についてお手紙とアドバイスの資料等が届けられていました
紹介の寺はほとんど行っていますが、今年は奈良から離れて、天気が今一のところ私の足の状態が
悪く残念がら予定通りにいきませんでした。
来年は行けるかどうかわかりませんが、唐招提寺、松尾寺、薬師寺、黒塚古墳資料館、もう一度談山神社へ
柳生街道も再度歩きたいです。
同行の一人は奈良からいつも元気を頂いてくると言っています
だんだんと奈良の空気に馴染んでいくと思いますが、もっとゆとりをもって歩きたいと思っています
ありがとうございました(*^_^*)
 

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