中山道を歩く (その9)

                倉賀野〜高崎宿

                                                                 2012.3.4

 参加者 12名
3月といえまだ、朝の冷え込みは厳しく今日もしっかりと寒さ対策は怠り無い。
今回は新町駅から高崎までの予定だが次回を考えると出来れば群馬八幡まで歩きたいと思った。       



7:05  新町駅出発
国道17号を横断し、前回歩いてきた中山道を右折する。


7:25  小林本陣跡


    
         7:30 宝勝寺                 7:34 弁財天公園              7:43 伊勢嶋神社           



7:45 川端家住宅
江戸時代の代表的な建物で外観だけしか見られないが
大きなお屋敷だ。
昔ながらの造り酒屋らしい。


川端家住宅から間もなく関越道の下をくぐり
このあたり複雑に入り組んだ道を歩くが細い道に入る。
中山道らしい道に納得する。


また広い通りに出ると反対側に大きな工場らしき建物。
三菱鉛筆の会社だ。


古い酒屋を右に入りサイクリングロードに上がり
烏川を右に見ながら柳瀬橋へ向かう。
曇り空だが風が全く無いので歩いていると汗ばむようだ。

資料を片手に時々まごまごすることがよくある。
通りががりの方が声をかけてくれたり、路地を覗いていると
その奥に神社がありますよ・・・・
ご親切にありがとう!!


柳瀬橋の歩行者専用の道は広くて快適だ。


橋から烏川の中に中山道の渡し場の名残の杭のような物が見えた。
橋を渡ると河原から上がってくる旧道(廃道)に合流した。


8:40 観世音寺、9:00 観音寺
観音寺の裏手に岩鼻代官所(陣屋)及び岩鼻県庁跡へ向かう。
ここは広くてベンチがあり休憩に最適地。
今回、新町から飛び入り参加のHさんとここでお別れです。

直ぐ脇に日本化薬の真新しい研修所があった。
また同会社の社宅らしき建物があったが、現在は生活感が
なさそうで日曜日に駐車場に車は1台も見当たらない。


再び中山道に戻る。
岩鼻の通りには古い家が多く見られる。


9:40 閻魔堂  ここから倉賀野宿
「従是 左へ日光道 右江戸道」の道標と
背後に高さ373cmの常夜燈がある。
寄進者の名前が彫ってあったが雷電為右衛門の名前は分かったが
市川団十郎の名前は残念ながら読み取れなかった。


倉賀野宿
人口2032人、家数297軒、本陣1軒、脇本陣2軒
江戸時代には水陸交通の要所だった。烏川に沿った倉賀野宿の裏通りには
船問屋が8、9軒あり船積み渡世の者が多く住み活況だった。
ところが明治17年高崎線の開通によって衰退してしまった。


    
  中山道倉賀野宿碑               須賀庄兵衛本陣跡碑           御伝馬人馬継立場跡碑


10:05 須賀喜太郎脇本陣跡
この脇本陣跡の西の脇道は「牛街道」と呼ばれ中山道から河岸まで
荷を運ぶ牛が行き来し、牛のよだれで道が光るほどだったそうだ。



10:10 高札場


10:17 倉賀野神社


10:26 安楽寺
本堂の裏に小さな古墳があった。
奈良時代の僧・行基が岩屋(古墳)に泊り一夜に7体の仏を彫刻したと
伝えられ、古墳の石室の三壁に七仏薬師がご神体になっているそうです。
ご開帳は13年ごとで次は2014年になる。
          


10:40 浅間山古墳

倉賀野城跡を通りがかりの人に尋ねると古墳のはるか
後方の山の斜面の団地あたりらしい。
遠いのでパスすることにした。

11:00〜11:45  ガストで昼食
    鯖の味噌煮・デザート(フルーツ入りヨーグルト)・ドリンクバー 943円


昼食後はひたすら高崎に向かって歩く。
国道17号高架下を真直ぐ進み、上越新幹線、上信電鉄を渡り
前方に高崎市役所の高い建物が見え、ホッとする。


高崎宿
人口3235人、家数837軒、旅籠15軒、本陣、脇本陣は無、
高崎は城下町だったので諸大名は城下町の宿泊を敬遠し本陣、脇本陣が無いそうだ。
一般の旅人も堅苦しい城下町の宿泊は敬遠したらしい。
中山道でも高崎は最も繁華な宿場だった。越後へ行く三街道や富岡へ向かう
交通の要地であった。この地の歴史は古く周辺に古墳や古遺跡が多い。


12:35 高崎市役所
ちょっと寄り道をしてトイレ休憩


12:50 高崎城址
鎌倉時代初期、和田正信が築城、その後井伊直正が和田城を修理し
居城した。

現在は三の丸外囲土居や塀が残っている。
写真は本丸乾櫓と東門が移築復元されたもの



13:03 中山道街道絵巻
再び中山道に戻り田町交叉点の北、数少ない中山道の面影を見る。


13:13 金澤屋
天保七年創業の寝具専門店
ちょっと寄りたくなるような店構えです

当時は「お江戸見たけりゃ高崎田町」と言われるほど栄え、
昭和40年代には日本で最初の地方繊維問屋が郊外につくられるなど、
高崎は繊維の町として大いに賑わいました



13:20 高崎神社
丁度結婚式が行われ、新郎新婦の登場でした
初々しくて可愛らしいお嫁さんは真っ赤な打ち掛けがとてもお似合い。
そう!そう!私も真っ赤な打掛だったのよん!!


高崎神社から赤坂通りの細い道に入ると旧中山道の標識。
曹洞宗の古刹がある。
恵徳寺、長松寺。



13:35
そして高い煙突の岡醤油醸造を右折すると
赤レンガ塀の建物は山田家の居宅跡で現在は図書館
山田文庫として開放している。
庭に2,3台の車が駐車してあった。きっと日曜日で子供連れの
お母さんが読書に訪れているのかも・・・・・・


13:45
なに!これ?
天守閣のあるお城のような家を発見。
個人の住宅のような?


13:50 君が代橋
国道354号、国道17号、国道18号が三層構造でインターチェンジの
ような高架道路が複雑に交わっている。
標識の通り烏川を渡ると左の山に観音様の姿が見えた。
橋を渡り終わると交通量は凄い!さすが私も簡単に横断できずに
信号まで行き、国道406号へ入る。


14:00 石神社
しばらく進み、下豊岡にし信号分岐、右方向へ行く。


14:06
二叉路の分岐の三角地に「左くさつみち、右はるなみち」の道標
これを左に入るとすぐに道標があった。
        


14:20〜14:35 若宮八幡神社
神社の境内に土俵やケヤキ、エノ等の巨木がある。
そして嬉しいことにベンチまで、休憩しコーヒータイム。




14:45〜15:05 飯野茶屋本陣(上豊岡)
建物内部を無料で見学させてくれる。
毎週月、火曜日が休館日
飯野家から高崎市が買い取り管理している。
大名が休憩したお座敷は8畳2部屋で北側の上段の間は書院造りで
南の部屋よりすべてが優っています。
部屋の北、東には1間幅の入り側がめぐらしてあります。

高崎に本陣、脇本陣が無かったから重宝されたことでしょう。
大名や公家などの食事・休憩施設。
でも、和宮は通過したらしいですよ。
          
庭にあるこの石は化石だそうです。
感触は確かに木ですが恐竜時代に出来たとか・・・・


    
常安寺                       神明社


15:10 藤塚一里塚
江戸から28番目の一里塚。
復元されているが群馬県では唯一の一里塚で貴重だ。
車で18号を通過するが気がつかなかった。
エノキの巨木の下に可愛い祠と石碑が、18号線の向こうに
赤い鳥居の小さな浅間神社がある。


15:35 群馬八幡駅
16:14分発高崎行きに乗車し今回の街道歩きは終了です。
地元の街道に入り関心が深くなったのか長丁場だったけれど
疲れも感じず、次第に中山道も楽しくなってきたようです。

今回は38000歩
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