中山道歩き
           木曽路  
その1
            (
贄川宿〜奈良井宿〜藪原宿)                                      

                                                     2011.9.18〜19

コースタイム
浜川P6:00→→日出塩駅9:00→贄川宿11:20→道駅ならかわ12:35〜13:50→
平沢14:10→奈良井宿15:30

中山道のうち木曽路と呼ばれるのは桜沢から馬籠の間88kmで
この間に贄川、奈良井、薮原、宮ノ越、福島、上松、須原、野尻、三留野、妻籠、馬籠の
十一宿があります。今回は中央線日出塩駅から薮原駅までの間にある
贄川、奈良井、薮原の三つの宿場を歩きました

今回の参加者男5名、女11名の16名が3台の車に分乗し高崎から日出塩駅に向かった



是より木曽路
この標識から木曽路を歩きたくて日出塩駅を
スタート地点にしました


日出塩駅

地元観光協会に問い合せしたところ日出塩駅に
車数台駐車可能だと言う。
もし、満車になっていたらどうしよう?
不安な思いで群馬から日出塩駅に向かった。

ラッキー!他には駐車の車は無かった。
因みに奈良井駅付近は観光客で満車状態で
路駐も一杯だった。


駅を出ると直ぐに立派な道祖神

路傍の神である。集落の境や村の中心、
村内と村外の境界や道の辻、三叉路
などに主に石碑や石像の形態で祀られる
神です



熊野神社
JRのガードを潜ると石の鳥居が建っていた

鳥居から石段を登り詰めると木立の中に
灯りがともり中でお掃除の真っ最中だった。

これからの道中の安全祈願
清掃中の女性にこれから奈良井宿まで歩くと言うと
「あらー!大変ですね。遠いですよ。」
「・・・・大丈夫かな?不安になってきた」



木曽路の碑
気を取り直し国道19号線に出た。
車の往来は結構な流れだ。
ガードレールの中を歩いていくが歩道には
空き缶やペットボトルが散乱している。

やがて木曽路の碑があり、手前に小さな東屋があった。
ここは木曽路の北の玄関口だ。
碑の裏には
「歌に絵に其の名を知られたる、木曽路はこの
桜沢より神坂に至る南二十余里なり」
いよいよここから中山道のハイライト木曽路に
入って行く。

この碑は桜沢茶屋本陣の百瀬家が昭和15年に
建立したらしい。



側道は雑草が生い茂り思わずゴミ拾いに集中しそうに
なったがこれからの行程を考えれば荷物は増やした
くない。見ても見ぬふりで通過することにした。

車の激しい国道を横切り 擁壁斜面から高巻きの
旧道跡へ入る。
壁面に中山道と書かれた小さな標識があった。

        





細い踏み跡を辿っていくとフェンスがあって
奥の細道のような木立の中、山の斜面に
歴史を感じる馬頭観世音がひっそりとあった。
  

        


ふと、Uさんの足元を見ると見慣れぬサンダルを
履いていた。これは草鞋の現代版だという。
これを履くなら帽子は菅笠と風呂敷を背負うと
似合いそうです。


野道から再び国道に出ると
茶屋本陣(百瀬家)、木曽路の碑の建立者の家だ。
明治天皇櫻澤御小休所で天皇のご接待したの
でしょう。



しばらく国道を行くと右に小さな鳥居があった。
白山神社へ続く道らしい。
何といってもハイキングクラブの面々だ。
斜面を一気に登っていく。
木洩れ日の中に古びた社が建っていた。


中部自然歩道贄川駅へ1,3kmの道標に従って右の
道に入る。


道沿いに石仏たちがお出迎えだ。
石仏に出会うとなんかホッとして癒されますね。

往時の旅人達の気持ちが解かります。


今日は予想外の天気で、太陽が眩しいが
さすが木曽の空気は爽やかだ。
木陰で快い風に出会うと幸せで胸がいっぱいに
なります。



贄川宿
贄川駅を過ぎると贄川宿の大きな看板。

贄川宿(にえかわじゅく)は中山道33番目、木曽では
最初の宿場です

古くは温泉があって「熱川」と書かれた。
温泉が枯れてからは現在の漢字を当てるようになった。




贄川関所
国道からちょっと入った所に贄川関所がある。
ここは外から眺めて通過です。

贄川関所は木曽路の守備の拠点として、
女改めのほか、尾張領である木曽谷の
統制物資、特に木材の密移出の取締り
といった役割を担ってきた。建物は
明治2年(1869)に取り壊されたが、当時の
配置図や史料をもとに、敷地面積や間取り
もそのままの姿で現在の場所に復元された。
内部では関所や街道の交通についての
資料を展示している。また、階下に設けら
れた木曽考古館では、塩尻市で発掘され
た石器類や縄文初期〜中期の土器などを
見ることができる。



深澤家(重文)
贄川宿に入り深澤家
二重の出梁や吹き抜けの大黒柱など木曽地方の
代表的な建物で価値が高いそうです。
中を拝見したいが人の気配が感じらる。

津島・秋葉大神、麻衣廼(あさぎぬの)神社を過ぎ
そろそろお腹の虫が騒ぎ出した。

ひのきや漆器店を見過ごしてJRの袴線橋から
国道に出らず贄川のトチ大木は見ることが
出来なかった。



回国接待二千僧碑

路傍に石碑があちこちに見られる。


再び国道の擁壁の上を歩くのだが
フェンスの直ぐ下に国道が走り、車上の人は
16名がぞろぞろ歩く姿をどう見たでしょうか。

雑草に阻まれ藪漕ぎするように歩き
直ぐに道は山道になった。


しばらくは木陰の歩きよい山道です。
風の道に一息できて疲れが飛びます。

舗装された道よりやはり土の道が歩きよいですね


大きな中仙道の碑
?中山道なのに中仙道は・・・・・

中山道と中仙道はどちらが正しいのでしょうか
正徳6年(1716年)4月のお触書によると、
「只今迄ハ仙之字書候得とも向後山之字書可申事」
とあり「中山道」と書くように決められています。



押込一里塚跡
押込一里塚跡
国道と新道に挟まれて不遇な一里塚のようだ。


国道に出るとやっと本日の昼食予定の道の駅の
標識が現われた。あと1.5kmだ。

飲めるぞー!飲めるぞー!
疲れた足に鞭打って男性陣は元気になったようで
後ろから見ても足取りは軽やかに見えた。


道の駅ならかわ
ここにはレストラン、工芸館、地場産ショップがあります

数人はレストランへ
殆んどが直ぐ近くのコンビニからビールをゲットし
円陣になり道の駅の片隅でミニ宴会が始まった。
先が見えてきたから一安心で「ハーイ乾杯!!
すっかり皆さんご機嫌。
我々のランチタイムは12:30〜13:50
                        
道の駅で{サルナシのジャム」が美味しそうだが
重くて明日は峠越えしなければならないので買うことを
断念せざるをえません。



道の駅から裏の道に出てしばらくして
塩尻市楢川支所の駐車場に大勢の人がいた。
ここの奥から諏訪神社へ向かうべきだった。

舗装された道は登り勾配で疲れが増す。
正面階段を上がり神社へ向かった。


境内に4本の御柱が建てられて
ご利益ありそうな神社です。


漆器の里木曽平沢
静かな町並みの長さは,およそ700m。

平沢は檜を始め豊かな森林資源に恵まれ
漆器に適した気候風土で古くから漆器の製造が盛ん
だった。

町は面格子を備えた切妻造りの特徴ある建物が
多い。
だが、町は静かで店を覗いても人気がなく
入り難い。
一軒の店で私は自分用に箸を一膳買った。


今日の目的地奈良井宿に到着です
奈良井大橋を渡り、左に行くと奈良井駅があった。
車は路駐され、人通りが多くなった。



奈良井宿の碑
奈良井駅を過ぎると奈良井宿の標識がありました
奈良井宿は奈良井千軒といわれ木曽路一番の
賑わいでした。奈良井川に沿って約1kmの
町並みが続いています。
木曽路で最も標高の高い位置(940m)にある。
木曽路最大の難所鳥居峠(標高1197m)の
北に位置し土豪奈良井氏が居館を構えた
奈良井の地は交通の要となる宿として繁栄した。


江戸よりから下町、中町、上町で中町と上町の
間に鉤の手があります。
本陣1、脇本陣1、旅籠5がありました


宿場には水場が何箇所もあります。
冷たくて美味しい!
でも、「沸かして飲んでください」そんな
標示がある所も・・・・・
山で湧き水に飲み慣れてるから全く心配なく
何度も飲見ましたが大丈夫でした。


午後の陽射しは2000m級の山に囲まれた
町並みをすっぽりと包み込んで旅人達は
三々五々帰り支度をしていた。

私達は今夜は奈良井宿の伊勢屋に宿泊。
宿にザックを預けて宿場を散策に出かけます。
観光客は大分少なくなったようです。

昔の面影を残す町並みは江戸時代にタイムスリップした
ような風景です。
なんだか心が和むようです。


御宿伊勢屋

御宿の若いイケメンのお兄さんが歓待してくれました。
しっとりした歴史を感じる宿は情緒たっぷりです。


一泊9000円
日頃山小屋泊まりで質素な食事に慣れている
私達にはとんでもないご馳走でした。
鯉の甘酢あんかけは特に美味しかったです

もちろん宴会はノリノリに盛り上がった。
二次会いや?(昼を入れたら)三次会だったかも
しれません。

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