第16回 関東ふれあいのみち
(コース№5 石碑めぐりのみち)
                
                               
                                           2015.2.8 (日)

35000歩

参加者 CL 藤井、星野、小野里、田所、亀井、横澤、茂木、山口、酒井、川野、桑子、福島、桜井、宮沢

コースタイム
多胡の碑8:00→小暮穴薬師9:30→山名八幡宮10:05~10:15→山の上の碑11:00→山名城址(11:20~11:50)
→金井沢の碑13:10→茶臼山城跡13:50→ファミリーパーク15:20→高風園前16:30

                                            
                                           上野三碑の概要
上野三碑(こうずけさんぴ)とは、高崎市南西部に所在する7世紀から8世紀にかけての古代の
石碑3基(山ノ上碑・多胡碑・金井沢碑)の総称。
三碑とも特別史跡に指定されていて、しかも、半径5km以内の非常に隣接した位置に所在しています。
この三碑は大きさも形状も異なりますが、金井沢碑に記された「下賛郷(しもさぬごう)」
あるいは「三家(みやけ)」が、山ノ上碑の冒頭に記された「佐野三家(さののみやけ)」を
経営した豪族の末裔とみられるなど、関連する点も少なくありません。
また、朝鮮半島の石碑文化の影響を反映する石碑、碑文からうかがえる仏教信仰等、早くからの
先進文化を取り入れ、定着・蓄積していた上野国の文化度の高さを象徴する文化遺産でもあります。

  今、上野三碑が世界記憶遺産にしようと登録中です

 


 


 


 
      多胡の碑
ここは№4コースの終点、見学は
今回は省略。駐車して出発。


5分くらいで関東ふれあいの道の
№4コースの案内板がある。


しばらくは田園風景を眺めながら
山名八幡宮を目指していく



 今回の始点の 馬庭駅 
通勤通学時間で乗降客が多い。

駅から馬庭念流道場に寄りたかったが、今日は長丁場だし雨の心配があったので先を急ぐことにした。
 
        №5コース石碑めぐりのみち

      案内板には次のように記されてある
このコースは観音山南岳状地の吉井町馬庭から高崎市中尾町館
までを結んだ全長14.8kmの遊歩道です。馬庭には国の特別史跡に指定されている「山の上碑」「金井沢の碑」があります。
万葉集の中の上野国(群馬の吉井)を詠んだ29の石碑もあり、ハイカーを古代万葉の時代にいざないます。
山名城址、根子屋城址、中尾中城などの戦国山城跡がたどれ歩きながら歴史も楽しめるコースになっている。


 

 

 

 
標識は頻繁にあったが
見落としたのか 住宅地に入り、何度か
戸惑い、行ったり来たり・・・ 







               小暮穴薬師
踏切を渡り、県道200号後賀山名線をすぐ左へ、ちょっと寄り道 石段を上がり
凝灰岩に作られた横穴墓群で、1号横穴を含む6基からなる1群(但し原形を留めているのはこの1号横穴のみ
ほぼ完全な横穴墓3基の他、崩壊した痕跡が認められるもの5基が確認されている。横穴墓の大きさはいずれも全長2.5メートルほどで、平面形態は基本的に隅丸台形である天井は「かまぼこなり」を呈すド-ム状で、奥壁は半円形である。。横穴墓掘削の年代は7世紀後半~8世紀初頭と考えられる。




       山名八幡宮
県道に戻り先行する男性に付いて行くと
どーも変だ?穴薬師から凄に斜めに山道に入るのだった。
参道を上信電鉄の線路が横切っているので
線路の下をくぐって進むと神門があり、神門の奥が境内。我々は八幡宮の横から入ったので線路はくぐらなかった。
参道右手に手水舎があり、鮮やかな朱の鳥居が立っている。
鳥居の脇にはいくつかの境内社や神馬像、ムクやケヤキなどの立派な御神木。
ここで休憩所トイレ蟻
 

 

 

 
八幡宮の裏手から 関東ふれあいの道は高崎自然歩道と重複します




高崎自然歩道の標識に従って歩きます
広々した公園に出た。山名御野立所跡と刻んだ石碑と先に大きな「筆塚」の石碑が建っています。
昭和の始めに天皇が軍事演習を視察されたとき、お立ちになった高台の展望所です
静かな、住宅を抜けると標識は塀の間を
行くようだ。これも自然歩道かね?



あと100mで山の上の碑だ。 
お腹の虫が騒ぎ出した。



 

 


 
長い石段を上がると山の上の碑と山の上古墳がある。






     山の上の碑
山上碑は、 681年に立てられた日本最古級の石碑で、高さ111センチの輝石安山岩の 自然石に53字が刻まれています。放光寺の僧である長利が、亡き母の黒売刀自(くろめとじ)を供養 するとともに、母と自分の系譜を記して顕彰したものです
今回の撮影ポイント
山の上の碑





山の上古墳
山ノ上碑の東側にある、直径15m程の典型的な山寄せの円墳である。埴輪葺石は確認されておらず、古墳としては終末期古墳に属するものとみられる                  
主体部は凝灰岩の切石積み横穴式石室で、南に開口している。全長7.4メートル・玄室長2.68m・幅1.75m・高さ1.66m

 

 

 

 
古墳の中に潜ってみる。
股関節痛の私は少々辛い動作である。
14人が交代で入り込むから時間がかかる。一応入らなければ気が済まないメンバーたちだ。


  関東ふれあいの道石柱
 山名城址で昼食予定だ。
 もうチョイの辛抱だ。 




         山名城址
山道を歩き、途中から標識に従い右の丸太の階段を山道を上がる。 

そして左の小道に入るのだが先行の男性に何度か惑わされているので私は道なり行ったのが間違いの元。藪道を這いずり上がりやっと城址に到着した
城址にはベンチがたくさんあり
昼食に最適な場所だ。

だが、今日は予報は雨になるらしい。
ゆっくりもしていられない。



 

 

 

 
ランチ終了後、城址から少し下り、右へ行くべきところチョイオオボケで左に下り気味、オーイ!反対だよ・・・
この先は万葉の石碑が29も続く風情あるみちだ。最初は読んでみたけれど
凡人な私は理解できず、素通りする。
緩やかなアップダウン落葉樹の道は歩きよく、なんども訪れたい山道に満足満足!



 
   鎌倉街道七曲り 
 中世時代、鎌倉方面に通じている道のひとつがこの辺りを通っていて、急斜面を七度折れ登らなければならない難所だったと記した看板が立っていました。
舗装された道に出ると車が結構なスピードで往来している。 オッと!危ない!
少し雨がパラついてきた。


雨具を着用するといつの間にか止んでいた。

 

 

 
 
      金井沢の碑
ここも覆屋で囲まれてガラス越しに眺めるだけだ。
金井沢碑は、神亀 3(726)年に立てられた石碑で、高さ111センチの輝石安山岩の自然石に112字が刻まれています。山上碑多胡碑と合わせて上野三碑と呼ばれています
 
     茶臼山城跡
ここでまた、道迷いしてしまった。元の道に引き返すを車道までと勘違いし、来た道を引き返すべきだった。
20数分のロスタイム。やや上り坂の歩道を歩くと団地の反対に関東ふれあいの石柱があり、やれやれ。休憩してからこの階段を上り、またまた山道になった。
 左に林道、右に沢沿いの落ち葉を踏んで、気持ち良い道だ。

 うっすらと薄日が射し、雨の心配が無くな
 リ、ゆっくり歩きます。

県道71号線高崎神流秩父線に出た。
車の交通量は多い。団地入り口の信号を渡ると皆さんさっさとファミリーパークの車道を行ってしまうが、ちょっと違うぞ・・・
信号を渡るとコンクリートの法面に
高崎市自然歩道、関東ふれあいの
道の案内板がある。皆さんは信号を
直進していってしまう。
「おーい!こっちだよ!」
 
 

 
 
 信号を渡り左に行くと白い手すりの階段を上る。
再び山道を歩くと舗装されたファミリー
パークに続く道路を2km歩く。
やっと前方にファミリーパークの
 入り口の看板が見てきたここでゆっくりとトイ ㇾ休憩。公園内は賑やかだった。
ファミリーパークでゆっくり休憩。 
ファミリーパークを右にして舗装された道を北に向かう。
小さな集落に蝋梅、紅梅、白梅が満開
和やかな風景だ。
ゴールまであと少しだ。
皆さん元気だ。私も完治したような足取りだが、翌日に不安を感じていた。 
 
   
 
 あれ?聞きなれない男性の声に振り向くと79歳のおじさんが毎日麓の自宅からファミリーパークまで歩いているという。126歳まで生きるられると妙薬を飲んでいるとか、、、元気!元気 この橋の青いシートは滑り止めに市に申請して敷いて貰ったと、 山道を塞いでいた倒木はこの方が一人で整備したという。ご苦労さんありがとう!         高風園
終点の特老高風園の通りに出た。
 

空き地にデポしておいた車で多胡の碑まで車の回収に行っている間 空き地の陽だまりでお喋りに花が咲き30分はあっという間だったドライバーの3人お疲れ様でした


思いのほか行程は長くアップダウンがあり、変化に富んだコースだった。
根小屋城がどこだったのか見落としてしまったようだ。
もう一度行きたいコースなのでまたのお楽しみです。

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