中山道を歩く (その17)

                宮ノ越宿~福島宿~上松宿

                                                      2012.10.20~21          

参加者 CL藤井、SL田所、(車両)星野、小野里、野中、(会計)吉田、桑子
亀井、新井、宮沢、酒井、篠田、松岡、山口、福島

一日目
浜川P5:00→藪原駅8:40→巴淵10:30休→宮ノ越宿11:00→明星岩公園(12:00~12:30)→中山道中間点12:35→
福島宿13:45~14:30→興禅寺15:50~城山遊歩道~本丸跡15:30→山村代官屋敷(16:05~16:30)→むらちや16:40(泊)
二日目
むらちや8:00→木曾の桟10:00休→上松宿11:00→たせや(11:50~12:30)→寝覚めの床(12:50~13:20→荻原一里塚13:50
→神明神社14:30休→倉本駅14:55
倉本駅15:23→JR中央線→藪原駅
15:53

中山道歩きは当初は日本橋から碓氷峠まで、木曽路11宿のみと始めた。
だが、歩いているうちに次第に欲が出て一層のこと京都まで歩こうか!
昨年
これより木曽路の標識から日出塩駅から藪原駅まで木曽路を歩き始めた。
と言うわけで今回は木曽路の第2弾として藪原駅から歩く。




予定通り藪原駅に8時30分に到着した。
ところが、昨年藪原一里塚を省略してしまったので、出発前に立ち寄るつもり
だったから進行方向の逆に足が向いていた。

メンバーに逆方向と指摘され、すっかり一里塚が頭から消えてしまった。

帰路、車で寄ってもらおうと思いながら、それも忘れてしまった。


国道19号線から左の中山道古道の草道に入ると朝露に
靴がびっしょり濡れて、すぐに国道に飛び出す。

右に木曽川、中央線が並び、吉田洞門に入る。洞門の右外側に歩道があるが
さすが国道19号線だ。車は途切れることがない。ここを横断することは
至難の業だ。まして中高年者15名がばらばらと渡ることが出来ない。

洞門の中、細い歩道を一列縦隊で進む。



国道を何度か横断し、山吹トンネルの手前から右の道に入る。
この道は旧国道らしい。
春先に山吹の花がたくさん見られるそうだ。

10:20  巴ヶ淵で休憩
木曽川が巴状に渦巻くであったことからこの名がある。
巴御前がここで水浴をしたという伝説が残る。

ここはトイレ、あづまやがあり木曽川のほとり。休憩に最適だ。
同郷の男性二人の旅人と出会った。偶然にも藪原から歩きだし
今宵の宿むらちやに宿泊が同じだ。

我々15名とは違って行動が早く二人はさっさと行ってしまった。


11:00  義仲館
木曾義仲
2歳のころに木曾に逃れてきた駒王丸は、中原兼遠の養育を受け、
後に元服し木曾次郎源義仲と名乗った。
1180年後白河法皇より平家追討の命を受け、木曾の地で旗揚げをし
その後、北陸に進撃、入京を果たした後征夷大将軍に任ぜられた。
しかし、後白河法皇の策略によって鎌倉軍に敗、粟津ヶ原で討ち死にし
31歳の短い生涯だった。

入館料300円 トイレだけ拝借し館内に入らない。
葵橋を渡るとすぐに宮ノ越宿だ。

宮ノ越宿


日本橋から67里32町(266.6Km)、京へ68里2町(267.3Km
宿内家数は137軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒、宿内人口585人

 
た木曽町宮ノ越宿は悲劇の武将、た木曽町宮ノ越宿は悲劇の武将ま


                                    宮ノ越の本陣跡              脇本陣問屋跡                       明治天皇御膳水            


宮ノ越の街並み
明治16年の大火で宿場のほとんどが焼失した。
昔の面影はない。
 

原野間の宿場街並み 古い家が残っている。
 

2:00~12:30  明星岩公園にて昼食
あづまや、トイレあり

明星岩公園から5分で
12:35 中山道中間地点の碑 


やはり草の匂いの道がいいなァ・・・・・
 

草道を過ぎ川に沿ってゆくと古い鉄橋があり、これを渡る。


13:00 手習い神社

中原兼遠が義仲の学問の神として勘定したので
手習い天神と呼ばれるようになったらしい

(中原兼遠の奥さんは木曾義仲の乳母、兼遠から義仲はいろいろ
教わった。)

 

福島宿


158軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒で宿内人口は972人
関所は天下4大関所の一つ。

木曽町福島は信州松本より木曽11宿の5番目にあたり、木曽川に沿って曲がりくねって伸びる道は、
かって江戸時代には多くの旅人が歩いた中山道の中心部。
この道はかって木曽路と呼ばれ、幾重もの山や峠を越える、
険しい街道として知られていました。

福島宿には江戸幕府が江戸防衛のために、東海道の箱根関所や新居関所、
中山道の碓井関所などと並ぶ日本四大関所の一つが設けられておりました。
有事の際には、関所を封鎖し江戸を守るために木曽川の断崖に望む、
険しく、狭い場所に設けられておりました。
特に入鉄砲と出女性には厳しい吟味がなされ、通行するのに普通でも女性は1刻(2時間)の
吟味時間が掛かったと云われております



13:40 福島宿モニュメント
木曾路はすべて山の中・・・と
島崎藤村の夜明け前の書きだしがこれで始まる。
本当に狭い谷の両側は山が迫ってくるようだった。

今日は福島の関所祭りが開催されているので
お祭りの雰囲気をちょっと味わいたいと急ぎ足で宿場に入った。
 

こんなイケメンのお侍さんと出会った。とてもかっこよかった!

このお祭りでは、代々関守だった山村家代官が江戸に出向いた行列、
『山村代官江戸出府行列』を再現した一行が町内を練り歩き、

その他にも太鼓、踊りの披露や、地元産の新鮮な農産物・
おいしい郷土料理のブースもあったが、私たちが到着したころは
残念ながら
仮装行列も終わってしまった。

初代山村代官は徳川家康にどれほど信頼されていたのか。
地元の人たちは大変な誇りに思っているようだ。


   
地酒の試飲が飲み放題とか・・・・
でも、お猪口に一口だけだった・・・・がっかり
  
福島関所跡 関所は宿場の北入り口に有った。
天下の四大関所に数えられ福島関所を擁し、江戸時代から
木曽谷の政治・経済の中心として栄えました。
木曽川畔には独特の崖屋造りの家が立ち並ぶ。

   
関所のガイドの簑島さん
とてもお話上手ですが時間があればゆっくりとお聞きしたかったのですが
城山遊歩道も歩きたかったし、私の気はそぞろで顏はガイドさんへ足はすでに興禅寺に向いていた。

宿へ直行組と城山歩き組と分かれることにした。
勿論私は城山コースだ。


14:50  興禅寺
山村代官の菩提寺

この脇から城山へ向かう。
うす暗いスギ林の中を健脚なメンバーはぐんぐん飛ぶように歩を進める。


途中から展望が開けたが、木曾駒ケ岳は雲の中。


15:30  本丸城跡
紅葉台までの予定だったが、元気印の7人は本丸まで頑張ることにした。
三の丸、二の丸、そして本丸へ到着。

豊臣秀吉の小田原城攻めに木曽氏が参陣しなかったかどによって
豊臣秀吉に領地を没収され
下総網戸(千葉県旭市)に移封された。
その後この地は、豊富な木曽ヒノキなど物流の要地として、
徳川幕府確立後、この木曽に代官所を置き幕府直轄地と
したためし廃城となり城の歴史は約50年の短い運命でした。

行きはよいよい帰りは怖い
興禅寺からの登りは緩やかだったが代官屋敷の下りは急傾斜だった


6:00~16:30  山村代官屋敷
今宵の宿は直ぐなので、時間の余裕があり入館料300円を奮発して入ってみた。
福島関所の関守として、広大な木曽を統括する代官として大きな権力を
持っていた。
さらに目を引いたのが山村家饗応料理。
料理のレプリカが解説と共に並べられている。
凄いご馳走だ。こんなにたくさん食べられたのだろうか。

明治時代の屋敷取り壊し中に偶然見つかった「お末社さま(おまっちゃ)」
という狐のミイラ。
江戸期から、山村いなりに住んでいる木やりを歌う狐に
代官家は守られているという伝説があり、その狐のミイラが
偶然見つかったということで、当時はかなりの驚きがあったらしい。
そのご神体を拝見させていただいた。


16:40 むらちや到着
民宿「むらちや」一泊2食で7500円

  


風情ある入口のくぐり戸に頭を打ち付けた方が何人いたでしょうか
廊下はピカピカ!とても感じのよい宿でした。
難点はお風呂が二人しか入れないことです。

      
      宿自慢のエゴマ五平餅がとても美味しかった       宴会は盛り上がり私も酔った勢いでペットボトルを
                                     マイク代わりに一曲「木曽路のおんな」
                                     なんだか皆さん聞くのも疲れたって感じ?聞き惚れているのかな?

2日目

8時だよ、全員集合


     
       
福島宿上段の街並み                       巾小路                       
  
福島宿の裏通り

    
     
高札場跡                                        懸崖造りの家             
太田水穂は「山蒼く暮れて夜霧に灯をともす木曽福島は谷底の町」と詠まれたが
まさに狭い山間の木曽川の崖に建つ風景はその通りだった


8:40 塩淵一里塚  ここは塩渕(しょうぶち)

天正12年(1584)の木曽義昌朱印状には、「上塩渕」、「塩渕中屋」、
「塩渕彦三郎」の名がでてくる。享保9年(1724)の「岩郷村家数書上
帳」には、「家数拾四軒塩渕」とある。シオという地名は川の曲流部
につけられることが多く塩渕も木曽川の曲流部にできた渕とすると
地形的にあっている。又、塩渕には次のような言い伝えが残っている
昔、中山道を馬の背に塩を乗せて運んできたところ、その馬が木曽
川の渕に転落し、塩をまいてしまったところから塩渕という地名が
ついたと伝えられている。          木曽福島町史より


9:00  うす暗く長いトンネルをくぐる。
昔のJR中央本線のトンネル。長さは172m、
中で微妙にカーブしているのと、豆電球みたいな照明しか
付いてないので、ほとんど真っ暗だ。


中山道は国道19号線、中央線、木曽川を縫うようにある。
右後方に御嶽山の雄々しい姿が現れた。


木曾川に架かる赤い橋を渡り国道から分かれる。
橋の右から木曾の桟が望める。


10:00 木曾の桟跡
  (
かけはしは木曽川を渡る橋では無く岩壁に沿って
丸太を組んだ桟のような道昔の旅人はここを通過するのは
命がけだったのでしょう
  
ここの木陰で休憩 近くにトイレあり 


木陰に芭蕉、子規の句碑がある
かけはしや命をからむつたかず     芭蕉
かけはしや あぶない処に山つつじ    子規
桟や 水にとどかず5月雨           子規
むかしたれ 雲のゆききのあとつけて
わたしそめけん 木曽のかけはし 
      
子規

ここから案内図は国道が往来が激しいから巻道を行くように
確かにこちらの道はほとんど車が通らず歩道はなかったが
15名様の通行は安心できた

 
上松宿

宿内家数は362軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒で宿内人口は2,482人
上松宿は、江戸時代には、宿場よりも木材の集散地として栄えていた。 
今も木曽の材木の半分以上は、ここに集まるといわれる。 
 

11:00 上松宿 
 

上松宿上町の町を行く現代の旅人 
ここは昭和25年の大火で焼け残った
 

11:05 玉林院
「この山門鐘楼は明治二十六年十二月に玉林院は火災に遭い、
本堂、庫裏は焼失したが、土蔵とこの山門は幸いにも火災をまぬがれた。

玉林は木曽家十六代目、木曽義元の次男。

 

11:10 一里塚跡 日本橋から72里、京都へ65里の場所
         やっと京都へ近づいた感じだ。

狭い県道をぞろぞろと、旅人達はお腹が減ったと騒ぎ出すが
も、、、ちょっとお待ちくだされ・・・・・
尾張藩上松材木役所御陣屋跡、庚申塔、二十三所観世音、を見ながら
お、ありました。美味しそうなお蕎麦屋さんたせや

 
たせやに入り、15名が一緒に食べられるかどうか聞いたところ
OKでホッとした。(以前人数が多くて断れたことがったから)

        
たせや                                  向かいの越前屋

たせやはむかし立場茶屋だった。
300年続く老舗だったが、民宿経営しばらく休業して最近8月に蕎麦屋を開業し
開業以来、一度に大勢のお客は私たちが初めてだとか・・・
お蕎麦が出来るまでご主人は店内を案内してくれました。

     
    階段の下の上りかまちで昔の旅人は草鞋を脱がずに 一休みした。      
              二階の座敷は大名がたが一般庶民と同じところで休憩が出来な
         手作り豆腐300円 そば900円 付きだしが3品
こりゃ、、、ビール飲まなけりゃ
 

13:00  寝覚めの床

昼食後、越前屋とたせやの間の坂を下って行く。

江戸時代も寝覚ノ床は観光名所だったのだから、
この辺はすごく賑やかなところだったのでしょう

入館料 200円 
 

13:307たせやを出発。
倉本駅に向かう。15:23の松本行きの後は 2時間以上の
待たなくてはならない。

途中の街道から駒ヶ岳の雄姿が望めた。
沢筋に雪がある。
 

13:40  小野の滝
    
木曾八景のひとつでもある。
 

13:50 荻原一里塚 
 

13:55 水場 和水 

冷たくて美味しい水だったので、夫の土産にペットボトルに1本
汲み仏前にお供えすることにした。
(生前、夫は山の湧水が飲みたいと言っていた)

倉本駅までゆっくり到着できる予想がたったので
神明神社の木陰で休憩する。
 

国道19号線をひたすら歩き、今回の最終地倉本駅に到着。

次回はここから出発するので駐車場の確認し、付近を探索した。
この駅は上下線のホームは入り口が全く反対からの乗降するので要注意。

駐車地を確認してから駅舎でコーヒータイム。

15:23松本行きワンマン電車に乗り 、藪原駅に向かう。
藪原一里塚は見事に頭から消え去ってしまった。

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