中山道を歩く (その14)
岩村田宿~塩名田宿~八幡宿~望月宿
2012.6.10
参加者 L藤井ほか19名 29000歩
昨夜、東北旅行から帰宅したのが夜11時過ぎ
帰宅後、荷物の整理やシャワー浴びたり就寝は12時過ぎになってしまった。
今朝、4時半に目覚時計のけたたましい音で起こされた。
まだ頭がボーッとしたたまま集合場所に駆けつけた。
三台のワゴン車に20名が分乗し佐久平駅へ向かった。
浜川P5:30→→佐久平駅7:10→岩村田信号7:25→岩村田宿→塩名田宿9:35
→八幡宿11:00→八幡神社11:10~12:10→望月バスターミナル13:50
千曲バス中山道線望月発14:46~佐久平駅
素朴な街道にみる道祖神や石碑、懐かしい日本の原風景が残る
信州路は益々私を虜にしてしまったようです。
今回のコースは見所満載でページが多くなったが
前日の疲れからか日頃アバウトな私に更に拍車をかけてしまったようです
7:10 佐久平駅出発 浜川Pから松井田IC~佐久平IC高速道に乗り1時間30分で 佐久平駅に到着。 駐車場は浅間口P一日800円 |
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岩村田宿 宿内家数は350軒、本陣、脇本陣ともに設けられず、 龍雲寺や西念寺が本陣の役を果たしていた 旅籠8軒、宿内人口1,637人 米穀の集積地として物資の輸送上大きな役割を果たす宿場だった |
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東口から前回の中山道の終着点岩村田の信号へ向かう。 岩村田信号を右折すると中山道 岩村田宿のメインストリート 岩村田の通りはまだ人通りは全く無い。 |
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7:30 西念寺 本陣の役割を果たした寺 岩村田は内藤氏一万五千石の城下町だったため高崎宿と同様に 本陣は無かった。 |
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7:40 道祖神 街道のあちこちに道祖神がある |
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8:00 相生の松 この松は三代目 この付近が英泉の描いた岩村田宿の絵ではないかと 言われている。 皇女和宮降嫁の折、がここで野点をしたそうな・・・・ |
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塩名田宿へ向かう街道のいたるところに往時を偲ぶ面影が伺われる |
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9:10 駒形神社 大きな白い駒形神社の看板があり小橋をわたって鬱蒼とした木に 囲まれている。 駒形神社の周辺は、古来から馬の産地で、この駒形神人と 何らかの関係があると云われています。 駒形神社本殿は中尊寺の金色堂のように覆屋の中に置かれているが 格子戸から中が暗くて良く見え無かった。 ジメッとして私の好みの場所では無かったが休憩の頃かと思ったが 湿気っぽくて厭だね、という声にヤレヤレと先に進むことにした。 |
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塩名田宿の周辺は廃屋が目立つ |
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塩名田宿に近づくと、佐久平の名前通り果てしなく広がりを見せている。 |
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岩村田宿3.4km 塩名田1km 標識に従い左に向かう |
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塩名田宿 本陣2、脇本陣1、旅籠7軒、家内軒数116、家内人口574人 当寺度々氾濫する千曲川の東岸にあり橋の破損に苦心していた。 橋が流失すると渡し舟の料金が高くなるため旅人は宿場に逗留した方が安かったらしい。 今は、立派な橋が架けられてある。 |
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9:30 塩名田宿と道祖神 | ||
本陣の一つ丸山家は 問屋も兼ねていた。 もう一つの本陣跡はシャッターが下りてただ標識があるのみ。 私達の姿を見て、シャッターの下りた店からここの奥さんらしい人から 「信州佐久」のパンフレットを20人分頂いた。 多分、本陣の後継者かもしれない。 街道の家には旧宿の看板が掲げられ宿場保存の意識が 強いのかも・・・・ |
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9:40 高札場跡 現在も高札場(掲示板)として役目を果たしているようだ。 |
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10:00 佐藤家住宅 塩名田宿で最も古式の町屋の様式を伝える建物。 1階の桁は曲り材がそのまま使われており、なかなか味わいがある。 建物の前に家の見取り図があった。 |
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10:05 塩名田宿を行く この先に千曲川が流れている。 |
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塩名田川原宿は木造3階建ての家が多い。 |
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10:10 千曲川に架かる中津橋と千曲川 千曲川は風情のある、緩やかな川に思われがちだが、実際には名前の とおり曲がりくねった急流でも知られ、水かさが増すと難所に変わり、 旅人を苦しめていたという。 川原に舟繋石があるらしいがどれがそうなのか定かではなかった。 |
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千曲川に架かる赤い中津川橋を渡ると小さな岡の上に白いおかけをした 大日如来が佇んでいた。 10:30 大日如来像 脇に芭蕉の句碑が建立されてあったが 全部は読むことが出来なかったが 「涼しさや 直ぐに野松の 枝の形」 芭蕉翁 ここから浅間山が見えるかも・・・・生憎く周囲の空は雲が多く見えず 草刈がしてあったので広々して小休憩。 |
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10:40 御馬寄一里塚(みまよせ) 雑草が生い茂り標識は見落としそうだ。 |
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10:55 街道沿いの旧家の塀 そろそろ昼食の時間だが適当な場所を探すのがリーダーの 悩みの一つでもある。 常泉寺に寄ってみたが、この人数で賑やかに食事をしたら 顰蹙を買いそうな雰囲気だったので八幡神社に向かった。 これがランチに最適な場所だったので本当に良かった。 |
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随神門 瑞垣門 |
11:10~12:10 八幡神社 (ランチタイム) 創建年代は定かではないが、歴史の重みを感じる建築である。 「随神門(楼門)」は天保14年(1843)の建立。 さほど古くはないが、梁・桁回りに施された彫刻が見事だった。 本殿は天明3年(1783) ・ 拝殿は天明4年(1784) の建立 旧本殿である「高良社」(右)ははるかに古く、延徳3年(1491)の建立と いうから室町時代の作。重要文化財に指定されている 境内の奥に進むとあづま屋、ベンチもあった しかも綺麗なトイレも設置されて昼食場所にお誂え向きだ。 あづまやで賑やかにランチタイム |
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八幡宿 八幡宿の宿内家数は719軒?本陣1、脇本陣4、旅籠3軒、宿内人口は719人 |
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八幡宿 八幡宿は屋敷門が多くの残されて立派なお宅が多い。 |
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12:05 八幡宿本陣跡 | ||
八幡宿を行くメンバー達は 陽射しが強くなり少々疲れが出始めたようだ。 |
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国道142号線から百沢東の信号から右の細い道に入ると 百沢集落がある。 12:35 百沢の集落(ももざわ) わずかな距離だがこの集落は昔のたたずまいが残り 雰囲気がとっても良く印象深い集落だった。 |
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12:40 百沢の道祖神 地元では「祝言道祖神」と呼ばれ宮廷貴族の衣装をまとい 酒を酌み交わす男女の双体道祖神 |
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国道142号線の交差点で少々迷ってしまい、 中山道の矢印は直進して坂道を上がるようになっていたが 国道をしばらく進むと中山道の標識がありホッとした。 |
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12:55 望月宿 国道を横断すると立派な望月宿の案内があった。 ここから緩い坂道の上り、暑くもなり途中の木陰で小休憩。 |
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13:20 瓜生坂一里塚 山の中の標識を見るたびヤレヤレです。 |
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13:25 中山道瓜生坂 脇に「瓜生坂百万遍念仏塔」 はるかに樹幹越に望月の街が見えた。 |
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13:40 長坂の道祖神 周辺の石碑が纏められてあった。 |
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13:43 長坂を下ると望月宿だ。 目的の望月宿に到着した途端O氏からの突然の電話だ。 山歩きの途中で最後尾を歩いて何度か転倒したことがある O氏のこと、一瞬私は何事があったかと驚いた。 「今、新トンネルにいるんだけど・・・・」「・・・・・・?」 歩行中に携帯電話があって私達の姿を見失ってしまったらしく、急いであとを 追ったが道を間違え望月トンネルに入ってしまったとか。 今は携帯電話があるからこんな時は本当に便利だ。 バスターミナルで待ち合わせすることで事なきを得た。 私は落し物が多いが人間を落としたのは初めてだ。 要所要所で人数確認はしたがまさか歩行中は人数が多くて 気かつかなかった。 |
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14:10 望月バスターミナル 今日は望月宿を一回りの予定だったが思いがけないハプニングと 私も東北旅行の疲れがあったので14:46のバスに乗車し帰宅することにした。 夏期は街道歩きは暑いし、それぞれ夏山の予定があるから しばらく休みです。 次回はここからスタートです。 |
東北の疲れと中山道の疲れがドッとでて日頃不眠症の私は
この夜は朝まで熟睡でした。本当に疲れたら眠れるものですね。