中山道歩き
           木曽路
その2
            (
贄川宿〜平沢宿〜奈良井宿〜藪原宿)                                      

                                        コースタイム

                
   伊勢屋8:50〜9:40(観光ガイド)〜〜自由行動〜〜鎮神社11:00→鳥居峠入り口11:05
                      →展望台11:30→中の茶屋跡・葬沢の碑11:40→旧国道合流地点12:08→峰の茶屋12:10〜12:55
                       →明治道分岐13:005→御嶽神社13:10→円山公園内鳥居峠の碑13:20→藪原宿14:00→薮原駅14:40 
                        



日頃はパン食の私ですが朝食はお洒落な
盛り付けについつい朝からご飯のお代わりを
してしまった。



朝食まで時間があったので朝のお散歩に出かけます


木曽の大橋へ行き、橋を往復して歩きました。
両端の傾斜が見た目よりあって濡れていたら
滑りそうでした。

水辺のふるさとふれあい広場の東側、奈良井川に
掛けられている太鼓型の橋。

樹齢300年以上の天然木を使った総檜造りです。

橋脚を用いない木橋では幅員が日本一という
奈良井の新名所の一つです。



伊勢屋さん前で全員揃って記念写真

今日もお天気良さそうで鳥居峠越えは
安心です


8時50分   ガイド料は約1時間 1500円
     要予約です 1ヶ月前から申し込み済みです

予定通りガイドの方が伊勢屋さん前に
来てくれました。
ガイドの渡辺さんに約1時間奈良井宿を
案内していただいた。

渡辺さんはガイドの後は敬老会に75歳以上が
招待されているそうです。


奈良井宿本陣跡


ゑちごや
寛政年間から旅籠として営業しています
旅籠行燈は「ゑちごや」が江戸時代から続く行燈の
灯火は疲れた旅人達の心を癒していたのでしょう

一日6名限定だそうです
お値段も伊勢屋さんよりお高いようです。

部屋も往時と全く変えてないそうです。



明治天皇駐輦所(ちゅうれんじょ)

この家は慶長七年(1602)から明治維新に宿場制度が廃止されるまでおよそ270年間継続して奈良井宿の問屋をつとめてきました。天保年間からは庄屋も兼務して明治維新に至りました。

時間の余裕があったから見学すればよかったです
あとの祭りです。



鉤の手
道が鉤の手になっていて敵の来襲を防ぐ
為らしいです
4方から行っても突き当たりの道に見えます。



NHK朝ドラ「おひさま」に登場した飴やの家です

ご覧のとおり人が溢れています
入場料300円のためでしょうか外から覗くだけで
中に入る方は少ないようです。
  
高札場
写真を撮り忘れたのかありませんが
現代の掲示板のようなものです
私は悪人をお仕置きするような場所だと勝手に思っていました



鎮神社(しずめじんじゃ)

元和四年(1618)に、疫病流行を鎮めるため、
上総国香取神社を勧請したことから鎮神社と
呼ばれるという。本殿、寛文四年(1664)建築で
村指定有形文化財。社業は、村指定天然記念物。


赤い建物は能舞台です

 


鎮神社でガイドは終了になってしまった
まだまだ見たいところがあります
伊勢屋から半分で終わりじゃないですか
下町は全く案内から外れています
仕方なく今日は時間がたっぷりあるので11時まで自由行動にしました



私は奈良井駅まで戻り、反対にある八幡神社まで
急ぎ足で出かけました。
昨日ここを通ったのですが明日案内していただける
とばかりに素通りしました。

二百地蔵
薄暗い杉並木の奥に観音像二百体位
整然と並んでいました。
これは明治の頃国道・鉄道敷設の際に奈良井宿
周辺から集められたそうです。



八幡神社
二百地蔵のすぐ横にあります
奈良井宿の氏神で鬼門除けの守護神として崇敬されています。


この後、ショッピングしたのですが
これから鳥居峠を越えなければならないので重いものや嵩張る物は厳禁です

お団子屋の前に、あらー見たような顔ぶれが座り込んで美味しそうに食べていました
美味しそうなお団子や五平餅、おやきなどなど・・・
私も五平餅を頂きました。

他に骨が15本あって水に濡れると花が浮き出てくる雨傘を買いました。
鳥居峠を甘く見てストックを持参しなかったのでこの傘をストックの代用にしました。
でも峠の入り口、出口にしっかりした木の枝が置いてありました


11時 いよいよここから鳥居峠の難所に向かいます
階段を上がっていくと直ぐに舗装道路に出ました。
なんか興冷めです。

写真の右の大きな石に
右上 鳥居峠 左下 奈良井宿」の道標
(左写真の石塔)があり「鳥居峠まで2.3km」
あった


直ぐに案内板がって石畳の道になります。
石畳の道は600mくらい続きます

奈良井側から歩いたのは私達だけだったようです。
2組の旅人に会っただけで本当に静かな木曽路を
歩くことが出来ました



静かな山道を昔人たちはどんな思いでで歩いたの
でしょうか。


木橋を何度か渡ります
昔は橋などなかったでしょうね。
展望台に寄ってみたが木が茂り、また生憎の雲で
何も見えません。


葬沢
1582年2月木曽義昌が武田勝頼の二千余名のを
迎撃し大勝利を収めた戦場です。
この時の武田方の戦死者500名あまりを葬った
ので葬沢と呼ばれているそうな・・

中の茶屋跡
菊池寛著「恩讐の彼方に」に登場する茶屋です
ここで壮絶な企みで幾人も旅人が殺害され
物語は九州青の洞門へ飛んでいきます。

何となく気持ち悪く長居は禁物です


山道は斜度を増し、汗がじっとり滲み出てきました。


橋を渡り、間もなくで旧国道に出ます
国道沿いに峰の茶屋があります


鳥居峠
木曽路で最大の難所だった峠は標高1197m。
美濃の国と信濃の国境だったこともある峠は
木曽義昌がこの頂上に鳥居を建て、御嶽権現を
祀った事から鳥居峠と呼ぶようになったとか・・・・

鳥居峠は,木曽路の北端奈良井宿と藪原宿との
境にあり木曽川と奈良井川(犀川→千曲川→
信濃川)の分水嶺をなしている。
それぞれ日本海と太平洋に流れていく

ここには水場、トイレもあり、小屋の中はとても綺麗です
ゆっくりランチタイム。

私はザックのオレンジとここでやっとおさらばです。
おー!軽くなった!


大きな石に右は旧国道、左は明治道と掘られてあります
私達は左の明治道へ進みます
薮原まで3km

何処にも熊ちゃんがいるようで途中に熊除けの鈴が
2ヶ所ありました。



トチノキ群
トチノキの巨木のオンパレードです
道には栃の実がたくさん落ちています
熊ちゃんはこれを食べるのでしょうか。


御嶽神社遥拝所
鳥居峠は古来より信仰の山として知られる御嶽山
(標高3063m)を望むことができる為,遥拝所が
設けられ,信者達によって御嶽神社が建てられた。
神社に到るまでに鳥居があり,神社の境内には
御嶽講社が建立した多くの石碑・石仏・石塔があり
御嶽信仰の盛んだったことを思わせる。


今日は生憎の雲が邪魔して御嶽山を見ることが出来なかった。





義仲の硯水
木曽義仲が平家討伐の旗揚げをし北国へ
攻め上げるとき、戦勝祈願の願書をしたためた
ときの硯の水だと云い伝えがある。


鳥居峠の碑

丸山公園内にあります。
公園内にベンチがあって旅人が一人静かに
お弁当を広げていました。


丸山公園から下ると眼下に薮原の町が箱庭のように
並んでいる。


再び石畳の道が現われた。
昨年歩いた箱根旧道歩きが懐かしく思い出された。
箱根の石より歩きやすい気がした。


下り終わった所に杖置き場がありました。
どーも有難うございました



天降社

鳥居左脇の大モミジは有名らしい


尾張藩御鷹匠役所跡
鷹狩り用の鷹の雛を確保するため設けられた薮原
御鷹匠役所跡です


藪原宿

今回の終着点薮原宿に到着ですが線路の反対側に向かう道が
見当たらず線路沿いに歩きガードをくぐったのが間違いのもとだった。
後方の線路の歩道橋を行けば本陣跡に迷わず出られたと思います
次回のお楽しみにしましょう


元禄8年に藪原宿大火のあと、防火を目的に石垣を
築き土塀を設けた。石垣は当時のままです。


左がお六櫛問屋です
暖簾をくぐり目の保養をさせてもらった。

そして櫛を一本買い求めた。


木曽路はすべて山の中といいますが
湧き水が多いです
宿場の何処も水場があってこれだけでも
ほっとする気持ちになります


高札場跡

写真を見て気がついたのですが
隣にレトロな赤い郵便ポストがありました


薮原駅に到着 

待ち時間が1時間もあるので駅の上にある
道の駅まで散策です。

15;53発
ワンマン電車に乗り込み駐車してある日出塩駅に
戻りました

2日間すべて予定通りに終了し一路家路に向かいました
3連休の最終日で高速の渋滞予報があったが難なく無事に我が家に戻れました

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