中山道を歩く (その16)
(下諏訪宿〜塩尻宿〜洗馬宿〜本山宿)
2012.9.16
参加者 CL藤井、SL船津、小野里、山口(京)、川野、吉田、田所(喜)、田所(喬)、
酒井、桜井、野中、桑子、星野、篠田、塩澤、新井、亀井、横沢
前回、和田峠越えに時間がかかり、下諏訪宿はショートカットしてしまった。
前回の終了地点諏訪大社春宮から歩き出すことにした。
今回もかなりハードな歩行だが 2日に分けるほどでもないので出発時間を早めて日帰りにすることにした。
下諏訪到着は到着は予定より1時間早く、春宮門前の駐車場は8時からの会場のため駐車できなかった。
3台の車は駅前近くの無料駐車場へ移動した。
下諏訪宿 本陣1、脇本陣1、旅籠40、家内軒数315軒、人口1345人 甲州街道の終点で交通の要所でもあり 温泉が湧き出していたことなどで中山道最大規模の宿場だった。 宿場内に何箇所も美味しい水と温泉の飲場があった。 冷たくて美味しい水とお湯が湧き出ていて下諏訪の人たちが羨ましい。 |
||
7:05 ここは前回、和田峠から下諏訪に下った地点。 今回はここから下諏訪宿を歩き、塩尻宿へ向かうことにした。 |
||
7:20 下諏訪宿本陣 中山道でも最大規模の本陣で問屋も兼ねていた。 皇女和宮が泊った上段の間がそのまま残されて武家茶屋の たたずまいと名園は素晴らしいそうだ。 入場料400円、まだ開館前なので門の中をちょっと入らせていただいた。 庭は良く手入れがされ、一見の価値がありそうだったが 今回は今までで一番の長丁場になるので、ゆっくりしていられない。 |
||
7:30 諏訪大社秋宮 ここで車を置きに行った3人が反対方向から宿場内を 歩いてきたので合流。 |
||
宿場内は温泉宿があるから浴衣姿の観光客が 朝の散策している。 まだ7時過ぎ、宿場内は人通りは少なく静かだった。 |
||
7:30 下諏訪宿のT字路にある 右甲州街道 左中仙道の石碑 甲州街道はここ下諏訪が終点。 |
||
下諏訪宿を抜ける街道はやっと一人通れるような狭い住宅の 中を通過したり畑の中の畦道だったりする。 間違いやすいような道なのでネットで資料をチェックしてきた。 注意をすれば小さな看板「中山道」の看板が目止まる。 |
||
8:23 平福寺(おひぎりさま) |
||
8:35 一里塚跡 この辺りから道は緩い上り坂。 いよいよ塩尻峠へ向かう。 |
||
9:00 茶屋本陣今井家 邸内の植木が見事だ。 このあたりの民家の庭、住宅は立派な造りが多い。 |
||
|
||
ペットボトル1本水を汲んでいるうちに皆さん快調な足取りで 急坂をグングン行ってしまった。 皆さん今日は最初から元気が良く、ホッとした。 太陽は夏の陽射しがギンギンしている。 熱中症予防に水分補給で水の消費が激しい |
||
後方に諏訪湖、富士山が姿を現した。 高度が上がったのだ。 長野自動車道、岡谷市街、諏訪湖、富士山の眺めに 疲れが飛ぶようだ。 |
||
10:10〜10:45 塩尻峠は中央分水嶺の一つだ。 塩尻峠展望台 (綺麗なトイレもある) 朝食が早かったのでここでランチタイム。 木陰は冷たい風が心地よい。 ここから諏訪湖はもちろん八ケ岳、富士山が遠望。 |
||
展望台から山座同定を楽しむメンバー達。 八ケ岳が丸ごと。 |
||
昼食後、峠から緑の木立の中の急な下り、 親子地蔵 その脇に夜通道の標識 夜通道の謂れは昔、この近辺の娘が岡谷の男に会いたい 一心で夜道を歩いて通ったそうな・・・・・ そんな情熱が欲しいな。 |
||
柿沢集落 やや緩い下りの道に面したここは何処のお宅も塀に凝っている。 資産家が多いのでしょうか。 |
||
庭木もよく手入れがされた家が多いようだ。 静かで落ち着いた街だ。 |
||
国道に沿ったり、地下道をくぐったりしながら次第に 塩尻宿に近づいてゆく。 信州路はこのような夫婦道祖神が多く見られる。 |
||
塩尻宿 本陣1、脇本陣、旅籠75、家内軒数166軒、人口794人 日本橋から58里3町(228.1km)京へ77里31町(305.8km) |
||
12:00 塩尻宿 塩尻宿は明治16年の大火で宿場の殆んどを消失し、 宿場の面影はないは少ないが丁寧な石碑」が建てられてあるから 当時を偲ぶことが出来る。 |
||
塩尻宿の通り。 5千石街道碑、塩尻宿碑、陣屋跡、三州街道碑、下問屋跡、 上問屋跡、高札場、多くの道祖神など遺構が多い。 |
||
塩尻宿本陣跡 下界に下りたら、暑い!暑い! 額から汗がたらたら・・・・ 本陣の木陰で水分補給だ。 あまりの暑さに近くのスーパーへアイスを求めて全員早足。 それがそもそも間違いのもと。 中山道をわずかな距離を国道を歩いてしまった。 ま、いいかッ。 |
||
脇本陣のすぐ先が明治16年(1883)創業の造り 酒屋「笑亀酒造」。 明治時代後期の建物が登録有形文化財に指定され 街道際に下げられた大きな杉玉。 |
||
なまこ壁の酒屋 13:00 大門神社 今日はお祭りらしく出店があり懐かしい綿菓子屋、香ばしい イか焼きの匂いが境内に漂っていた。 大門神社の直ぐ先に耳塚神社がある。 ここは耳の病が治るそうだ。 (私は耳を切り取って納めたのか?と薄気味悪くて素通りしてしまった)
|
||
しばらくアスファルトの道 暑い!おまけに道路沿いに昭和電工の大きな工場の 壁は風を遮って、一層暑い! ここが一番疲れのピークだった。 もう、ダウンギリギリで、リーダーの私がバテテどうする! 叱咤激励し重い足を引きずった。 13:30 前方に平出一里塚 江戸から59番目の一里塚だ。 珍しく左右一対残っていて反対側の木立で休憩。 涼しい風にホッと一息し、頑張ろう! |
||
一里塚を過ぎるとブドウ畑が広がり 果物直販の店が旗をなびかせていた。 いつもなら寄って行きたいなんて言うメンバー達は、今日は 疲れているのか誰も素通りだ。 国道を渡り、次の宿場洗馬へ向かう。 信州の民家は安らぎを感じる美しい建物が多い。 |
||
洗馬宿 本陣1、脇本陣1、旅籠29、家内軒数163軒、人口661人 日本橋から59里33町(235,3km)京へ76里1町(298,6km) 昭和7年(1932)の大火で昔の建物を ほとんど焼失してしまい「町並み」に宿場時代の面影は 感じられないが国道から外れたしまったためか ひなびた旧街道の趣きは残っている |
||
14:15 肘掛の松から右の細い道を下ると善光寺道の分去れがある。 右が善光寺へわたしたちは左の道を洗馬宿に入る。 |
||
洗馬宿の通り 交通量が少なく静かな落ち着きのある街だ。 洗馬駅でトイレ休憩し、出発が早く行動時間が順調なので 予定より1時間早い電車に乗れそうだ。 |
||
ここも跡碑のみで往時の形跡は何もない。 荷物貫目改所跡 これはあまり見ない遺構跡だ。 荷物の目方を検査する役所で、問屋場と併設されていた。 |
||
中央線踏切を渡って 14:55 「言成(いいなり)地蔵尊堂」へちょっと寄り道。 このお地蔵様に「願い事をすれば必ず叶えて貰える」のだそうだ。 メンバーたちはそれっとお賽銭を奮発してそれぞれ何をお願いしたのか 荘厳な面持ちで手を合わせていた。 私も100円奮発し、いろいろ願掛けした。 |
||
今回最後の宿場本山宿へ ここは蕎麦の有名な所っだ。ススキのなびく畑は一面の 蕎麦の白い花。 |
||
本山宿 本陣1、脇本陣1、旅籠34、家内軒数117軒、人口592人 宿場保存のため、宿内を通っていた国道19号を宿の東に廻したため 車の通行量が減り、宿内の生活も落ち着いて屋敷割りや小路も残されている。 家は街路面そのまま残され昔の面影が濃い。 |
||
本山宿の標識 もう少しだ。 ところがここまで頑張ってきたメンバー達の足は ガクンと低下した。 急がないと電車に間に合わないかも・・・・ さぁ急ごう! |
||
15:35 旅籠「川口屋」出し張り造りの古民家が3軒並んでいた。 本山宿を抜け 国道と中央線の線路の間を行き、踏切を渡る。 最後尾の仲間の姿ははるか後方だ。 16:13の電車に間に合わなければ1時間待ちだ。 本山宿から日出塩駅まで歩いて30分だ。 本山宿の奥か?先端か?定かではないので 間に合うかどうか・・・・とにかく急いでおくれ! 「急いで!」と促しても「歩くの早すぎるよー」 |
||
日出塩の駅の手前に一里塚跡 江戸から六十一里とある。「約244km」 |
||
16:00 日出塩駅 やれやれ電車に間に合った。 ここは昨年木曽路一回目の出発点だ。 昨年は中山道の木曽路だけを歩く計画だったので この先にある「これより木曽路」にの標識にこだわり日出塩から歩いた。 だが、メンバー達はいつの間にか京都三条大橋を夢に見て 今日まで頑張った来た。 全員ゴールを目指して頑張りたいと・・・・・・ 今回は今までで最高の距離を歩いた訳だ。(約24km、約40000歩余) 塩尻で乗り換え下諏訪到着は17:12着 |