中山道を歩く (その6)

                吹上宿〜熊谷宿〜籠原
   約15km

                                                                       2012.1.29   

 吹上間の宿  
 中山道の街道筋にあたる吹上は、鴻巣と熊谷の「間の宿」として発展した街ですが
                 江戸時代には幕府公認の宿場ではなかった。
                 鴻巣宿と熊谷宿の距離が長かったため、その中間に休憩する場所として「お休み本陣」
                 や馬次の「立ち場」が設置されてあった。



8:00  吹上駅を出発。
毎朝7時の起床の私はこの寒さに早起きはとっても辛い。
殊にここ数日は寒気が日本列島をすっぽりと包み込み、寒さは
半端じゃない。冷蔵庫のほうが温かいくらいだ。

今日は荒川の土手を歩くからしっかりと防寒具を着込む。
レッグウォーマー、ネックウォーマーに体をガードして集合場所
高崎駅へ車を走らせた。


8:07 東曜寺


8:13 吹上神社


中山道 間の宿碑


8:35 権八延命地蔵堂
 平井権八は事情があり鳥取藩を脱走し江戸に出て浪人となった。
 イケメンの権八は吉原の遊女と馴染みになり追剥ぎをして金の工面し
 通い詰めた。人を殺害し現場をお地蔵様に見られ「誰にも言うな」と
 口止めしたところ、お地蔵様は「俺も言わぬがお前も言うな」と答えた。
 それからこの地蔵は「権八ものいい地蔵」と呼ばれている。
 
 案外、口止めしながら自分から喋ってしまう人間が居るものだ。

第8次  熊谷宿
本陣2・脇本陣1・旅籠19
宿の中央に熊谷直実の寺がある。忍藩の方針で飯盛女は置かれなかった。珍しく健全な宿場である。
終戦前夜8月14日の大空襲で市街地の7割を消失し新しい町に変わった。


8:40  久下の長土手
地蔵堂から直ぐに荒川の土手に上がった。
風は弱いが頬は冷たく、でも体はホカホカと温かい。
上着を一枚脱いだが、帰宅するまで着ることが無かった。

富士山が真っ白に輝いていた。


北に向かいひたすら歩く。
遠方にライオンズマンションらしき建物が見えいる。


9:00  決壊の跡碑



9:06  久下一里塚
“くたびれた奴が見つける一里塚”と言う句があるそうな・・・
気持ちが良く分かりますね。


ポツンと馬頭観世音


9:31 久下神社


9:50  権八地蔵 
土手の下


10:00  久下の渡し跡


10:06  みかりりや跡
民家の塀に説明版がある。
中山道を往来する旅人相手の茶店があり、柚餅子が名物だったらしい。
忍藩の殿様が鷹狩りに来るとここで休み「御狩屋(みかりや)」と呼ばれたとか。


10:40  東竹院
門前に庚申塔が並んでいた。


10:45  仏説寺
お寺と思えない普通の民家のようだ。


10:50  八丁の一里塚
日本橋から15番目の一里塚


11:00  第六中山道踏切
このあたりの街道は標識が殆んど無いが秩父鉄道の踏み切りに
やっと中山道の文字を見つけた。
ここを渡ると直ぐに高崎線の大きな踏切がある。
後続隊を待っていると警報機がひっきりなしに鳴っていた。
お年寄りが渡るのは大変だ。でも私達は大丈夫よ。
ここで15分くらい空きっ腹を抱えて待ちぼうけだった。


11:30〜12:30  藍屋にて昼食
  鍋焼きうどん1000円也


街道筋に近代建築の中に古民家や商家が当時の姿の名残を留めていた
    




12:50  高城神社(たかぎじんじゃ)
何故か境内に鳥居があちこち向いていた。


熊谷宿  本陣は明治17年の火災と戦災で跡形も無い。本陣絵図から全国に現存する旧本陣と
比べると規模、構造ともに屈指のものだそうだ。


国道17号の鎌倉町交差点周辺に高札場跡、本陣跡碑がある
   


13:05  星渓園
鎌倉町交叉点の西の通りにある
創設者は竹井澹如氏は群馬県南牧村羽沢の出身。
熊谷宿の本陣を勤めた当主となり、終始一貫熊谷地方のために
貢献した。
邸内に星渓寮、積翠閣、松風庵などの日本的建築の美しさと
格調高さが感じられる。
回遊式庭園も素晴らしく落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

現在は熊谷市教育委員会が管理、入場料は無料。


13:20  八坂神社
直ぐ反対側に宇佐稲荷大明神がある。


13:30  旧中仙道跡碑
17号の広い通りの歩道橋を渡り反対の八木橋百貨店の前に
旧中山道跡碑がある。
旧中山道は八木橋出パートの中を通っていた。



13:30  熊谷寺
境内には檀家、関係者意外は入ることができない。
隣接して稲荷大明神があるが、何故か境内に自転車が
たくさん駐輪してあった。百貨店の従業員のものだろうか。
お稲荷さんも落ち着かないようですね。

百貨店の隅で焼き芋を売っていた。
ホカホカと湯気が立ち、横目で通り過ぎようと思ったが
思わず一個買って食べ歩きしてしまった。
美味しかった!!



14:05  秩父道の3基の道標

秩父へ向かう分岐。


ようやく前橋52kmの標識が現われた。


立派な熊谷警察署を過ぎ、Y字路を左方向へ行くと
「梅林堂」のお菓子屋があった。
五家宝を買おうと店内に入るとメンバー達12名がぞろぞろと
入ってきた。五家宝はなかったので何も買わずにまたまたゾロゾロと
出た。店員さんはなんと思ったでしょうか。

14:35  新島の一里塚
樹齢300年のケヤキの巨木だ。
このケヤキに旅人はさぞ喜んだことでしょうね。


忍領石碑(おしりょう)
一里塚の直ぐ先にある。
忍藩が他藩の土地との境界を明白にするため
藩境の16箇所に建物の一つです。


         道端の祠が2つ                             地蔵堂
       


15:55  籠原駅到着。

  乗り合いバス籠原行きに付いて歩いたら一番のりで駅に到着かと
  思えばラストになってしまった。
  遠回りになりヘトヘトになってしまった。
  


 

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