中山道を歩く (その13)
沓掛宿~追分宿~小田井宿
2012.5.20
歩行距離役23km、40000歩
参加者17名がワゴン車3台に分乗し軽井沢駅に向かった。
駐車場は駅の西の駐車場24時間まで700円、実際には時間の関係で500円だった。
前回の中山道の終着点の旧軽ローターりーまで歩く。
7:15 軽井沢駅出発 前回は駅到着した頃はガスが濃くて写真撮影が出来なかった。 まだ駅前のとおりは人影が疎らだ。 でも、時々若者のグループが目に付いた。 それは今日、軽井沢ハーフマラソン大会の開催に参加の人たちだ。 タレントの大島麻衣さんがゲストに見えるとか・・・・ 軽井沢ハーフマラソン2012 お洒落なブディックのウインドウに私の目は惹きつけられます。 素敵なブラウス、さすが軽井沢ですね、 ゆっくりとショピイングしたい衝動に駆られる。 今日は眺めるだけ。 |
||
8:20 庚申塔 静かな軽井沢の通り 旧軽ロータリーから中軽井沢に歩いていくと別荘が多くなってくる 右に以前登った離山のこんもりとした姿がある。 標高1256mと言っても軽井沢が標高1000mあるから標高差260mくらい。 展望は素晴らしかった。もう一度来てみたい山だ。 皇女和宮がここを通過したときは名前が縁起よくないとかで 子持山とも呼ばれたそうだ。 |
||
8:30 市村記念館 ここには軽井沢歴史民族資料館もある 入館料は400円、7館共通で700円 安いがゆっくり見学していられないので、またの機会に 訪れたい。 綺麗なトイレがあり丁度お掃除が始まったところだった 邸内の木陰で小休憩が出来てよかった。 |
||
国道から南に入りしなの鉄道をわたり、しばらくすると 正面に浅間山の全容が現われた。 爆裂口がぱっかりとして凄みがある。 まだ左の剣ヶ峰を歩いていないので今年は是非行ってみたい。 |
||
沓掛宿 本陣1、脇本陣3、旅籠17、宿内軒数166軒、宿場内人口502人 沓掛という名は「わらじ」を履き替える場所だという。難所の碓氷峠越えのため ここで身支度をしっかりしたのでしょうか |
||
8:50 沓掛宿の碑 |
||
8:50 長倉神社 国道の脇から右手に神社の参道が続いている。 境内に我々と似たような中高年グループが集合し 出発の準備をしていた。 この街道は今回、中山道歩きの3,4グループに出会った。 神社奥に「沓掛時次郎」の碑があったがうっかりと見過ごしてしまった。 |
||
沓掛宿の本陣跡はすっかり建て替えられ現代風に様変わりし 表札に「本陣 土屋」とあるだけだった。 また、脇本陣も「升屋本店」と旅館を営業していたらしいが 現在は人も住んでいないような・・・・ 9:10 草津道道標 沓掛宿から国道18号から左へ国道沿いの道に入る。 |
||
9:15 道祖神 ご夫婦でしょうか 左の女性はお酒のビンを持って表情もよろしく 可愛い石碑に心が和みます |
||
車の通りも少なく新緑の木々に包まれ17名がぞろぞろと お喋りに花が咲く。 ところがここで大失態だった。 そろそろ遠近(あちこち)神社がある筈なのに?・・・・・ あるわけが無いのです。 国道と合流し直ぐに左の道に入り、バイパスの下をくぐったのは良かったが また国道へ進んでしまった。 気が付いた時はメンバー達は広い国道の両側に分散してしまい 声も届かない。 「もう!いいッ!」私は自棄ぱっちになってしまった。 ドドッと疲れが出て歩くのが厭になった。 |
||
馬頭観世音が野道のあちこちにある。 何故って?信州は昔から「佐久の三牧」と呼ばれ馬の 産地だったらしい。 ウーン!納得です |
||
借宿のベンチでちょっとひと休みし気を取り直して出発する。。 |
||
10:15 追分一里塚 この一里塚は国道拡張の際、最築されたので 国道の両脇に一目で分かる。 片側2車線の広い国道は車の途切れることが無いが 瞬時を狙って横断するメンバー達は只者ではない。 |
||
追分宿 江戸から20番目の宿場町 宿内家数は103軒、うち本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒で宿内人口は712人であった。 商店28、飯盛り女200~270人と大きな宿場町だった また民謡の追分節の発祥の地でもある |
||
国道から右の道に入ると、昔の面影が多く残っている。 |
||
追分宿に入り、すぐに常夜燈がある。 10:30~10:40 浅間神社 |
||
浅間神社境内にある芭蕉の句碑 「ふき飛す石も浅間の野分哉」 |
||
追分宿 風情ある街頭 | ||
10:50 堀辰雄文学記念館 | ||
10:50 脇本陣(油屋旅館) 旧脇本陣の油屋は、堀辰雄や立原道造、室生犀星らに 愛され、堀辰雄の小説「菜穂子」に登場する牡丹屋という旅館は この油屋がモデルである。 |
||
10:51 高札場跡 | ||
10:55 つたや | ||
10:50 本陣跡 | ||
11:00 枡形の茶屋 | ||
11:00 分去れ 「寒甚だしく五穀生ぜず。ただ稗蕎麦のみ生ずる故畠少し。 またコノミ(果物)の樹なし。不毛の地といひつべし」 と、「岐蘇路之記」に記載されている。 浅間の噴火のため火山灰が積もり不毛の土地だったのだろう。 貧しい農家の様子が目に浮かぶようだ。 だが、今は果物や米麦の収穫もある。 民家の庭先に種類も豊富な花が見事に咲いていた。 |
||
11:05 直進が小諸、左が佐久へ 左の道に進む。 この先は昔のままの殺風景な道が続いて塀などに 浅間が噴火した石が多く使われてあり別荘と林、畑の趣のある道が 続いていた。 |
||
11:15 中山道の街道も今はこんなお洒落なレストランが 若者向けですね。丁度学生らしいグループがテラスに出てきたが 建物と若者達がマッチしていた。 我々世代はきっと違和感があるかもね。 |
||
11:25 お腹が空いてきたよん・・・・・ 何処かランチする良い場所が無いかしらん・・・・・・ 自然が残る林から清々しい風が心地よい。 |
||
11:30~12:10 千が滝湯川揚水温水路 やっと昼食だ。 八重桜が満開のこの場所は最高のランチになった。 桜の花びらがチラチラ舞う下でお花見が出来た。 |
||
12:35 大山神社 この先に分岐がありガイド地図に右に入ると民家の庭先に 出ると有った。これが中山道になっていたので躊躇しながらも ショートカットらしい野道に進んだ。 小人数だったら良かったのだが17人がぞろぞろ庭先に入り込んだのが 運のつき・・・・・家主に最後尾の人たちはお咎めを頂いてしまった 「ごめんなさーい」 怒られてもしかたないっす |
||
12:40 御代田の一里塚 シダレザクラがあり、保存状態は今まで最高かもしれない。 |
||
小田井宿 宿内家数は107軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒で宿内人口は319人であった。 参勤交代で大名が北国街道との分岐点でもあった追分宿で 宿をとる際、小田井宿は姫君や側女たちの宿にあてられることが多く 「姫の宿」とも呼ばれた。 |
||
13:10 小田井宿入口 標識の後ろに筆塚がある。 昔、信越線の通過に反対し発展から取り残されたため、 往時の宿場の面影が多く残っている。 |
||
13:25~13:35 長倉・諏訪神社 境内で休憩、水道が設置されて冷たい水がご馳走だった。 |
||
宿場の通りに休憩所も設置されている。 あら?見たことある旅人が一人、お疲れの様子だ。 |
||
本陣安川家 上の問屋 下の問屋 |
||
13:30 脇本陣跡 宿場には用水路が今も昔と変わらぬ音高く流れている。 |
||
13:30 馬頭観世音など | ||
14:00 咬月ヶ原 ここは昔大草原だった。咬月という官女の伝説から その名が残ったらしい。 傍らには歌碑があるが、小諸藩の馬術師範の押兼流馬術を 習得した押兼団衛門長常のもの。 前者と全く共通していない。 この辺りから皆、疲れを生じ佐久平駅まで歩く気配が失せていた。 出来れば次回を考慮すると佐久平まで歩きたい所だが 止む得ず岩村田駅から電車に乗ることにした。 |
||
14:10 鵜縄沢端一里塚跡 ほぼ原形をとどめ残っているが、遠くから写真だけ撮った。 この反対側にはショッピングセンターが立ち並び20分のトイレ休憩。 岩村田駅から小海線で小諸、しなの鉄道に乗り換えて軽井沢へ。 休憩時間を利用して喫茶店に入り小海線の時刻表を借りようとしたが コーヒーより甘いパフェに誘惑されてしまった。 パフェが予想外に時間がかかって顰蹙をかったかもしれない。 でも、何とか時刻表が参考になったから良かった。 |
||
15:00 住吉神社 道路を横断して階段を駆け登り神社へ。 境内に樹齢400年のケヤキ?カシ?がコブだらけだった。 ここに溶岩の灯篭があったのだが大慌てだったので見落としてしまった。 |
||
15:05 岩村田宿がこのあたりからだろうか 信号「岩村田」を右折し岩村田駅に直行した。 |
||
15:25 岩村田駅 駅員に聞くと岩村田駅周辺は駐車場が無そうだ。 次回は佐久平駅に駐車しここまで戻らなければならない。 次回が天気が良ければいいが梅雨に入るかも知れずその時は まァ、また考えましょ! |